第21話・森の魔女の秘薬

 現領主の母であり、アナベルの祖母でもある先代の森の魔女は強い魔力保有者だった。その力はグランの英雄とも呼ばれる長男ジークや、その娘のアナベルにも受け継がれている。


 アナベルが十代の頃に亡くなったという先代は、この森の中に建つ館にて、その持てる知識を孫娘へと教え込み、己が亡き後には森の魔女を名乗ることを願っていた。日々の調薬修行によりアナベルは祖母の技術と知識のほとんどを習得することができたが、レシピ習得まで残り一種となった後、先代魔女が急な心臓の病で倒れ込み、その後の本邸での療養の甲斐なくこの世を去ってしまった。


「その最後のレシピがこれよ」


 レイラが見つけた四つ折りの紙を感慨深く見つめ、その一字一字を確認していく。これまで扱ったことのない薬草種が含まれたレシピは、今すぐに再現できる物ではない。祖母がこれを最後にしたのは、この薬にしか使わない希少な薬草が多いことと、あまりに一般的ではない効能が故だ。


「何の薬なんでしょうか?」


 レシピを覗いただけでも、レイラの魔力量では作れない物だということは分かる。たくさんの種類の薬草を使う為、少女ではすぐに魔力疲労を起こしてしまうだろうし、いくら調薬量を減らしても複数の薬草を馴染ませる精製の作業にはそれ相応の魔力を必要とするからだ。


「上級の回復薬よ。作っても販売することはできないし、使い道はないのだけれど」

「回復薬なのに、ですか?」

「ええ。体力の回復と同時に闘争心を促す作用があるから。言ってみれば、戦争用ね」


 遥か古代の魔女が国から依頼されて作ったというその薬は、飲めば気分が高揚して三日三晩は寝ずに戦えるという、服薬させられる側からすれば恐ろしく、非人道的な物だ。中毒性もあって繰り返し使えば理性が失われてしまうこともある。その戦う様はまるで魔人のようだったと国史にも残されているほど。だが、どこの薬魔女が作ったかは秘匿とされていた。


「それをアナベル様は、お作りになるんですか?」

「いいえ。作るつもりはないわ。おそらく、お婆様も作られたことはないと思うわ」


 レシピに記載されている薬草のいくつかは祖母が扱っているのを見たことが無いし、薬草棚に並んでいた記憶すらない。おそらく、このレシピは知識としての伝承だけで、実際に調薬することを目的としてはいないのだろう。


「レイラが見つけれくれたおかげで、ようやく私も正式な森の魔女になれたわ」


 目を細めて弟子の功績を称えてから、アナベルは火魔法でその紙を焼却してしまう。驚いた顔のレイラに対して、静かに頷いて諭す。「人を戦争の道具に変えてしまうような薬は、知識としても残すべきではないのよ」と。

 レシピの最後に祖母の字で記されていた「伝承すべき薬ではない」というメモ書きが、孫娘には元から伝えるつもりが無かったことを表している。師の本来の意志を受け継ぐのに五年もかかってしまったと、小さく微笑む。


「森の魔女は、恐ろしい魔女になってはいけないのよ」


 魔人を作り出してしまうという恐ろしい薬の存在に、レイラは思わず身震いしてしまう。アナベルも先代も製薬してはいないが、それ以前に作られた物がどこかに残っていれば大事では済まないだろう。


「残っていたとしても、お婆様のさらに前の時代の物だから、すでに劣化して使い物にはならないわ」

「なら、作れる魔女を探し出そうとする人が現れたら、どうされるんですか?」


 この世で上級回復薬が作れるのはアナベル唯一人。既にレシピは焼却したとは言え、彼女はそれを目にしているし間違いなく再現できるはずだ。

 争い事を願う者なら喉から手が出るくらいの薬が、森の魔女のレシピだと公になったらどうなるかと、レイラは師の身を案じる。


「大丈夫よ。その為に父が王都にいるんだから」


 不安げな表情になった弟子の顔を覗き込んで、アナベルは安心させるように笑って見せる。父親似だという栗色の少し癖のある髪が、ふんわりと揺れている。


 王都にいる父親は宮廷魔導師団の長だ。彼が王都にいる限りはアナベルが薬に関して国から公に呼び出されることはないし、グランの森の魔女の秘薬に関する記録も探し出して、とっくの昔に処分されていることだろう。


 秘薬を知る森の魔女である実母の身を護る為に、宮廷勤めを決めたアナベルの父。当時は母の為だったかもしれないが、今は愛娘の為に魔導師団を率いて、秘匿とされている薬の情報を監視している。万が一、おかしな動きがあればすぐに動いてくれるだろう。


「森の魔女の弟子だから、レイラも危ないのではなくて?」

「私は作れるほどの魔力は無いので――」


 問題ありません。とレイラは自信満々で答える。魔力が少ないことをを誇ったのは生まれて初めてだ。

 頼もしい弟子の姿に、森の魔女はふふふと嬉しそうに声を出して笑っている。


 隣接するホールでは子猫達がドタドタと駆け回る足音が響いている。あの聖獣達も存在が明るみになれば、戦力として利用される可能性が無いとも言えない。猫の光魔法は何よりも強い。

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