第2話 そして出会った。

 その時。



 恵奈の視界の隅に人影が映った。

 慌てて車を路肩に寄せる。


 浜辺の波打ち際に、背の高い人……男性だろうか……が上半身裸でぼんやりと立っているのが見えた。


 その人影はさざなみと海鳥の鳴く声が遠くに聞こえるだけの渚に、何百年も前からそこにいるかのように、静かに佇んでいる。


 否が応にも恵奈のテンションは上がった。

 人っ子一人いないこの町で初めて出会った“人“なのだ。


 まさしく、いつか観たテレビの番組と同じ第一村人発見!だ。


 悩む時間も惜しいと恵奈は車を降り、



「あの、すみません!」



 遠慮……など一切ない営業職の図々しさを発揮して怪しまれないようにできるだけ明るく声をかけた。


 その人はゆっくりと振り向いた。


 

 若い男の人だ。

 褐色の肌に鍛えられたしなやかな体。筋肉の筋が彫刻のように滑らかだ。

 思わず見惚れてしまう。


 だが。


 恵奈は声にならない声を漏らす。



 (ウソ……。すごいイケメン……)


 

 肢体も素晴らしい。けれどそれ以上に驚くべきはその顔だった。


 日本人でも、いやアジア人でもなく、西洋人でもない。黒人……にも見えない。

 どの人種にも当てはまらないのに、そのどれにも見える。

 なんと不思議な顔立ちだろう。


 そして。


 今まで見た世の中の全ての人よりも美しかった。

 全ての美しいものを集めて組み込んだらこうなるのか、と思うほどに。



(めっちゃ綺麗な人。でも、そもそもこの人、何人だろう……?)



 ふとした仕草にアジア系の血も混じっている感じはする。

 が、果たして日本語が通じるかどうか。

 恵奈は不安だったが、迷っている時間はない。トライしてみることにした。



「突然すみません。迷ってしまって。大浅鮮魚店までの行き方を教えていただけませんか?」



 男は片方の眉をかすかに上げ「そう。道に迷ったんだ」と応えた。



 恵奈は思わず息を止めた。

 彼から出た言葉は日本語だ。



(日本語が通じるみたい。よかった)



 そして何よりも……



(声がすごく……魅力的)



 高くもなく、低くもない。とても心地いい声だ。

 まるで極上の音楽でも聴いているように、耳にも心にも染みてくる。

 なんとも穏やかな声だった。


 男は空の青を取り込んだような瞳をきらめかせた。



 「ここに人が迷いこむなんて、珍しい事もあるものだ」



 男の言葉遣いに恵奈はほんの僅かな違和感を抱いた。



 (なんだろう? 古臭い? ううん。古風だ)



 まるで年上の上司、いや年寄りと話しているかのようだ。



 (今どき珍しい)



 だが、ここは過疎の町。

 外から人が来る事もないのかも知れない。

 町人は迷うことなんてないだろうし、と男の言葉にそれ以上考えることはしなかった。



「スマホが繋がらなくて。故障なのかも知れないんですけど……」

「スマホ……。それは困ったね」



 恵奈は男にスマホを差し出した。

 男はほんの少し眉を歪ませただけで触れようともせず、無機質な長方形の板をただ興味なさそうに一瞥しただけだった。



「申し訳ないけど、機械はよくわからないんだ。ここでは使うことがないからね」

「ここで使わない?」



 確かに電波は通じていなかったけれど……。



「スマホ、持っていらっしゃらないのですか? もしかしてガラケーも?」

「……持ってない。必要ないからね」



 おかしなことを言うものだ。

 スマホも携帯電話も現代人の必需品だ。老いも若きも長方形の板を手放さないでいるのに。


 まぁでもあえて使わない希少な人もいるのかも知れない。



(今、流行りのミニマリストなのかしら)



 確かにそれっぽくはある。


 だって(失礼だと思うけれどどうしても目がいく)素敵なむき出しの上半身と、ボトムは麻素材のパンツだけ。何よりも……ここが砂浜だからかもしれないが、足元は裸足なのだ。


 男は小首をかしげ、



「それで、君はどこにいくんだい?」

「あぁそうでした。えっと……」



 恵奈はもう一度、取引先の名前をあげる。

 かなり大きめなたななので、町人なら知っているはずだ。


 だが男の答えは予想を裏切るものだった。



「よく、わからないな。聞いたこともない」

「え……。そうなのですか」

「私は世情には疎くてね。ここにいると外のことはあまりわからないんだ。時の流れは、とても早いから」

「あ、はぁ」



(何? 哲学なのかな)



 見た目は最高にかっこいいし、アンニュイな雰囲気も素敵だ。

 けれど、訳がわからないことを言っている。

 普段ならスルーする相手だが、取引先に辿り着くにはこの人に頼るしかない。

 

 恵奈は泣きたくなるのを我慢して、根気よく訊ねてみた。


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