先輩に腐女子がバレました……。

朱ねこ

第1話

 恋愛には縁がなく、この二十七年間アニメやゲームに夢中だった。


 彼氏ができたことはあるが、オタバレをきっかけにフラれた。

 職場ではそこそこ仕事ができる方だし、人間関係を作ることだってそれなりにうまいと思っている。


 もちろん、オタクだということは職場の人間には隠している。

 知られたら馬鹿にされるに決まっている。


 小休憩に人気のない場所にあるベンチに一人で座り、漫画を読む。家に帰ってからでは体力がなく、平日は読むことができずに寝てしまうことが多いからだ。

 ブックカバーをつけた漫画を手に、一ページ目を開き、物語に没入する。


「おい」

「わっ」


 三分の一読み終えたところで不意に肩を叩かれた。驚いて後ろを振り向くと職場の先輩が私の肩に手を置き、立っている。

 先輩が視線を向けた先に気づいて慌てて漫画を閉じた。


 見られただろうか。ドキドキと高鳴る胸を抑えるようにブックカバーで表紙の見えない漫画を抱える。

 一瞬と捉えていいくらいの時間ではあったが、反応が遅れてしまった。見られたかもしれない。


 まずい。


 今日読んでいた漫画はBがLする漫画だ。開いていたページは攻めが受けに強引にキスするシーン。最初や最後の濡れ場ではないのは救いだが、他人に、特に男性に見られたくないところだ。


 人の気配に気づかないほど物語に没頭していたこと、そして、BL漫画を持ってきていたことを後悔する。

 今まで一度も気配に気づかなかったことはなかった。油断してしまったようだ。

 まだ少年漫画やときめきの詰まった少女漫画を読んでいるところをバレる方がマシだった。


「な、なにか?」


 動揺を隠せず、どもってしまう。

 先輩の眉間にはしわが寄ってはいるが、いつもと変わらない表情だ。


「今夜、飲みに行かないか? 二人で」

「え? なぜです?」


 大勢で行くならわかるが、二人で飲みに行く意味が分からない。私と先輩は特別仲が良いわけではない。業務関係でやり取りをし、たまに私が怒られ、重なった休憩時間に喋るくらいだ。


「なぜって。えーと、誘った人たちに断られてな」

「あぁ、なるほど」


 先輩が即答しなかったことを怪しく思い、やはり見られたのではないかと疑ってしまう。

 強面で厳しい先輩だが、面倒見がよく、部内では慕われている。相手がいないわけではないと思うのだが。


「どうだろう? 今夜、空いてるかな?」


 漫画の中身を見られていないと信じたい。あの一瞬だ。きっとはっきりとは見えなかったはず、そう思い直す。

 見えていたのなら、きっと何か言ってくるはずだ。


「えっと、予定を確認するので後で大丈夫ですか?」


 今夜は推しの配信があったような、なかったような。今日は金曜日だし、疲れが溜まっている。飲みたい気分ではあった。


「もちろん」

「ありがとうございます。では、戻りますので失礼しますね」

「ああ」


 立ち上がって先輩の横を通り過ぎた時、硬いものが当たったような鈍い音が背後から聞こえた。

 振り向くと、先輩が長方形の物を拾っている。はっとしてポケットを触ると出っ張りがない。


「落とし……、えっ」

「あわわわわわ!!!! 見ないでくださいーー!!!!」


 職場にも関わらず大声を上げる。

 しかし、時既に遅し。先輩の親指が画面を触ったまま、先輩は固まっている。


 見られてしまった……。


 最近のスマホは画面をタッチしただけで電源がつくように設定できる。だから、ロック画面をいつでもすぐに見れるようにしていた。

 推しカプの壁ドンを見るために。攻めの顔も、受けの恥じらった顔も、壁ドンした時のセリフも、もう推しカプを包む空気さえも、何もかも尊く、そのシーンをいたく気に入っている。


「……こういうの、好きなんだな?」


 引かれただろうか。馬鹿にされるのだろうか。気持ち悪がられるのだろうか。

 腐女子だと先輩にバレてしまった。


 驚いた様子の先輩から私はスマホを受け取り、動揺を隠すために笑みを作る。


「ええ、好きです。今夜一緒に飲みに行きましょう」

「え、予定は」

「それまで絶対にこのこと黙っていてくださいね」


 一方的にそう告げてデスクに戻る。時間はギリギリだった。

 見られてしまったからには口止めしなければならない。


 業務中、先輩が人と話すところを見ると、気が気でなかった。しかし、先輩の姿を視界に入れないということも出来ず、業務終了時間までずっと先輩を意識していた。


 変に気にしすぎて心まで疲れてしまった。

 定時で終えた私は先輩を待つ。奢れば黙っていてくれるだろうかと思い、財布の確認もした。


 少しの残業を終えた先輩を労い、共に駅前の居酒屋に入る。

 タッチパネルで注文をし、焼き鳥の皿が四枚と生ビール、カシスオレンジを店員が運んでくる。


 カシスオレンジで先輩の生ビールと乾杯し、グラスを傾ける。お酒に弱いのでカクテルくらいしか飲まない。ビールは苦くて好きじゃない。


「あの、誰にも言っていませんよね?」

「ん?」


 急に質問をされた先輩は首を傾げる。

 遠回しすぎただろうか。


「スマホのロック画面のことと漫画のことです」

「あぁ、言ってないぞ。あの慌てぶりから知られたくはなかったんだろうと思ってな」

「ありがとうございます……。よかったぁ」


 ほっと胸を撫で下ろす。気がかりで仕方なかったことの一つだった。


「珍しい姿が見れて嬉しかったよ」

「嬉しい?」

「そうそう。取り繕っていないとこを見れて嬉しい」


 よく分からない。まるで口説かれているような気がして、気恥ずかしくなった。


「……私が腐女子だということ、周りには秘密にしてもらえませんか? オタバレで人間関係に亀裂が入るのが嫌なんです」

「亀裂ねぇ」

「平和に仕事をしたいんです」


 先輩は串から焼き鳥の皮を横に引っ張るようにして食べる。

 腐女子だと陰で悪口を叩かれたり、噂されたりしながら仕事をするなんて真っ平御免だ。


「ここの会計私が払いますよ?」

「いいよ。奢りはいらない。内緒にしておく」


 無料で黙っていてくれるということか。

 希望の光が見え、頬が緩んでしまう。


 これで安心して仕事ができる!


「ありがとうございます!! 先輩優しいですね!」

「隠したいことを無下にするほど酷くねぇよ。言いふらした所でデメリットしかないしな」


 デメリットという言葉に引っかかるが、職場の雰囲気が悪くなったら、という懸念だろうかと考える。


「てか、あれ漫画だったんだな。小説かと思ってた」

「ええ、漫画好きでして」


 BL漫画と言わなくてよかった。社内でBL漫画を読んでいたとなると何を言われるやら。


 そういえば、結局、先輩が私を飲みに誘った理由はなんだったのだろうか。たまたま居合わせたのが私で、言い出しにくくて返事が遅かったのだろうか。


 話しているうちに頼んだ焼き鳥四皿がなくなり、先輩のジョッキは空になっていた。また追加注文をして、雑談をしながら焼き鳥を食べる。


 やはり本人に聞いた方が早い。


「今日、本当はなぜ飲みに誘ったんです? 何かあったんじゃないですか?」


 理由がないならないで、それでいい。モヤモヤする気持ちを早く取っ払いたかった。

 先輩が口を閉じてしまった。言いにくいことなのだろうか。


 真剣な目と視線がぶつかる。重大なことなのかと緊張してしまう。


「好きだ。俺と付き合ってくれないか?」

「はっ!?」


 予想外な言葉に間抜けな声が出る。聞き間違いか、空耳だろうか。

 顔が熱くなるのを自覚する。


「俺では、ダメだろうか?」


 自信がないのか、先輩の声が小さくなった。

 いや、先輩がダメとか、そういう問題ではない。


「……ふ、腐女子なのに引かないんですか?」


 社会人になってから付き合った彼氏は、オタバレ、腐女子バレをきっかけにフラれた。彼を信じていたから打ち明けたのだが、気持ち悪がられた。

 あれは酷く傷ついて、一晩中涙が止まらなかった。


「引かない。そりゃあ驚いたよ。いつも真面目で仕事熱心な君が、ああいうの好きなんだって」

「ですよね……」

「でも、好きなものを知れたことが嬉しいと思ってる」


 私の好きなものを否定されない。それは、私自身を認めてくれているということだ。

 先輩の言葉に安心して嬉しく感じてしまう。


 黙り込んだ私を先輩は不安そうに見てくる。


「どうだろう? 付き合ってくれるかな」


 腐女子と知ったのに告白してくれた人だ。信じてもいいのかもしれない。

 信じたくなってしまった。ぐるぐると考えて結論を出す。


「はい。でも、お友達からでお願いします」

「えっ? それは」

「考えさせてください」


 先輩のことが恋愛的な意味で好きというわけではない。人としては好きだが、恋ではない。でも、好きになりかけているようにも思える。


「望みがあるってことか!」

「えっ、えと、あるかもしれません」

「そうかそうかー」


 完全に浮かれているように見える。

 早く答えを出さなければいけない気がする。


「まずは、友達からですからね?」

「わかってる。精一杯、振り向かせられるように頑張るよ」


 わかってない気がする。先輩の嬉しそうな笑顔にドキドキしてしまう。

 

 選択を間違えただろうか。

 翌日から積極的なアプローチに私は色々な意味で困らされることになる。

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