プロローグ

「フェリシア・スワローズ。今日この時をもって貴様とのこんやくする」

 長かった。

 目の前で思い切り私をにらみつけているセス・キャボット殿でん

 しようしんしようめいこの国の王子様であり、絵本に出て来て少女達のはつこいをかっさらいそうなキラッキラの最上級イケメンである彼と五歳で婚約し、次期おうとしての教育を受け十六歳にまでなったこれまでの時間が、そうとうのように私の頭の中をめぐる。

 私は様々な感情をみ込み、押し殺し、いつも通りにやさしく微笑ほほえんだ。

「それが殿下のお望みでしたら」

 いつさいの言い訳もすがりもせずに受け入れた私を、殿下は強く睨み続ける。一方、そのとなりに立つ新たな殿下の婚約者となるのだろうリリアナ様は可愛かわいらしくまどった顔をしている。

 そのどちらの反応にも目立ったリアクションを取る事はせず、私は二人に背を向けた。婚約者に婚約を解消されたわいそうな女なんて思われないように、背筋をばしりんとして歩く。

 まだいけない。

 まだ、表情を、くずしてはいけない。

 すっかり二人から私の姿が見えなくなっただろう学園からはなれた所まで歩いた私は、辺りにひとかげが無い事をかくにんするとさっとしげみの中に入り…くずおれた。

 もういいよね。まんしなくていいよね。ずっとがんって来たんだから……いいよね。

「ふ、ふふふふふ! やっと! やっと婚約破棄してくれたわ!」

 ああもう、さっきから、込み上げて来る笑いをおさえるのが大変で大変で仕方なかった!

「これでシナリオしゆうりよう、めでたくバッドエンドね! まったく、私は王妃なんてまっぴらごめんなのよ! 俺様な性格だってだいきらいだし、将来のはんりよが強制的にそれなんて絶対いや! そもそも貴族暮らしからしてしように合わない! シナリオ通りならこのまま私の両親は私を切り捨てて私一人が平民降格になるはず…婚約破棄は向こうからだから家にめいわくはほとんどからない! つまり両親や義理の弟からうらまれまくる事もない! これから私のハッピー平民自給自足ライフが始まるの!」

 私はちがってもだれかに聞きとがめられないようにと、ちよう小声早口なのに大笑いするという器用な事をしながらフィーバーした。

 これまで私は殿下の婚約者として次期王妃としてスワローズ家長女としてこうしやくれいじようとしてと、おしとやかにはじとならないようにしなければならなかった。だけどそれももう後少しで無くなる。もうすぐ! 私は解放されるの!

 私はテンションは高いままながらはしたなく大笑いするのをすっとやめる。そしてくうに向けて両手を合わせた。

「ありがとう、リリちゃん。私をめてくれて」

 がみたたえるような気持ちで、私はさきほど殿下の隣に立っていた可愛らしい女の子、こっそりと脳内でリリちゃんと呼んでいるはくしやく令嬢リリアナ・イノシーちゃんへと感謝のテレパシーを送る。もちろん私にテレパシー能力は無い。こういうのは気持ちだ。

 リリアナ・イノシー。彼女は本来であればこの世界──この〝ゲーム〟の〝悪役令嬢〟であり、〝主人公〟である私に負け、むしろ今の私のように殿下に追いめられる立場となる運命だった。

「あの殿下、性格が俺様な時点で私には友人になるのも無理なタイプだったけど、リリちゃんは本気で好きみたいだし…うん、きっとてきな王妃様そして国母になってくれるって信じてる。頑張って」

 私は無責任に他人ひとごととしてリリちゃんの幸せを願った。なんて自分本位。なんて最高な立場だろう。今の私は身軽、この一言にきる。羽が生えたようだ。むしろ今までが常にかせ足枷で生きていた。

 感謝するだけ感謝した私は、さっさと頭を切りえて今後の生活をおそらくらんらんとしているだろう希望に満ちた目で夢想し胸を高鳴らせる。

「私はゲーム通りに行けば平民降格でその辺の町に家だけあたえられてほうり出されるはずよね。ゲームでのリリアナはそれが死ぬ程くつじよくだったみたいだけど、私にはごほうだわ。住居ももらえるし、一年は遊んで暮らせるぐらいお金ももらえるし、むしろこれっていたれり尽くせりよね。前世と同じでパン屋さんで働きたいなぁ。スタッフしゆうしてないかなぁ」

 我ながら独り言がとんでもない事になっているけど、これは今まで表には出さず我慢し我慢し我慢し続けて来た反動が出ているだけだから、今は許してほしい。と、誰にするわけでもない言い訳を一つ。

「ああ、正式に婚約破棄が決定するのと家と学園から放り出されるのはいつかしら! ゲームでは後日談としてさらっと流されちゃっていたからわからないのよね! この先を知っているからわくわくは出来るけど、放置プレイが長過ぎると決定前に飛び出しかねないわ!」

 私はわくわくわくわくと草の上をごろんごろん転がり騒ぎ、最後に思う存分感情を発散させる。ひとしきり満足が行くと、乱れたかみや服装をささっと直し一見茂みから出て来たようには見えないだろうゆうさで茂みから出た。

 それからかんぺきな所作で学園に向けて歩き出す。

 フェリシア・スワローズはまだ家を放り出されていないし、正式には殿下の婚約者のままだし、レディローズと二つ名をとどろかせる完璧な公爵令嬢だ。

 私が本来の私として生きて行けるのは、もう少し先。ちゃんとわかっていましてよ。このドレスについた草や土のよごれと木の枝にっかかったほつれは、うっかり転んでしまっただけなのです。完璧令嬢のレディローズとはいえ、この程度の失敗はありますわ。ふふふ。


   ● ● ●


 私、フェリシア・スワローズが人とは違うと自負している所を二つ言おう。

 一つ、演技力。つちかったけいは二つ目との関連性が大き過ぎるから省くとして、十六歳というねんれいで私程の演技力を日常から発揮し周囲をあざむける人間はそう多くないと思う。

 二つ、私には前世のおくがある。これだけ言うと頭がイかれているようだけど、さらに我ながらイかれていると思うのが、前世で私は今自分の暮らしている世界と自分や周囲のいくにんかが登場するおとゲームをプレイしていて、その上今の私の立ち位置がそのゲームの主人公そのものという所だ。

 乙女ゲームとは、プレイヤーが女の主人公をあやつり男のこうりやく対象キャラクター達から好かれるようにシナリオを進める、れんあいする事を目的とした恋愛シミュレーションゲームを指す。私が居るこの世界、その元となった前世で私がプレイしていて大好きだった乙女ゲームの名前は『救国のレディローズ』という。生まれ変わった当初、私はこの世界がその『救国のレディローズ』、つうしようレディロの世界でさらには自分がその主人公として生まれ変わっただなんてまったく思っていなかった。

 その大きな理由は、レディロが主人公の名前を自分で決めるタイプのゲームで、デフォルト名…あらかじめゲームに入力され決められている名前が無かったからだ。

 おかしいと思う要素だけならいくつもあった。外国人、しかも超金持ちの家に生まれたのはいいとして、スワローズなんてめずらしい家名だとは思ったし、国名に聞き覚えがある気がしたし、周りの人はみな洋風顔としきさいなのに言語や書き言葉が日本語だった。文化レベルにしても、前世の世界を少し過去にもどしたようなもので、そのくせ前世とはみように違うまるで意図的にずらしたような違いがある。ほかにもこの世界にはフランスという国は存在していないのにフランスパンが存在するだとか。私の前世の世界と関連した世界なんだろう、平行世界のようなものだろうか? とは思っていた。

 それはそうと、前世の記憶というか常識的価値観を幼いころから持っていた私は、生まれ変わった直後の記憶こそはっきりとは覚えていないけど、両親が権力大好きなクズであると気が付いた。さらには両親の視線言動その他もろもろで自分が愛されていないし道具としてしか見られていないのもわかってしまった。そんな両親から、望んでもいないぜいたくの対価にと貴族の義務を押し付けられる生活が、私は嫌でたまらなかった。…この時点でもうすでに、私は家からげたいといつも思っていた。

 そんな私がこの世界の事にようやく気付いたのは五歳の時。勝手に親に決められたこんやくしやの俺様殿でんことセス・キャボット様に会った時だ。五歳だったけど、彼は明らかに見た目も中身もレディロのメインヒーローだったのだ。一目見たしゆんかん気付かざるを得なかった。この世界が『救国のレディローズ』だと。

 ところで私は、俺様な性格というものに前世の兄のせいで激しいきよぜつかんがある。天才で完璧で要領良く周りすべてを味方にするお兄ちゃんには、それはもう私の人格形成に大いにえいきようを与えてもらった。前世であり過去でありどうしようもない事であるとはいえ、今世でも忘れられようもない盛大なトラウマだ。おかげで前世の幼少期のころから演技力をみがけて、今世でも磨いた分と合わせて中々の特技になったとは思うけど。

 そんな訳で、私は前世でレディロをプレイした時も俺様殿下セス様のルートは各エンド一周だけしかしていない。こんな事口に出そうものならちゃんと全エンドやっているんじゃねぇかよと思われそうだけど、他のキャラのルートだと全員各エンドふたけたは軽くやっているので察して欲しい。ただのレディロファンとして一応目を通しただけなのだと。

 さて、俺様殿下と婚約しこの世界をレディロとにんしきし、俺様殿下なんてごめんだわと必死にけようとした私だけど、名前だけの婚約ですとは残念ながら行かず、仲良くなるんだぞと言わんばかりに殿下と二人きりにされ放置される事が多々。親から愛されていないとはいえ、自ら殿下に無礼を働いて両親からしつせつかんされるなんて絶対にいやだったし、ちゆうはんに婚約だけされ、家でかたせまい思いをしながらもしばり付けられ自分より二回りも歳上の悪評高いロリコン男と無理やり政略結婚させられるのも嫌だった。

 だが、そんな私の思考なんてつゆ知らず俺様殿下あのろうはこれまで俺様我がままざんまいを思う存分発揮してくれやがり、大人のゆうを合い言葉におだやかに微笑ほほえむ私を何度キレさせかけた事かわからない。もし同程度の身分差だったら一日三回はぶんなぐっていかねなかった。この世界の王族の権限が強過ぎるお陰で俺様殿下は命拾いした。

 一応ちゆうしやくさせてもらうけど、私は別にキレやすいわけじゃない。に顔だけはらしくいい殿下のイケメン補正が俺様属性へのかんによって丸ごと消され、いつさい効かないだけだ。

 そんな私の天敵である婚約者、そしてそれと結婚させるためにと厳しくなる教育、望んでもいないのにおうになる責任と重圧。えられる訳がない。婚約者を心の支えに出来そうな気がまるでしないし、むしろストレス倍増でたおれそうだし、親からの精神ケアも期待出来ないし、そんな不安とけんだらけで勉強にも身が入る訳がないし、王妃になりたくないし、婚約者嫌だし…。……このように無限ループの嫌嫌嫌に取りかれた私は、何としてでも逃げようと決意した。

 それが六歳の時。今から十年前だ。

 そうなると次の問題は、どう平和的に、出来る限り自分の負担を少なく婚約を解消し、家から逃げ出し生きて行くか、だ。

 しかしなんと、その方法も手段も最初から私は知っていた。夜中しんけんに泣きながら考えていた六歳児は、それに気付いた。

 レディロの悪役れいじよう、リリアナ・イノシーが、ゲーム内で主人公と俺様殿下セス様とのハッピーエンドで辿たどる事となる、家を追い出され平民に身分を落とされるその終わり方はまさに今の私の理想そのものだと。

 しかも! 願っても無いことに、リリアナは俺様殿下セス様が好きだからと婚約者である主人公が気に入らず嫌がらせをしまくる。それに主人公はそんな事やっていませんわと否定し続け、けなひたきに立ち向かい、見事俺様殿下セス様のしんらいを勝ち取り逆にリリアナの今までの嫌がらせやきよげんが発覚し、リリアナが罪をあばかれる。ハッピーエンドの俺様殿下セス様ルートはそういうストーリーだ。なんだけど…これはつまり、私が否定せず全こうていしちゃえば、リリアナの立場にそっくりそのまま私が成り変われる可能性があるという事だ。

 気付いたたん大興奮した私は、それからの俺様殿下の我が儘三昧も王妃教育も冷めた生活も重圧も耐えた。耐えて耐えて、学園に入学しいとしの悪役令嬢、いや私を助けてくれる天使令嬢リリちゃんを一目見た瞬間こいに…は落ちなかったけどうれし過ぎて泣きそうになった。元々社交界なんかでリリちゃんと面識はあったけど、ゲームのたいで会った事で希望が胸を満たしるいせんげきされてしまったのだ。俺様殿下との日々により余計にきたえられた演技力が仕事をし、表情筋がほぼ自動でゆうな微笑みを作ってくれていなければ大変なところだった。

 それからの日々、私はリリちゃんが嫌がらせをして来るたびにこれが私の幸せへのせきかと思えて本当に嬉しかった。リリちゃんは、自分が俺様殿下にどんなうそいて私の評価を下げてくれたのか、胸を張ってちくいち報告してくれた。その度に私はありがとうと伝えたくて仕方なかった。

 しいて心残りを挙げるなら、私が俺様殿下の婚約者だったばっかりにリリちゃんにきらわれ、これからもじやな女だったと思われ続けるんだろうなって事だけだ。

 さて、そこそこ搔いまんだ私の人生の回想はここらで終わりにしよう。

 なんといっても今この場所は裁判所。私が居るのはこく席なのだから。

「では、フェリシア・スワローズ嬢。この婚約解消に異論は無いかね」

 静まり返った裁判所、正式な場で私の待ちに待った言葉で陛下が問う。問うというにはそのの音にはもんが聞き取れず強制力があったけど。でもいい。元から私は一切異論を申し立てる気など無いのだから。

 私は真っぐに陛下の顔を見返した。その顔は私よりよっぽど情けなく、だんやさしいけれどげんにじみ出ている陛下には似つかわしくなく、まゆが下がっている。私の今後を心配してくれているのだろうか。

 思えば陛下にもお世話になった。立場上あまり会う機会が多かったとは言えないけど、私は心優しいこの方が好きだった。前世ふくめ私が今まで出会って来た中で一番優しい大人を挙げるとするなら、私は陛下を選ぶだろう。前世も今世もろくな大人とかかわれなかったせいでもあるけど。ああ、きっともう二度と会える事はないだろう。さびしいな。

 それでももちろん、私の答えはただ一つ。

「はい、いませんわ」

 今この時をもって私は! 晴れて! 自分にとって最低最悪な未来からのかいに成功したのです!

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