第6話 少女と鬼の邂逅

「――くしっ!」


 ほぼ崩れた、家としての体をギリギリで保っているだけの小屋で、アリスは目を覚ました。

 どうやら硬い床の上だったけれど、眠っていたらしい。ユースウェインが張ってくれた人避けの結界があるために、一晩を安全に過ごすことができたが、どうやら結界は朝方の寒風までは防いでくれなかったらしい。

 やや冷えた体をぶるっ、と震わせ、アリスは起き上がる。

 思えば、昨日は色々なことがありすぎた。そのせいで、アリスも疲れていたのだろう。でなければ、家族を目の前で殺されながらにして、眠ることなどできるわけがあるまい。

 その、最大の理由――それは、アリスの騎士、ユースウェイン。


「夢……じゃない、よね?」


 もしかすると、昨日の出来事全てが夢なのではないか、とすら思ってしまったが、そんなことがあるわけがないだろう。

 夢ならば、今頃アリスはいつもの寝床で起き上がっているはずだ。このように崩れた、屋根がないせいで雨風すら凌げない小屋で目覚めるはずがない。

 だからきっと、昨日の邂逅はアリスの夢ではない――そう考えても、どことなく不安が拭えなかった。


「えっと……」


 ユースウェインは、なるべく早く戻る、と言っていた。

 だが、夜が明け、日が上っている今に至っても、戻ってきていない。

 だからこそ、不安になってしまうのだ。もしかすると、アリスの元にはもう戻ってきてくれないのではないか、と。

 そして同時に、ユースウェインが戻ってこない限り、アリスはここから動くことができない。

 もしも戻ってきてくれたときに、アリスの姿がなければユースウェインは心配するだろう。

 そんなことを考えているうちに、アリスの腹がきゅる、と小さな音を立てた。


「……おなかすいた」


 思えば、昨晩の野盗の襲撃から、何も食べていない。あの襲撃自体が、夕食を食べている最中だったのだ。全部食べたとしても満腹にならない質素な食事を、しかも途中で終わらせているのだから当然である。

 だが、近くに食べられそうなものは見当たらない。むしろ、こんな場所にそんなものが置かれているはずがないのだ。誰だって、食べることに苦しんでいるのだから。

 きゅるる、と空腹は食事を求めるが、しかしアリスは動かない。


 ユースウェインは、きっと戻ってくる。

 だからユースウェインが戻ってきたら、一緒に食べられそうなものを探しに行こう。きっとユースウェインは大きいから、アリスよりもたくさん食べるだろう。

 そして、空腹感を心の奥に奥に追いやって、代わりに考えるのは別のこと。


「……わたし、なんか、すごいこと言っちゃった」


 ユースウェインに言われたから、と言われればそれまでだが、アリスは間違いなく昨夜、自分が皇帝になると言った。

 どうすれば皇帝になれるかなんて、何も分からないのに。

 そもそも、今日の食べ物にすら困窮しているというのに、そんな簡単に皇帝などという最高位の身分に立てるはずがないだろう。

 夢物語。

 ただの農奴が、目指す未来なんてないのだから。


「うーん……」


 ユースウェインは、彼がその力になると言った。

 平和を望むならば、どこまでも従うと、そう言ってくれた。

 ならば。

 ユースウェインの思う、その道を進まなければならない。


「まぁ」


 考えても仕方ない。だからこそで、アリスは思考を手放した。

 そもそも、農奴であり子供であるアリスに、難しいことはよく分からない。そんなことを教えてくれる相手なんていなかった。むしろ、そもそも知っていそうな相手など周りに存在しなかったのだ。


「わたしが皇帝になるなんて、無理だよね」


「んーん、無理じゃないよ」


 びくっ、と突然現れた声に、アリスは背筋を震わせる。

 このあばら家は、ユースウェインが人避けの結界を張ってくれているはずだ。だというのに、突然の声。

 このような農奴がそんなことを口にすれば、それこそ死罪となっておかしくない。

 恐る恐る、アリスは振り向く。

 そこに、いたのは――。


「やほー。ミナリアちゃんでーっす」


 何故か。

 右手の指を二本立ててその間を広げ、横向きにした指の間に右目が入っている状態で、左手を腰に当てるという謎の姿勢をした――巨人が、立っていた。


「ひっ――」


「あー、叫ぶのなしなし。ウチね、ユースウェインの知り合い。あいつちょっと事情があってね、あと二時間くらい帰ってこれないのね」


「……ユース、ウェインさん、の?」


 思わぬ存在に叫びかけたが、巨人――ミナリアの取りなしで、どうにか心を落ち着ける。

 ユースウェインも巨人だったが、このミナリアは更に頭一つ大きいのではないか、とさえ思える。更に、額から一つ生えた巨大な角が、その威圧感を増強させていた。

 例えその顔立ちが可愛らしい美少女のそれでも、アリスにすれば恐怖以外の何も感じない。


「あー、えっとね。ウチら一応事情があるんだよね。仕事……ええと、何て言えばいいのかな。まぁえっと、ユースウェインって今、君の……あれ? 君って名前何?」


「わ、わたしは、アリス、といいます……」


「ん、アリスちゃんね。ええと、ユースウェインは今、アリスちゃんの護衛みたいなやつでしょ?」


 ミナリアの言葉に、アリスはこくり、と頷く。

 詳しくは分からないけれど、ユースウェインはアリスの身を守ってくれている存在だ。もしもユースウェインがいなければ、今頃夜の森で獣に襲われていたかもしれない。

 だからこそ、今、アリスにはユースウェイン以外に縋る相手がいないのだ。


「でもね、それには時間制限があるのね」


「制限……ですか?」


「そそ。ウチらはこの世界の住人じゃないわけ。で、向こうの世界のルール……ええと、規則があってね。向こうの世界に一度帰ったら、八時間は戻ってこられないの」


 アリスは首を傾げる。

 ユースウェインとミナリアが、この世界の住人でないことは分かる。少なくとも、これほど大きな人間など存在しないだろう。それこそ、伝説や寓話の中にしか存在し得ないものだ。

 だが、向こうの世界に帰ったら、八時間は戻ってこられない、というのがよく分からない。


「えっと……」


「うん? なんか疑問? おねーさんが答えてあげるよん」


「な、なんで、ユースウェインさんじゃなくて……その、ミナリアさん、が?」


「あー、そこ気になる?」


 はー、と大きく溜息を吐いて、ミナリアが腕を組んだ。

 その所作一つ一つが大きく、大した動きをしているわけでもないのに、アリスはついびくっ、と身を固めてしまう。


「本当はね、ユースウェインも先に戻って、それからウチを紹介するつもりだったみたいなんだけどね」


「……はい」


「でもね、八時間ってけっこー長いわけ。んで、ウチらは食べ物なんて無くても平気なんだけど、アリスちゃんはお腹減るでしょ?」


「……はい」


 思わず、そんなミナリアの言葉に、頬が熱くなる。

 だが、実際に空腹であるため、否定することはできない。


「だからウチが先に来てね、なんか食べるものでも用意しとこうと思って。ほら、お腹減ってる子供を置いとくって、ネグレクトだよネグレクト」


「ねぐれ……?」


「まぁ気にしないで。とりま、ウチがてきとーに何か食べれそうなもの採ってくるから、ちょい待ってて。まぁ、ウチ食べれるか食べれないか区別つかないんだけど、果物的ななんかがあればいーのかな?」


 ミナリアはそう言いながら、アリスに背を向けようとし。

 っとと、と言いながら、もう一度アリスへと振り返った。


「んで、ごめんごめん、忘れてた」


「へ?」


「アリスちゃんが皇帝になれるかどうか、だけどね。なれるよ」


「……え?」


 それは、先程まで考えていた疑問。

 決してなることなどできないだろう、そう思っていた。

 だが。

 ミナリアはあっさりと、なれると言う。


「ど、どうやって……?」


「ん、簡単な話、民衆ってのは一つの塊なわけね。んで、それを動かすのが施政者。まぁいわゆる支配階級ってやつかな。でもそんな、民衆の上に立つ人間なんてねぇ……ぶっちゃけ誰でもいいの」


 ミナリアがそう言ってくる言葉の、半分も分からない。

 だけれど、上に立つ人間など誰でもいい――その言葉は、しっかりと聞こえた。


「支配される側の要求ってのはね、意外に単純なものなわけ。これが時間を重ねると、人間ってのは欲深いから、もっと、もっとって求めてくるけどね。でも、食べ物、住処、安全。この三つさえ確保していれば、文句は言わないよ。あ、もしかして一番上に立つのが難しいって話? それは別に、王位を簒奪して家臣ごと粛清すればいい話でー」


 つまり、とミナリアは一本指を立てて。


「この辺を支配している、一番偉い奴を倒します」


 その指を折り、もう一度戻す。


「そうなると、次に偉い奴が一番になります。それも倒します」


 さらにもう一度折り、そしてもう一度戻す。

 そして、その動作を繰り返し。


「これを、アリスちゃんの番が来るまで、繰り返せばいいだけ。ね? 簡単でしょ?」


 その微笑みは無邪気な少女のそれで。

 しかし、その奥底に。


 人でない、闇よりも深い、仄暗い何かが見えた気がした。

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