第五服 晴成厩府(伍)

せいきゅうなり


 粗野で文盲である元盛を全く莫迦にしない高国を元盛は神仏の如くとは言い難いが、かなり敬っている。高国の命とあらば、死地に赴くのすら躊躇ためらわぬであろう。


兄上波多野元清……」

四郎香西元盛、無礼はならぬぞ、無礼は」


 いいのですか?という顔をして、賢治が元清を見やる。元清は目でそれを制し、元盛は手をひらひらと泳がせて、大丈夫だと返事をしているのだろうが、フラフラと上座に出ていく様を見ては心配が募るばかりだ。元盛が急に立ち止まり、自らの頬を張った。その様子を微笑ましそうに見守る元清と心配ばかりな賢治。なんだかんだと仲の良い兄弟である。


五郎柳本賢治四郎香西元盛とて宴の席で無礼はいたすまい。それはそれとして、今日の酒は柳酒よ。酒を好まぬとはいえ滅多に呑めぬ諸白ぞ。少し味わっておくが好い」


 柳酒というのは京の造り酒屋の銘である。五条坊門西にしのとういんの柳酒屋の澄酒で、京随一の美酒といわれる。流石に全員には振る舞えないようで、元清が手にした瓶子には赤の結びが付けられている。


 上座の者たちだけに出されたのだろう。元盛と賢治の瓶子には赤い紐は結ばれていない。


「では、一献」


 濁酒を無理矢理呑み干し、酒盃を盃洗にくぐらせて清め、柳酒を注いでもらう。


 柳酒は七曜星紋を商標にして売り出した超高級品である。柳酒屋一軒の納める税だけで、幕府の酒税の一割に相当したといわれていた。


「ほう、これは美味い」


 賢治の酒盃に注がれた柳酒は、黄金色をした甘味のある酒である。現代でいうりんを薄めたような色をしており、味醂よりは甘くなく、清酒よりも甘みが強い。


「であろう? 右馬頭細川尹賢殿も奮発されたものだ」


 客に振る舞われる酒や肴は御成を受ける家の者が用意する。用意したものを献上し、将軍家で検品をした上で供されるようになっていた。


四郎左香西元盛。酒は足りておるか?」


 上座では高国が酒を注ぎに来た元盛の相手をしはじめる。元盛はどっかりと高国の前に座り込み、注いでは呑み、注いでは呑みを繰り返していた。


武蔵守細川高国様、既に我が瓶子は空にございます!」


 ガハハと豪快に笑う元盛。瓶子を逆さにして上下に振ってみせる。稚気といえば稚気だが、それ故に一本気であり、策を弄するような真似はすまいと安心できるところが高国は気に入っている。


「そうかそうか、では、私の酒も呑み干すがよいぞ」


 高国は赤の紐が付いた瓶子を元盛に渡す。

 元盛は受け取って律儀に引盃に注いでいく。


「こ、これは澄酒ではござらんか!」

「如何にも。柳酒ぞ」


 驚く元盛に、高国は不思議そうな顔である。というのも、高国は尹賢から今日の酒宴は柳酒屋の澄酒と聞いていたからだ。


「我らは濁酒で御座った!」


 澄酒をクイッと一息に呑み干しながら、ギロリと尹賢を睨む。


典厩細川尹賢殿! 貴殿は我ら新参者には澄酒を呑む資格はないと仰るか!」

「ち、違う、そうではない。澄酒は稀少ゆえ皆に行き渡らなかっただけのこと」


 尹賢の狼狽えた様子を見て、高国は致し方無しと助け舟を出すことにした。


「尹賢、上座と下座で酒を変えたこと、瓶子の紐を見れば明らか。何らかの事情があったのであろうが、下座の者からすれば不満は残る。孫右衛門波多野元清あたりは察しておろうがの」

「面目次第も御座いませぬ……」


 高国の言い様に項垂れる尹賢。

 その様子をみて、どうだ!と言わんばかりの元盛に、高国も苦笑いだ。


「だが、四郎左香西元盛も声高に非難するものではない。相手の胸中を察すべきであるが、其方そのほうには難しいか……」


 軽いお叱りを受けて項垂うなだれる元盛。面目を潰された尹賢は高国の視界の外から元盛を睨んでいる。


「二人共、私が恃みとする懐刀ぞ? もそっと仲良う出来ぬのか」

「ははっ!」

「申し訳御座いません」


 尹賢と元盛が平伏した。


 元盛にとって尹賢は気に喰わぬ奴ではあるが、高国の命とあれば、仲良くしなければならぬと不承不承頷いた。


 しかし、尹賢の表情からは何も伺えない。感情の消えた顔を伏せて、声だけはさも申し訳なさそうに謝るのであった。

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