第五服 晴成厩府(肆)

せいきゅうなり


 養子と猶子では意味が大分違う。


 義晴の考えは歳近い者たちを周りに置きたい一心であろう。高国は宮寿丸を己にとっての尹賢と同じ役割を担わせ、次の世代の舵取りをしやすくさせてやりたかった。出来れば稙国に付けたかったのだが、近頃病勝ちであり、万が一を考えれば虎益丸と宮寿丸に誼を作っておくことは悪いことではないと考えた。家督継承権のある養子では問題があるが、猶子であれば問題にならない。それに虎益丸を元服させれば野州家の当主となり、勢力強化にも繋がる。付き合いの長い尹賢には高国の思考が見えるようだった。


 敏い――。


 改めて高国の天才的な政治感覚におののきながらも、高国を支えることへの歓びも一入ひとしおである。


「さぁ、慶事に慶事が重なったぞ! 皆の者、今よりは無礼講といたす。自由に飲むがよい」


 義晴公がそう宣言すると、一座が喜びにどよめき、至るところで酒の注ぎ合いが始まった。


 無礼講というのは、「礼講を無くす」の意味である。礼講は神事で身分の高い参列者から順番に酒を飲む作法のことで、これが儀式にも転用され、序列順に注がれるまで酒を飲むことが出来ないものであった。無礼講の始まりは、悪党どもを味方に引き入れた後醍醐帝であるともいわれるが、これは軍記物の『太平記』の影響である。実際には、日野すけともと日野としもとが開いた茶会に分不相応な服を着て参加したのが史料に残る最初の無礼講である。その話を耳にした後花園帝は眉をひそめたという。


 以来、儀式の後の宴では最も身分の高い者が無礼講を宣することで、各々が自由に飲む風潮が武家の間に広まっていった。決して何をしていいという訳ではなく、各自随意に飲むがよい――という程のことである。


 ブツブツ文句を言いながら臨席していた元盛だが、無類の酒好きであり、この時を待っていた。


「よし! 飲むぞ。注げ、与五郎柳本賢治!」


 盃を一気に空け、賢治の前に引盃を突き出す。賢治は嘆息を吐きながら、瓶子を抱えて濁酒を注いだ。いつもはやき土器かわらけで作られた盃だが、今日のものは朱色の漆に覆われている。朱盃に白い酒は慶事の紅白の意味であろうと連想した。


 二度、三度と注がされる賢治。一息で呑み干す元盛。


与五郎柳本賢治も飲め!」

与四郎香西元盛兄、私が酒を得意とせぬのを知っておるであろうが」

「いーから、飲め!」


 無類の酒好きであっても、蟒蛇うわばみではない元盛は、既に目が坐りはじめている。肩を落としながら、致し方なしと、盃をかざす賢治。


「一杯だけですよ……あぁ、その辺で」


 まだ注ごうとする元盛を制して引盃を上げると、元盛も瓶子を引いた。物が大切である時代のこと、如何に粗野な元盛といえども、作法を知らぬ訳ではない。引盃に瓶子を当てては、酒の注ぎ方も知らぬと莫迦にされてしまうところだ。


「まだ、半分も注いでおらんぞ?」

「私は酒が苦手なのです」


 忘れたのですかと言わんばかりの顔をして、半分ほど注がれた引盃に口をつけて舐める程度の賢治。


「お前も兄者波多野元清のように飲んでくれりゃぁ愉しいものを!」

「なんという無茶を」


 あの枠と比べてくださるなという顔をして舐める賢治。元盛は、つまらんとばかりに瓶子を抱え、手酌で飲み始める。そこへ、当の元清が寄ってきた。


四郎香西元盛、酒は程々にしておけ」

「わぁーってる、わぁーってる!」


 元清は丹波波多野氏の二代目で、父・清秀が丹波守護代うえはらひでもととして活躍しており、家督後、酒井氏や中沢氏を破って波多野氏を丹波有数の勢力に押し上げた。波多野は清秀の母方の氏であるという。


 兄弟で波多野・香西・柳本の三氏の当主となり、列席していることが元清にとっては誇りであり、いずれは丹波を手中に収めることを考えてもいる。高国陣営では、兄弟三人揃って列席できる内衆は他にはなかった。それもひとえに高国から元清・元盛・賢治への信頼が篤い証である。


「さて! 我が君にも一献!」


 赤ら顔で元盛が立ち上がる。

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