第四服 晴遷三坊(伍)

せいさんぼううつ


 なりで使われる道具を運ぶのは御供衆の茶湯奉行だ。御供衆は大名家の一門の者らが多く、御供之衆とは身分が大分違うのだが、彼らは専門家ではないため、中に入ってからは御供衆が担うことになっている。


 先方の見取絵図を見ながら道具の選定をし終えていても、勝手の道具も運び入れなければならない。忘れ物があってそのいえで借りる訳にはいかなかった。一つ忘れても気軽に取りに帰ることなどできない距離である。万が一に備え予備も持っていくのが習わしであった。同じものが幾つもあるわけでもないから、予備は一式すべてを用意する。御成では、相手方の道具を使うことは一切なく、あくまで全てを用意していくのだ。「雖不使不要矣使わずといえども要らかがらず」とは御供之衆らの間で口伝されていることである。


 将軍の使う道具は将軍家が持ち出し、場合によっては、その中から下賜する物もでてくる。故に品物は保管箱の附属品――これを次第というが――にいたるまで完全に整えておかなければならない。欠けていては将軍家の面目を潰してしまうからだ。ふと千阿弥が茶入の次第を見ると、茶入の仕覆が一枚欠けているようだった。


「歳阿弥、この小壺茶入の裂が足りぬようだが……」


 道啓の手許には開けられた包がある。仕切られた箱の中に空きがあり、本来入っていたはずの仕覆しふくが無くなっていた。


 茶入は現代において縮緬のもつぶくろに仕舞われており、仕覆が二つ付くのが一般的な次第であるが、この当時縮緬はまだ存在ない。縮緬が日本に入ってくるのは南蛮交易が盛んになってからのことで、十六世紀末頃の話であった。ちなみに縮緬ははじめ堺に伝わり、京から避難していた職工らが織り出したもので、彼らが西陣に戻ると京縮緬が主流となる。その後、丹波や長浜に伝わり、全国へと広がっていった。


 茶入は、休めの仕覆――御物袋に入れられていた。仕覆とは、名物裂で仕立てられた飾袋かざりぶくろで、座敷飾りにする際、これに入れて飾り付けることになっている。添えられた茶入盆と牙杓げしゃくも一つの箱に収められているのが名物の証で、更に言えば、仕覆には替えの裂地――これを帛紗という――をつけることが決まりであった。これに対し御物袋は手前に使われることのない収納のための袋である。


「おかしいですな。確かつがりが解れかかっていたはずで……」

「先日袋師にお預けになられました」


 道奕の横にすっと入ってきたのは万阿弥であった。手には塗りの手箱を抱えている。万阿弥は歳阿弥道奕の妻の一族で、歳阿弥の弟子の中では筆頭であり、同朋十一家の一つである万阿弥家の養子となっていた。


「そうであった、そうであった。千阿弥さま、こちらは修繕に出しております。つがりがよろしくないと以前、相阿弥様が仰られておられたのですが、さき様の御騒動で修繕に出すのが遅れておりましたものを、こちらに移りましてお出しいたしました」

「そうであったか。では、代わりのものを出しておいておくれ、万阿弥」


 万阿弥が、体の向きを変えて頭を下げる。


「上様のお気に入りをお出しなさい」


 万阿弥が了承の会釈を返した。親族であってもここでは他人行儀を崩さない。当り前だが難しい。それが性に合わず飛び出した者もいる。千阿弥は少しだけ自由を愛した弟を思った。


 歳阿弥と万阿弥の様子に満足しつつ、道啓は忙しなく茶を点てに向かった。場末之衆が迎えに来ていたからだ。


「今度の上様も茶がお好きのようだ」


 それは同朋衆の安泰を約束してくれる。義晴公には、戦や政争に巻き込まれず、長く在位されてほしいと願わずには居られなかった。文化とは平和な時代にこそ花開く。建武の新政以後、騒乱が断続的に続く室町の時代から更に激しい戦乱の世へとなった今、仮初めであったとしても、僅かな日々であったとしても、その倍の戦乱の日々に優ること何十倍であろうか。千阿弥は独り言ちながら、会所へと向かった。

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