第四服 晴遷三坊(参)
今は
会所とは、寝殿造りの客亭から派生した建物で、もとは建物の一部であり、常御殿や泉殿と兼用されることもあった。
常御殿とは邸の主の日常の場であり、平安時代は寝殿で代用されていたが、室町時代になると独立した建物として別殿となった。
泉殿は邸内にある湧泉で池を造り、これに臨んで建てられた納涼や遊興に用いられる小亭のことである。平安貴族が曲水の宴などを愉しむ川や池が傍らにあった。
会所は武家の建物が書院造りに変化していく中で独立した建築様式へと発展していき、奥まった私的・公的を問わず催し物が行われる
御成とは、広義では将軍や貴人が外出することをいうが、一般的には将軍の御成を言うことが多い。将軍ともなると招かれたとしても、御成に用いる道具は饗応の者が用意するのではなく、同朋衆が選別した道具や家具を持ち込んで、茶を点てたり、給仕を取り仕切ることになる。それは将軍だけではなく、御供衆ら供の者らや、御成に付き添う公家衆にも同様に振る舞った。主催者が招いた客は邸主がもてなすことになる。こうした役を担う同朋衆を|御供之衆――御供之同朋衆と呼ぶ。
御供之衆は会所之衆の中から選ばれた者たちで、特に茶湯に通じた者が選ばれることが多い。これは人前で点前や給仕を行うからであり、
今回の御成は前々から決まっていたこととはいえ、節供の設えと重なれば支度が慌ただしくなるのも致し方ない。御供之衆は会所之衆から選ばれているため、両方に携わる者も少なくないからだ。
この時代、連歌に式正能に茶会と将軍は多種多様な催しを行っており、その興行は幕府の収益でもあり、文化の保護でもあり、寺社への奉納でもあり、民への施しでもあった。相次ぐ戦や不安定な政権であった幕府の大事な財政を支える事業と認識されている。
但し、御成はどちらかというと政治の話で、この度の御成は高国が家臣への褒美として乞うた面が強い。それを理解しているのかいないのか、義晴公は二つ返事で決めたと聞こえる。
御成のために集められた道具を箱から出し点検している茶坊主らに、古稀を過ぎた老人が混ざっていた。
「千阿弥様、細かいことはお任せあって宜しゅうございます」
「
道奕が
「玉阿弥様は道具の扱いの確認に御会所殿の方へ行かれておいでですが」
御会所殿とは会所之衆筆頭の
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