1999年のコールドゲーム
月ヶ瀬ユウ
プロローグ
若葉は白い華奢な手で、自分の胸を軽く触った。
ドクッ、ドクッと心臓の鼓動が伝わってくる。
まるで、好きな男の子と初めて手をつないだ時のようだと彼女は思った。
あれは小学六年生の時だった。
若葉ははっきりと覚えている。
相手は、同級生で野球少年の沢村正樹。
彼はリトルリーグでショートを守っていた。
ある日、若葉は河川敷のグラウンド付近を歩いていて、その試合を見るともなく見たのだった。
ピッチャーが豪速球を投げ、バッターが打ち返す。
乾いた金属音の後、地を這うようなゴロが正樹の右に転がった。
彼は腕を精一杯伸ばしてダイビングキャッチ。
瞬時に体勢を立て直すと体を捻り、セカンドベースに素早くスナップを利かせて投げた。
白いボールが、二塁から一塁へ。
美しいダブルプレーだった。
すごい、と若葉は思わず声に出した。
若葉もソフトボールをやっていたから、それがどれほど難しいかわかった。
正樹は運動神経が抜群なのだ。
若葉は一目ぼれした。隣のクラスだった正樹に自分から告白し、中学卒業まで付き合った。
顔を赤くして初めて男の子と手をつないで歩いたのだ。
あれから、もう二十年の時が過ぎている。
「二十年か」
若葉は自嘲気味に呟いた。
自分は、こんな場所でいまさら何がしたいのだろうとふと我に返った。
見上げれば、ガラス張りの高層ビルが林立している。
あらためて東京の街を眺めると、東京ほど綺麗で清潔な大都会は世界にないと思った。これほど多くの人が行きかっているのにゴミひとつ落ちていない。オフィス街の公園もきちんと整備され、そこの公衆トイレでさえ、お洒落で綺麗だった。来年の東京五輪で来る外国人もさぞ驚くだろう。
若葉はスマホのナビで確認しながら、神谷町にあるオフィスビルに向かった。
そこで一人の男と会う約束をしていた。
その男と会うのも二十年振りか。
彼も同級生だった。
そして彼もまたある意味、魅力的な男の子だった。
ただ、正樹と違い、若葉はその男の子が苦手だった。いや、苦手というより・・・
彼女は、目的のビルの入口に着くと、足をとめた。
待ち合わせの時刻よりはちょっとだけ早い。
どうしようか。
心の奥でまだ躊躇っている自分がいる。
逃げ出したい、その気持ちが次第に強くなってきた。
その時、若葉は自分が震えているのに気付いた。
ヒールを履いた足元がグラグラし、握ったスマホが小刻みに揺れていたのだった。
やはり会わずに逃げ出そう。そう思って踵を返した時、背後から「久しぶり」と澄んだ声が聞こえた。
ゆっくりと振り返ると、あいつがいた。
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