#003 我平凡な少年なり②
痛いとか、寒いとか。
血が飛沫のように弾けるのを見ながら僕が最初に何を思ったか。まるで傍観者のように、テレビのワンシーンのように見ていたそれは突然と現実に引き戻される。
その時にはもう僕の視界は宙を周り、地面に倒れ込んでいた。自分の身体から熱が急速に溢れていくのを感じる。手足先から冷たくなっていく。死が近づいてきているのだと、遅れて気づいた。
『――! ――!』
僕は薄れゆく視界で目の前を見た。僕が押した人影が何か叫んでいた。耳も遠くなっているのか。よく聞き取れない。それより逃げてくれ。まだサバイバルナイフのやつがいるかもしれない。
僕はそう声を出そうとしたが、ごほっと吐血してしまった。血が身体や口から溢れる。ああ、駄目だ。言葉にできない。
『――あれ、この制服、私の学校のものと……』
声が聞こえた。女の子の声だった。どこか弱々しく、それでいて凛とした。
『ああ、もうっ。止む得ないっ!』
女の子の何か決断した声が聞こえた。それと同時に本格的に意識が消えかける。やばい、本当に死ぬ。死ぬ寸前になっても走馬灯はやって来なかった。本当にどうでもいいことしか思っていなかった。
神凪さんに、玉砕覚悟でも告白しておけばよかったかな。
意識が消える直前、唇に何か温かいものが触れた気がした。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
冷たい世界にいた。
何もなく暗い闇の世界だ。
ああ、死んだのか、と思った。
人は死ぬと天国地獄に行くのではなく、無になってしまうのか、と。なら、意識はあるのはどうしてだろうか。
不意に小さな灯りが照らされる。薪が燃えていた。僕はそれに意識を向けた。炎は赤く燃え上がり、冷たい世界の中で懸命に藻掻いていた。炎は温かった。僕が意識すると、暗い闇の世界が少しずつ明るくなっていく。温かくなっていく。
その時、僕は唐突に、気づいた。
僕はまだ、死んでいない。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「――!」
僕は目を覚ました。
最初に機能したのは嗅覚。馴染みのないシャンプーの匂いがした。次に僕の目の前に女の子がいた。僕が目を覚ますのを見ると、安堵するように息を漏らす。それからビシッと無表情に戻った。
「聞こえますか?」
「あ、はい……」
僕はゆっくりと起き上がり、女の子を方を見てぎょっとした。
「神凪さん!?」
「はい、神凪ですが?」
変わった返しをされた。が、僕はそれよりも神凪さんが目の前にいることが信じられない。
「怪我の具合は大丈夫ですか?」
僕の驚きをよそに神凪さんは訊ねてくる。僕はそれで初めて自分の体を見た。制服が斜め一閃に断ち切られ、そこから白い肌が露出している。制服の端々には赤い血が染められていた。身体には斬り傷が刻まれていた。
「えっと、この制服って直してもらえますかね?」
自分でも素っ頓狂なことを訊いた自覚がある。混乱してこの場には似合わない言葉を言ってしまった。
神凪さんも何を言ってるんだ、みたいな表情をしていた。
「新しいのを買ったほうがいいでしょう。新しい制服はこちらから支給させます」
「え、あ、はい」
なんの会話をしているんだか。
僕はそれとなく周囲を見渡した。広い一室にいた。柱が規則的に立てられており、物は一切置かれていない。一つだけあった窓からは夜になった空が見えた。どこか高いところだ。
「ここは、どこですか?」
「街の外れにある廃ビルです。勝手ながら運ばせてもらいました」
「いや、なんの。……それで、僕って死んだんじゃ」
「それは――、」
神凪さんの言葉は途中で切れた。急に立ち上がり、下を見ていた。僕も視線をなぞるが、シミのついた地面があるだけ。特に目新しいものはない。だが、神凪さんの空気は明らかに変わった。
「すみません。詳しい話は後で。移動します。付いてきてください」
「え、あ」
僕が返答するよりも早く、神凪さんは動いていた。僕も立ち上がり付いていく。
「あの、どこに向かってるんですか?」
僕は神凪さんの背中を見ながら言った。廃ビル内の階段を上がっている。一段登るたびに軋む音がした。
「屋上です。閉鎖空間では戦いづらいですから」
「た、戦い?」
ごっこ遊びでもしているのかと思った。美少女から出る言葉とは思えない。神凪さんはそれ以上、何も言わずひたすら階段を登り続ける。
そうして屋上へやって来た。廃ビルは解体作業中だったのか、鉄骨やら物やらが置かれていた。夜の空は月と星が照らしている。
「あなたは物陰に隠れていてください」
神凪さんに無理やり僕を物陰に隠した。そこは狭く埃が充満していた。神凪さんは僕から離れると、階段先を睨みつけていた。美人は睨んだ顔も美人であるとどうでもいいことを知った。
足音が、聞こえてきた。かつん、かつん、と。着実に音は大きくなってくる。僕は物陰に身を潜めながらそれを聞いていた。足音が消えた。
「ひひっ、運が、いいなァ。こんなところで、
魔法使い? 何を話してるんだ。
発した言葉は神凪さんのものではなく、男の声だった。途切れ途切れで、興奮しているような節が見られる。
何の話をしているのかわからない。ただ異常なことが起きているのだけは理解できた。
「魔法陣の刻まれたサバイバルナイフ、血を媒介とした魔法……〈
神凪さんの声がした。
僕は物陰から様子を見ようとした。
それを見て思わず声を上げそうになった。神凪さんが対峙していたのはあのサバイバルナイフを持った人物だった。今はその姿も確認することができる。
くたびれたパーカーとジーパンという装い。四十代前後の男だった。手にはサバイバルナイフが握られている。そのサバイバルナイフには赤い血がべっとりと付着していた。
「なんだ、オレの、ことは、既に、知ってるのか?」
霧崎と呼ばれた男は楽しそうに笑った。目の下にはくっきりと隈があり、不健康そうだ。端から見れば狂っているように見える。いや、違う。
本当に、狂っているのだ。
それに対峙している神凪さんはそれでも動揺も恐怖も見せることはなかった。
「
「ひひっ、魔導大戦……! お前も参加者かァ!」
男はサバイバルナイフを構えた。
神凪さんは構えなかった。ただおかしな光景が起きた。神凪さんの周りに白の球体がいくつも浮かんでいた。一、二、三……全部で六つ。それは拳ほどの大きさだった。
「〈白の魔法使い〉神凪空音――」
浮かんでいた一つの球体が形を変化させた。それは伸びて一本の剣を象った。真っ白な柄と刀身だけの剣。
「――殲滅、開始」
その日、平凡は過ぎ去った。
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