プロローグ
その日、
ファミレス、カラオケ、コンビニのバイトを掛け持ちしているせいで疲労がたまり、目の前が若干かすんで見える。
花の女子高生がなんでこんなに苦労しなきゃいけないの?
そう思ったのは一度や二度ではない。
ミリアは幼い頃に母を亡くして父と二人暮らしをしていたが、この父がめっぽう女癖の悪い男で、とっかえひっかえ女をアパートに連れて帰ってきた。おまけに酒癖も悪く、浪費癖もあるときた。典型的なダメ男である。
ミリアは早々に愛想を尽かし、アルバイトができる年齢になったら家を出てやろうと決めていた。
高校生になり、親戚のつてを使ってどうにか転校と一人暮らしに成功するも先立つものが必要で、こうしてアルバイトを掛け持ちしていた。親戚筋に恵まれていれば経済的援助を受けられたかもしれない。だが、現実はそんなに甘くはなかった。
いつ父親が乗り込んでくるかわからないためオートロックのマンションにせざるを得ず、家賃は五万円。光熱費が五千円。食費は切り詰めて一万五千円。雑費一万円。高校だけは卒業したかったから勉強もおろそかにできない。親戚はあの父親の娘というだけで援助を拒絶。あまりの世知辛さに石ころを蹴飛ばした。
バイトが終わり、タイムカードを切った。挨拶もそこそこに、コンビニの裏口から退店する。
ミリアはかすむ目をこすって夜道を歩いた。
未成年であることがこんなにも不自由だとは思わなかった。バイトは二十二時で終了だ。稼げる金額も決まってくる。
『鹿波さんって付き合いわるいよね~』
クラスメイトの声が脳内に響いた。
ミリアには友達と呼べる存在がいなかった。
中途半端な時期の転校生であったこと、なまじ勉強ができるせいで一目置かれてしまったことが原因だった。そして一番の理由はクラスで一番人気のイケメンに告白され、あっさり振ったことであった。
幸か不幸かミリアは美少女と言って差し支えない、目鼻立ちのくっきりした女の子だった。
(ほしいもの・その1……
(ほしいもの・その2……ちょっぴり
(ほしいもの・その3……お
(ほしいもの・その4……ハンバーグ)
(ほしいもの・その5……しゃぶしゃぶ)
(ほしいもの・その6……焼き肉食べ放題)
思考の向かう先がだんだんと食べ物に変わっている気がしないでもないが、ミリアはほしいものを頭の中でつぶやきながら夜道をとぼとぼ進んでいく。
バツイチ四十代のファミレス店長を褒めちぎってゲットしたお古のスマホを取り出し、百均で買ったイヤホンを耳に入れた。
『ちょっと何言ってるかわかんないっすね~』
お笑い芸人のボケに、観客の笑い声が響く。
楽しみは夜道で聴くお笑い番組だった。見るのではなく聴く、だ。プリペイド式の格安データプランは高画質にするとすぐ通信制限がかかるため、超低画質にし、歩きスマホで画面を見ないことにしている。
「ふふっ──」
一人夜道でお笑い芸人の漫才を聴いていたら、笑えてきて、そしてなんだか泣けてきた。
どうしてこんな気持ちになるのかわからない。
ただ、むなしくて、悲しくて、自分という人間がちっぽけな存在で、米粒以下の価値しかないと思えてくる。
胸に去来するのは大好きだった祖母の笑顔だ。
(大丈夫、大丈夫──)
そう言い聞かせて、ミリアは前を向いた。
そのときだった。
目の前が黒い物体に塗りつぶされ、視界が反転した。
くすんだ暗い夜空とおんぼろの街灯が回って見えた。
◯
すべて思い出したミリアは、ベッドに寝たまま何度もまばたきをした。
アドラスヘルム王国、最西端に位置するアトウッド家。
その家の実娘。
ミーリア・ド・ラ・アトウッド、八歳。
貧乏貴族、七人姉妹の末っ子。
ぼんやりした性格でみそっかす扱い。
日本人である自分がアドラスヘルム王国なる国の貧乏貴族の令嬢になっている事態に、ミーリアは軽いパニックに陥った。
(うそ……ここってまさか……異世界……?? びっくり……おったまげーっ……)
祖母の影響か古臭い
視線がかなり下がっている。背が低い。幼女であるため胸も当然ない。
自分が小さな子どもになっていることが日本人の鹿波ミリアではなく、貧乏貴族の娘ミーリアであるという、何よりの証拠だった。
「私、車にひかれてお亡くなりになった……?」
どうやら自分は事故で死んで、この世界に転生したらしい。ミーリア・ド・ラ・アトウッドが高熱を出して記憶を思い出した、ということなのだろうか。
「異世界転生してしまった……」
格安データプランでお笑い番組を視聴する他、ミーリアはデータ量がかさまない某小説サイトも愛読していた。
全身を眺めてみる。
小さな手、細い腕、お古のワンピース、裾から伸びる白い脚。
髪の毛は薄紫色でゆるやかにウエーブしている。
(髪の毛、さらさらだ)
指を通せばするりと抜けていく。
窓ガラスに近づいて、自分の顔を確認してみた。
(うわ……曇った窓ガラスだな……。えーっと顔は、前の私とそっくりだ。瞳の色は濃い紫色か)
冷静に見た目を確認して、ため息をついた。
それと同時に安心している自分がいて驚いた。
父親と会わなくていいこと、切羽詰まった高校生活から解放されたことが心の重荷を消してくれたのだと気づき、こつんと窓ガラスに頭をぶつけてみる。
(痛い……これ、現実みたいだね……)
ミーリアは窓ガラスから頭を離し、腕を組む。
「ラッキーだと思ってこの世界で生きていくしかないね。感謝します、神様。もう一度チャンスをくれて、ありがとうございます」
目を閉じてお礼を言い、ミーリアは気持ちを切り替えた。
この異世界、アドラスヘルム王国でいっちょ一旗揚げてやろうと拳を握った。
(前世よりひどい生活は送りたくない……お金を気にしない平穏な生活っていいよね。あと欲を言えば、焼き肉食べ放題な生活をできたらいいなぁ)
思いつく最上位の贅沢である焼き肉食べ放題。それが毎日できるなんて……考えるだけで幸せだった。
(あと可愛いお友達がほしい)
早くに亡くした母のためにも、友達のいる人生を過ごしたかった。
(大金持ちのお大尽になったら、勧誘やら人間関係が大変そうだよね。あと私の才覚じゃ大金持ちは無理だろうな)
ミーリアは天才型というより、秀才型だ。アルバイトが終わってから夜中まで勉強をして、学年上位一桁の成績に食い込むことができていた。
(よし、目標は小金持ちだね)
簡単な目標が決まると、どうしても回避したいことがはっきりと浮かんでくる。
ダメ男であった父親のへらへらした愛想笑いが脳裏にチラついた。
(結婚はしたくない。結婚回避ルートでいこう)
YES焼き肉、NO結婚である。
世界中にいるすべての男が父親のようにダメ人間でボウフラ以下とは思わないが、ミーリアの中で男性とどうこうなる、という未来がまったくもって思い浮かばない。当面はYES焼き肉、NO結婚マニフェストを掲げたいと思う。
安普請の部屋をうろうろしながら、今世の記憶を引っ張り出すことにした。
何にせよ自分の置かれている状況と立場が重要だ。ミーリアは冷静になることを知っていた。
そして、盛大にコケた。
(ややや、やばいよ…………やばすぎて腰が抜けたよ……!)
自分の置かれている状況を振り返って思い切り
ミーリアの生まれたアトウッド家は超のつく貧乏貴族であった。
爵位は最低ランクの騎士爵。
アトウッド家はアドラスヘルム王国の最西端に位置し、自生するラベンダーを加工して出荷することでどうにか銀貨を得ている自転車操業状態だ。
大問題なのが、アトウッド家の領主である父親、アーロン・ド・ラ・アトウッドと姉の一人だった。
まず父親アーロンは娘を近隣の家に嫁がせて婚姻関係を結び、他家の森林使用権を獲得しようとしていた。この父親、バカがつくほどの脳筋で、狩猟にしか興味がない。家が自転車操業なのは領主アーロンのせいと言っても過言ではなかった。
そして六人いる姉の一人──次女ロビン・ド・ラ・アトウッドが嫁ぎ先から出戻りしてきたのだ。しかも原因は浮気だ。
(結婚して浮気して出戻りって……うせやろ!?)
バンバンと床を
次女の出戻りにてアトウッド家の評判は地に落ちた。
しわ寄せを食ったのは次女以下の姉妹たちだ。
どこでもいいから早く嫁がせようと領主アーロンが画策し、現在アトウッド家はいたる家々に親善の書状を送っている。
七人姉妹の末っ子であるミーリアは特にひどく、生来ぼーっとしていたせいか、領内にある商家の長男との婚約が進んでいた。出来が悪そうだからとにかく嫁がせてしまえ、という魂胆らしい。YES焼き肉、NO結婚マニフェストは政策開始の前に早くも破綻しようとしている。
(ど田舎の商家って……駄菓子屋の間違いじゃないですかねぇ!?)
記憶にある商家は馬小屋並のボロい家だった。辺境の地で売っている物などたかが知れている。嫁いだら貧乏生活まっしぐらである。というか嫁ぎたくない。
(なんとか……なんとかしないと……)
ミーリアは立ち上がった。
父親から逃げ出すため保証人になってくれ、と親戚と粘り強く交渉したあのときと同じく、瞳に決意の光を輝かせた。
こうして貧乏貴族、ど田舎、婚約寸前のトリプル役満から、ミーリアの転生はスタートした。
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