第2話 絶体絶命

 どうにかワニから逃れてしばらく進むと、やっと地面が乾いてきて湿地帯も終わりになろうかというところまで来た。

 ここまで来れば目的地はもうすぐだ。

 

 草の背丈が少し短くなったおかげで、遠く地平線まで見渡すことができるようになった。

 草の生い茂る大地に、ところどころに低木のある景色が延々と広がっている。


 これで水に足を取られずに済む。

 ラルフはやっと自分らしく闘えることに、心底安堵していた。


 実際ラルフはもう我慢の限界だった。

 自慢の脚を封じ込められては、逃げるにも逃げられず、攻撃するにも、得意の瞬発力を発揮することもできない。

 おまけに相手を殺さないように、手加減しようだなんて。

 ラルフは湿原にいる間中ずっと、もどかしさとイライラで何かに当たり散らしたい衝動を抑えるのに苦労していた。

 

 ―殺るか殺られるかなんだ、くそっ。


 しかしそれも、なんとか乗り切った。

 ラルフはやっと緊張感から解放されて、ステラを背中に乗せて、軽快な足取りで進んで行った。


 しかしそれも、どうやら長くは続きそうにはなかった、、、。


「しっ、、、」


 突然ラルフが足を止めた。


「地鳴りがする」


 だがステラには、耳を澄ましてみても何も聞こえない。

 しばらくそのままじっとしていると、やがてステラにもはっきりと、


 ドドドドドドドーッ


 という地響きのような音が聞こえてきた。

 その音は、ラルフとステラの進行方向からどんどん近づいてくる。


「また来たな。今度はなんだ?」

 

 ラルフとステラは警戒しつつも、構わず進んで行った。

 

 じっとしていても同じだ。

 湿地帯に引き返すつもりなど、もちろんない。

 ぬかるみに足を取られていては、今度こそ殺られる。

 それにもたもたしていては、どんどん敵が増えるばかりなのだから。


 ラルフはもう〝何でも来い”というくらいの気持ちでいた。


 やがて前から黒い塊が、こちらに向かってくるのが見えた。


「あれは、、、サイか」

 

 数十頭、いや軽く百頭を超えるサイの群れが、こちらに向かってやってくる。


 ステラはすぐに目を閉じて、今あとにしたばかりの湿地帯の水の中へと意識を集中した。

 そしてさっきと同じように、湿地帯の水の奥底にある『母なる愛』をすくい上げ、オレンジ色の風に乗せて吹き渡らせた。

 はずなのだが、、、、。


 ―風が、、、弱い。


 風に当たっても変わらず、サイの群れは動きを止めることなくどんどん近づいてくる。

 効いていないようだ。

 

 ―確かに何も感じないな。


 さっきとは違って、ラルフにも特に何の変化も起こらなかった。


「風よ、吹けーっ」


 ステラはもう一度集中力を高めると、ありったけの思いを込めて、愛のパワーをオレンジ色の風に乗せた。


 しかし、、、。


「だめだわ。パワーが足りない」


 小さなそよ風ほどのオレンジ色の風は、この地を吹き渡っている風にかき消され、消えていってしまった。

 ステラは失望した。

 ステラの唯一の武器ともいえる愛のパワーは、不発に終わってしまった。

 やはり同じ場所から、短時間に何度も愛を集めるのは難しい。


 そうしている間にも、サイの大群は間近に迫ってきた。


「闘うつもりはない。通してくれないか」


 突進してくるサイに向かって、ラルフが真正面から呼びかけた。

 しかし、そのラルフの声に反応する様子はない。


 サイは構わず突進してきた。


 殺気を帯びたその目は、ラルフとステラを見ているようで見えていないような、、、。


「ダメだ。やっぱり何かに取り憑かれている。一体何が起こっているんだ」


 ラルフは、動物たちを支配している見えない敵に向かって

吠えた。


「ワォーンッッッ、、、」


 遠吠えが虚しく広がった。


「くそっ」


 とにかく今は目の前の敵だ。

 ラルフはそう思い直して、真剣に身構えた。


 サイの武器は突進力と、そして顔の真ん中から突き出したツノだ。

 まともに頭突きを喰らえばやられる。

 ラルフとしては、脚でかわして鋭い牙で喉元に喰らいつきたい。


 ラルフにはもちろん一対一なら勝てる自信があった。

 ただ、相手は大群だ。

 まともに突っ込んで行っては勝ち目はない。


 ラルフは大群を慎重に見定めた。


 狙うのは、、、。


 ―よし、あいつだ。


 ラルフが狙いを定めた一頭は、周りのサイよりも一回り大きく、ツノも立派だった。

 そしてそれよりも何よりも、闘志と殺気が体中からみなぎっていて、ほかのサイにはない風格があった。


 ―あいつを倒せばなんとかなる。


 群れのリーダーを倒せば群れは怯む。

 勝負は数だけで決まるわけではない。

 ラルフはこれまでの経験から、大群がリーダーという支えを失えば、散り散りになって敗れ去っていくことを知っていたのだ。


 ラルフは、


「ウーッ」


 と唸り声を上げて威嚇しながら、狙いをつけたサイに飛びかかるタイミングをはかった。

 

 最前列のサイが突進してくる。


 一頭、二頭とうまくかわしながら、ラルフは果敢に群れの中に突入していった。

 その時一頭のサイが、ステラに向かって突進していくのが見えた。


「あぶないっ」


 しかしステラは冷静にサイの動きを見て、横に回り込んで背中に飛び乗った。

 赤い髪をふわりとなびかせて、白くて長い手足でひらりとまたがる姿は、やはり人間のものとは思えない。

 透き通るようなしなやかな美しさがあった。


 ステラに気を取られている間に、しかしラルフは狙ったサイに飛びかかるタイミングを逃してしまった。

 逆に相手から頭突きを喰らい、かわし損ねて頬のあたりに傷を負った。


 サイのツノが頬のあたりをかすめたのだ。


 しかしラルフはその傷には構わず、頬に筋のように血を流したまま、今度は逆に息つく暇も与えず、鋭い爪で相手の目を引き裂き、喉元に牙を立てた。


 俊敏さではラルフの方が上だ。

 イメージ通りの攻撃で、ラルフには勝利の確信があったが、そこで誤算が生じた。


 怯んで逃げ出す群の中で、一頭だけ逆に、ラルフの血を見て勢いづいたのか、ラルフに向かって突進してきたのだ。

 

 横倒しになったサイの喉元にがっしりと喰いついているラルフに、下からツノを突き上げてきた。


 ふいをつかれて、ラルフは攻撃をかわすタイミングがほんの少し遅れてしまった。


 ツノはラルフの腹に突き刺さり、血が噴き出した。


「うっ、、、何、、、?」


 すると血生臭いにおいに興奮した仲間のサイたちが、今度こそ一斉に突進してきた。


「ラルフっ!」


 ステラが、サイの背中でロデオのようになりながら叫んだ。

 絶体絶命かと思われたその時、空から何かがものすごいスピードで降ってきて、サイの目を狙って次々に攻撃した。


「グォッ、、、」


 サイの目から血が流れて、ふいをつかれて驚いたサイたちが、上下左右に暴れながら方向を失って走り出した。

 ラルフは意識朦朧となりながらも、なんとかとどめは免れた。


「、、、ファルコン、、」


 危機一髪のところでラルフを助けてくれたのは、紫の洞窟からの帰り道、溺れかけたところを救ってくれた、あの鷹のファルコンだった。


 上空から急降下してきたファルコンの鋭いくちばしが、サイの目を直撃したのだった。


「ファルコン、ありがとう」


 ステラには、ファルコンが異次元から現れた英雄のように思えた。


 だがこれで終わったわけではなかった。


 また別のサイが、ラルフに向かって突進してきた。

 腹を負傷したラルフは、動けない。

 動けないどころか、早く手当てをしないと、恐らく命が危ないだろう。


 しかしまずはとにかくこの状況をなんとかしなくては、、、。


「ラルフ、逃げてっ」

 

 ステラの言葉に、遠のく意識の中でなんとかラルフは立ち上がった。

 頬からも腹からも血を流しながら。


 しかし脚には力がなく、サイからの攻撃をかわせるとはとても思えなかった。


 またしてもこれで終わりか、と思われたそのとき、再びファルコンが上空からサイをめがけて降下してきた。


 鋭いくちばしで攻撃しようとしたそのときだった。


 今度はまた別の一頭のサイが、降下してきたファルコンに向かって突進し、下からツノを突き上げてきた。

 ファルコンは喉のあたりを突かれて、そのままバッタリと地面に落下した。


「ファ、、、ルコン、、」


 ラルフもよろけてその場に倒れ込んだ。


 ラルフとファルコンが、瀕死になりながら闘っている側で、しかしステラにはなすすべもなかった。

 暴れるサイの背中に捕まりながら、ただラルフとファルコンが血を流すのを見ているしかなかったのだ。

 

 ラルフもファルコンも、もう一度攻撃を受けたら、今度こそ命はないだろう。

 そしてその時は、もう目前に迫っていた。


 興奮して猛り狂ったサイが、次の攻撃を繰り出そうとしていた。


 ステラは、その時ラルフが言った言葉を思い出していた。


 ―人間を殺してでも森を守りたい―


 確かラルフは、故郷の森や仲間を想う気持ちを、そう表現していた。


 愛と癒しの星『ブルームハート』から来たステラにしてみれば、〝殺してでも”何かを手に入れたいと思ったことなど、もちろんこれまで一度もなかった。


 なぜならステラは、愛と癒しを誇りとするファントームなのだから。

 ファントームの暮らすブルームハートには、愛と癒ししかなかったのだ。


 だが今この瞬間、ステラにはラルフのその言葉の意味が、はっきりとわかった。

 

―あのサイを殺してでも、たとえわたしが死んでもラルフを助けたい。


 ステラの中に、かつてない感情が湧き起こった。


 ステラ自身、どうにもコントロールすることの出来ない感情に強く揺さぶられ、涙があふれた。

 それは愛なのか悲しみなのか、それとも怒りや憎しみなのか、ステラにもわからなかった。

 

 ステラの目に涙があふれたその瞬間、激しく強い感情を含んだその涙は、風に溶けて、真っ赤な竜巻を巻き起こした。


 真っ赤な風が、上空高くに、激しい渦となって荒れ狂ったのだった。

 ステラの激しい感情のままに、大きく巻き上がった竜巻は、土埃と一緒に、その場のすべてを巻き込み、吹っ飛ばして行った。


「ラルフッ、、、」


「ファルコンッ、、、」


 ステラは、地面に叩きつけられた、ラルフとファルコンに走り寄った。

 サイの群れは、竜巻によって散り散りになり、そして何かから目を覚ましたのか、闘いに対して興味を失ったかのように、去って行ってしまった。


 瀕死のラルフとファルコンと、そしてそこに寄り添って涙を流すステラだけが、その場に取り残された。


 ステラは、自分自身の中にある慈しみや愛のパワーを集めようとした。

 だが、悲しみや怒り、そしてもしかしたら憎しみのような気持ちさえもが邪魔をして、なかなか上手く集めることが出来なかった。

 

 それでもステラは諦めずに、少しずつ少しずつ、自分の中から悲しみなどの負のパワーを排除して、慈しみや愛のパワーを大きく育てていった。


 ステラはやがて愛と勇気を取り戻し、集めた慈愛のパワーをラルフとファルコンに注いだ。

 

 オレンジ色とピンク色の混ざった、温かく強い風がラルフとファルコンの傷を優しく包み込んだ。


「ウゥッ、、、」


 先に目を開けたのはファルコンだった。

 そして次にラルフも意識を取り戻し、自分を心配そうに見つめているステラの目を、しっかりと見返した。

 

 ―もう大丈夫だ。


 そう確信したステラは、やっとホッとしてその場にペタリと座り込んだのだった。



 

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