第二章 予言

第1話 赤い月

 どれくらい時間がたったのだろう。

 まばゆい光のポータルに吸い込まれて、引き裂かれるような痛みの中で意識を失い、今ようやくチュリッピーは目を開けた。


 あたりは真っ暗闇だ。

 闇の中から、草木の葉音や虫のうごめく音や、そして精霊たちから漂う聖なる気配を感じた。


 生い茂った草木の匂い、、、。

 チュリッピーは深い森にいることを感じ取った。


 横たわった体に、地面からのひんやりとした冷たさが伝わる。

 それはチュリッピーにとっては初めての感覚だった。

 人間の肉体の温かさと重みを感じながら、チュリッピーはしばらくそのまま横たわったままでいた。


 ―本当に転移したんだ―


 ぼんやりとした意識の中で、チュリッピーは記憶をたどっていた。

 そしてようやく自分の置かれた状況がわかってきた。

 

 風が木々の枝を大きく揺らして、ゴォーという音があたりに響いた。


 ―かすかに動物の匂い、、、。


 チュリッピーは恐る恐る体を起こして、何も見えない暗闇を見渡した。


 ―暗闇に二つの光、、、。


 なんだろう、と考えているうちに光は次々に増えていって、チュリッピーの周りを丸く取り囲んだ。

 そしてやがて、ウーッといううなり声が聞こえてきた。

 光はぐるぐるとチュリッピーの周りを回り始めた。


「オオカミだ!」


 どんどん増えていく光は、オオカミの目だった。

 チュリッピーはとっさに羽を羽ばたかせて、上空に飛び上がろうとした。

 しかし飛んだつもりが飛べていない。

 チュリッピーはいつもとは違う感覚に、思わずよろけてしまった。


 ―羽がないんだ、、、。


 背中に羽がないこと、自分が二本の足で立っていることに、チュリッピーはこのとき初めて気がついた。

 しかし、感傷に浸っている余裕はない。

 隙を見せたら飛びかかられる。

 一斉に飛びかかられたら、どう考えても勝ち目はなさそうだ。


 チュリッピーは一瞬の隙も見せないように、体中の神経を張り詰めて身構えた。

 睨み合いが続く。

 だがその間にも、オオカミの光る目ははどんどん増えていった。

 よそ者の侵入に警戒して、集まってきたのだろうか。

 

 ―こうしている次の瞬間にも襲撃してくる―


 とそのとき、チュリッピーはふと、ブーヴァがくれたペンダントのことを思い出した。

 地球に転移するときに、ブナのファントームのブーヴァが首にかけてくれた、紫の石のペンダントだ。

 なにかあったときには力になってくれると、ブーヴァはそう言っていた。


 ―お願い、わたしに力をください―


 そう心に念じながら、チュリッピーは首にぶら下げたペンダントを強く握りしめた。

 

「お願い!火を、火をお願いします」

 

 オオカミは火を嫌う。

 チュリッピーがとっさに思いついてそう叫ぶと、ペンダントの紫の石から光が放たれて、チュリッピーのまわりの地面に炎がぐるりと走った。

 炎はすぐに大きく高くなって、チュリッピーを丸く囲んだ。

 

 これで簡単には飛びかかれないだろう。

 しかしほっとしたのもつかの間。

 炎はジリジリと燃え広がり、チュリッピーにも迫ってきた。


 どんどん熱さが増していく。

 このまま炎の輪の中にいたのでは、飛びかかられる前に焼け死んでしまう。

 

 ―早くこの輪の中から脱出しなくては。


 しかしオオカミたちも、諦めることなく炎のまわりを唸りながらぐるぐる回っている。

 

 ―どうしよう、、、。


 このとき、草木がパチパチと燃える音やオオカミの唸り声の中で、次第に熱さで朦朧となりながら、チュリッピーの耳は遠くにかすかにドーッという音をとらえていた。


 ―滝だ―

 

 チュリッピーはかすかに聞こえるその滝の音に意識を集中すると、次にその滝つぼの水の中へと意識を潜らせた。


 そして、その荘厳な滝の青くて深い癒しを感じ取り、次の瞬間、その癒しをすくい取って上空高く巻き上げた。

 そしてその癒しを水色の風に乗せると、森の中を吹き渡らせたのだった。

 愛と癒しのパワーはファントームだけに与えられた特別な力だ。

 地球に転移しても、チュリッピーはその力を失ってはいなかった。

 森の中には深い癒しが広がり、燃え盛る炎も癒しの風に吹かれて鎮まり、やがて消えた。

 

 オオカミも、そこに広がる癒しの心地よさにしばらく陶酔しているかのようだったが、しかしそれも長くは続かない。

 今度こそ炎も消えて、まさに周囲を取り囲んでいたオオカミたちがチュリッピーに襲いかかろうとしたそのとき、一頭のオオカミがチュリッピーに向かって進み出てきた。

 そのオオカミは、


「待て」


 と声を上げて、他のオオカミたちを制した。

 澄んだよく通る声が、静寂の森に響いた。


 さっきまで真っ暗闇だった森の中は、雲から出た月明かりで照らされ、声を上げたオオカミの姿がはっきりと映し出された。


 頭部の目から上と、胴体の背中の部分だけが銀色で、ほかは真っ白の毛で覆われている。

 月明かりに銀と白の艶やかな毛の色が映えて美しい。

 他のオオカミたちとは明らかに毛の色か違っている。


 一言で他のオオカミたちを制する力があるところをみると、このオオカミが群れのリーダーなのだろうか。

 若々しく張った筋肉が美しく、青く光る目をしていた。


 チュリッピーは、他を圧倒する絶対的なオーラを、そのオオカミから感じ取っていた。

 

 オオカミの青く光る目が、チュリッピーをまっすぐに見つめていた。


 その銀と白の毛をしたオオカミの一言に、今にも飛びかかろうとしていた他のオオカミたちは、体勢をゆるめて構えを解いた。


「キミは、人間ではないね」


 その銀と白色の美しい毛をしたオオカミは、チュリッピーに向かって進むと、そうチュリッピーに声をかけた。

 思いがけず優しさに溢れた凛とした声の響きに、チュリッピーは全身の緊張が緩むのを感じた。


「わたしはファントーム。ブルームハートから転移してきたの」


 月明かりに照らされたチュリッピーは、転移のときに着ていたそのままのエメラルドのドレスを着ていた。

 その姿は人間のようでもあったが、燃えるような真っ赤な髪は風になびいて妖しく輝き、スラリと伸びた手足は透き通るように白く、まるで妖精のようでもあった。


 夜の森の沈んだ色の中、銀と白のオオカミと赤い髪と白い肌のチュリッピーだけが、月に照らされて浮き上がって見えた。


「キミが、ステラなのか、、、?」


 銀と白のオオカミはそう言うと、しばらくチュリッピーをじっと見つめてから続けて口を開いた。


「ボクはラルフ。この森を治めている」


「はじめまして」


 チュリッピーは、ブルームハートでしていたように、ドレスをつまんで、軽く体を沈めるようにして挨拶をした。


「わたしの名前はチュリッピーよ。ステラじゃないわ。チューリップのファントームだったの」


 赤い髪が風を受けて月明かりに美しく揺れる。


「ステラっていうのは、赤い星のことさ。“満月の夜にステラが降ってきてこの森を救う”、それがこの森に伝わる予言なんだ。」


「森を救う?」


 チュリッピーはラルフの言葉を聞き返しながら、ファイヤースターのことを考えていた。

 ファイヤースターを咲かせることが、森を救うことになるということなのだろうか。


 ラルフは続けた。


「人間たちがどんどん森を破壊して、森の生き物たちは行き場を失っている。ボクたちはずっとステラを待っていた。予言が実現するそのときを、ずっと待っていたんだ。美しい満月の輝く夜空が、日の出とともに白んでいくのを、もう何度も何度も失望とともに見送ってきた。そして今夜、満月のほかにもう一つ、夜空に輝く赤い光が現れて、そして〝降ってきた”。」


 夜空を見上げながらそう話すラルフの声は、期待に満ちていた。

 周りのオオカミたちにも聞かせるようとしてなのか、ラルフの声は、大きく力強く森に響いていた。

 

「あれを見るんだ!満月が赤色に染まっていく」


 ラルフが興奮して叫んだ。

 満月はみるみるうちに真っ赤になり、一層妖しく輝きを増した。


「やっぱりキミがステラだ。赤い月がその証拠だよ」


 ラルフはもう一度真っ直ぐにチュリッピーを見つめて、きっぱりと言った。

 するとラルフの言葉にオオカミたちは、次々にワォーンと遠吠えて応えた。


 仲間のオオカミの一頭が、


「予言は実行された。ステラが現れた」


と大きく吠えて叫びながら、森の奥の方へと走って行った。

 その啼き声は森にこだまして、森のあちこちに次々に遠吠えが響いて、ウェーブのように広がっていった。

 夜の森が驚きと祝福の気配に包まれた。


 オオカミたちが、ステラが現れたと沸き立つ様子を見ながら、しかしチュリッピーは、いきなり自分が予言のステラだと言われたことに、戸惑いを感じていた。


 ―わたしがステラ―


 予言によって現れた救世主が自分だとは、チュリッピーにはなかなかすぐに理解することは難しかった。

 しかしチュリッピーは戸惑いながらも、このときはっきりと自分に言い聞かせた。


 ―予言でも、そうでなくても、わたしは地球を救うために転移してきたのよ。ファイヤースターを咲かせて必ず地球を救ってみせる。

 そう、わたしがステラよ―


 このときから、チュリッピーはステラになった。


「さあ、ステラ、行こう。目指すは紫の洞窟だ。時間がない。話は後だ。すべては予言のとおりに。夜のうちに森を抜けよう」


 ラルフはステラを背中に乗せると、躊躇うことなく木々の間を駆け抜けて、あっという間にその場を後にした。


 赤い月に照らされながら、銀と白に輝くオオカミにまたがるステラの姿は、予言によって出現が約束された救世主というにふさわしく、勇敢で妖しく、謎めいた美しさを放っていた。

 エメラルドのドレスと赤い髪をたなびかせて、颯爽と駆け抜けるステラを、森の動物たちは熱い眼差しで見送った。


 森の精霊たちやフクロウや、ほかの虫たちにも見守られながら、ラルフは朝まで走り続けた。

 地平線から太陽が顔を出して空が白み始めるころに、ようやく森を抜けたのだった。



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