象徴の力

 シトリンは全身を襲う痛みで、息も絶え絶えになっていた。高熱でうなされて体の節々が痛かったときより、馬車にはねられかけて突き飛ばされたときより、カルサイトを庇って撃たれたときより、体中がバラバラになったように痛むのだ。

 ゴーレムに必死でしがみついているカルサイトが、必死で声をかける。


「おいシトリン、大丈夫か!?」

「カルサイトさん……体が……痛っ……」

「大丈夫だからな、もうちょっとで、サンストーンだ。だから」


 カルサイトは必死でシトリンに声をかけ続けている。

 ゴーレムは土くれにしてはひどく硬く、それでいて金属とも違う触感の表面。銃では威力が足りず、関節部を壊すことも叶わない。

 カルサイトは歯噛みしながら、ゴーレムの移動方向を睨みつけていた。

 見覚えのある、殺風景な光景が広がってきた。

 こんな形でサンストーンになんて来たくはなかった。全身を激痛に襲われているせいか、だんだんシトリンの意識が飛びつつある。

 自分の不甲斐なさに、カルサイトは苛立ちつつも、弱っていくシトリンに必死に声をかけ続けていた。

 彼女がここまで弱るほどの激痛に襲われているということは、サンストーンに着けばどうなってしまうのか。彼女の痛みを取り除くことはできなくても、せめて彼女がショックを受けて死なないようにと、励ますことしかできなかった。

 小動物のように脅える彼女が怖がらないようにと。シトリンがショックを受けて死なないようにと。


──目的地、到着。停止行動開始


 ゴーレムは抑揚のない声をあげ、だんだんスピードを落としてきた。その停止の間も必死でカルサイトはゴーレムの腕にしがみつく。

 サンストーンには殺風景なテントが張られているのが目に入り、誰かがやって来ることに気付いた。


「あれぇ、カルサイト・ジルコンさんも一緒だったんだ。まあ、ちょうどいいか」


 くすくすと笑いながらやってきた少年は、ときおり顔を見ていた、ジェードとか言う錬金術師だ。隣にはカルサイトをそっくりそのまま漂白したファイブロライトも着いている。


「お前ら、今までこっちを放置しておいて、いきなりちょっかいをかけてくるとは、どういう了見だよ!?」

「泳がせてるって、君たちも気付いてたんじゃないかなあ? 少なくとも先生はそう思ってたと思うけど」

「先生……ああ、ラリマーのことかよ」


 カルサイトはゴーレムから降り、銃に手をかけようとするものの、既にここは炭鉱町の中だ。下手に銃器に触れば、いつ爆発事故が起こるか、わかったもんじゃない。ジェードはにこやかに「賢明な判断だよね」と鼻につく声を上げた。


「ゴーレム……古代の魔科学の産物を蒸気機関で再現した人形なんだけどね……がシトリン・アイオライトを掴んでるんだからさあ。君たちは本当によくやってくれたよ。守護石を無事に育て切って持ち帰ってくれたんだからさあ」

「……人が育てたもんを横取りってことかよ?」

「君たちは守護石の使い方なんてわからないじゃない。だから、守護石の利用方法も価値もわかっているぼくが使ってあげると言っているんだよ。感謝こそすれど、声を荒げられる所以はないよねえ?」


 小柄で華奢な体で、どこまでも高圧的にしゃべるジェードに苛立ちを覚えつつも、ゴーレムに掴まれたシトリンは既にぐったりとぶら下がってしまっている。息もカルサイトが人工呼吸したとき以上に、弱くなってしまっているのだ。

 カルサイトは舌打ちをする。


「……この子をどうする気だ?」

「シトリン・アイオライトの象徴の力は、ぼくたちにとっても打ってつけだからねえ。これを利用して、この世界の結界を破るんだよ」

「おい! そんなことしたら……どうなるのかわかってるのか!?」


 結界を修復するために、帝国を縦断して守護石を育ててきたのだ。それなのに、ジェードは結界を破ると言う。

 どこまで言ってもこの少年は、人の神経を逆撫ですること以外はできないようだ。


「君はなにを言っているんだい? 君は人助けが趣味みたいだけれど。たったひとりの犠牲で世界が救われるなら安い話じゃないか。この世界はどっちみち詰んでいるんだよ。燃料不足でね。数十年も経たない内に、燃料を巡っていさかいが起こるよ。だったら結界を破って、過去の魔法の遺産をもらったほうが早いじゃないか。それとも君は、世界と彼女を天秤にかけて、どちらも消失させるなんてくだらない結論を出すのかな?」

「その前に、ほとんどの人間が幻想病になって生活なんてできなくなるだろう!? お前は本気で自分のことしか考えられないのかよ!?」

「やれやれ、考えの相違だね。君の象徴の力の使い道は後で考えるとして、先にシトリン・アイオライトのほうだ。ファイブロライト」


 ジェードはファイブロライトを見る。

 ファイブロライトは、ただゴーレムにぶら下げられているシトリンを凝視していた。おどおどとした様子も、ときおり啖呵を切る様も、小柄でパタパタと走る仕草もなく、今はただ青褪めた顔で、ゴーレムに掴まれている。

 ゴーレムは彼女を掴んだまま、ファイブロライトのほうに差し出した。


「彼女の賢者の石を、抉り出すんだ」


 ジェードは天使のような顔で、悪魔のようなことをのたまう。

 彼女の賢者の石は、心臓近くまで突き刺さっている。そんなことをすれば──彼女は死ぬ。

 カルサイトがジェードを睨みつけるものの、ゴーレムがジェードを庇うようにカルサイトに背を向けて立ち塞がる。

 ファイブロライトは、ただ金色の瞳を見て、抑揚のない顔でシトリンを凝視していた。

 彼女としゃべったことも、顔を合わせたことも、そんなに多くはない。

 ただ、わずかな遭遇でのやり取りを、彼は全て覚えていた。


『結界修復、手伝ってくれるんですか?』

 『絶対に駄目ですからぁぁぁぁ!!』

   『不安になっただけです……大丈夫です。もう……』


【造られた命は不幸ですね。私の生きていた時代ですら、そんなおぞましい生はおりませんでした。ですが、あなたの心はあなたのもの。どうぞあなたの心のままに】


 シトリン・アイオライトは、どこにでもいる普通の平凡な少女だ。そうファイブロライトの知識は教えている。しかしファイブロライトの周りにいるのは錬金術師か帝国機関の人間で、一般人という者とはほとんど遭遇しなかった。

 帝国機関の人間は全て表情に薄い膜を張ったように、感情の読めない言動ばかりを繰り返してきたが、シトリンは違った。

 出会うたびに違う表情をする。

 脅えたような顔、困ったような顔、怒る顔、ほっとしたような安心した顔。

 そして今は。彼女の呼吸も脈拍も、薄くなってしまっている。

 このままでは、賢者の石を抉り出す前に、彼女は死ぬ。

 ファイブロライトの心は決まった。

 彼は真っ直ぐに腕を伸ばすと、ゴーレムの腕を引きちぎりはじめたのだ。

 彼の剛腕をもってしても、ゴーレムの腕はちぎれなかったが、指の関節を外してシトリンの奪取には成功した。

 ジェードは目を見張り、カルサイトはとっさにジェードを銃で打ち抜ける位置へと移動する。しかしどのみちここでは銃は使えない。


「ファイブロライト!? 君にはまだ反抗期の段階には入っていなかったはずだよ!? 命令を聞けないって言うの!?」

「マスター。ファイブロライトは理解した。ファイブロライトは、シトリン・アイオライトに死んでほしくはない。だがこのままでは彼女は死ぬ」

「どっちみちこの賢者の石は必要なんだ! 死ぬか死なないかは後で考えて、さっさと抜くんだ」

「断る。カルサイト・ジルコン」

「ん」


 ファイブロライトのほうをカルサイトは見た。


「クリスタル・クォーツの元に向かう。そこで、シトリン・アイオライトを治癒させる」

「……一応聞くけど、本当にこの子は助かるんだろうな!?」

「……なにもしなければ、どの道シトリン・アイオライトは死ぬ」

「そうだな」


 今はラリマーはいない。どの道ゴーレムからもジェードからも逃げなければ、彼女は死ぬ。

 ふたりは必死に坑道へと走り出していた。

 ファイブロライトに抱えられたシトリンがひどく軽い。腕も足もぷらんと投げ出されたままだ。

 頼むから。激痛が原因で死ぬなんて、そんなことにはならないでくれ。

 ふたりは必死に、結界の綻びへと急いだのだ。


****


 シトリンがうっすらと目を開くと、そこは光の濁流の中だった。いつか見た結界と結界の境目にも似ているが、そこよりももっと混沌とした光で溢れている。


──スキ キライ イタイ イタイ イヤ ヤメテ


 言葉が脈絡なく散らばり、光と一緒に流れていく。

 ここはいったいどこなのだろうかと、呆然としている中。


「まさか、こんなところにまた人が来るなんて思ってもみませんでした」


 いきなり声をかけられて、シトリンはビクッと肩を跳ねさせた。恐る恐る振り返ると、そこには白い巫女装束を纏い、パステルピンクの髪を背中を覆うほどに伸ばした少女が立っていた。絵本に出てきそうな古風な少女の出現に、シトリンはますます困惑した。どことなくクリスタルを思い出させるが、彼女よりも巫女装束が豪華な気がする。


「あの……私、死んだのかと思っていたんですけど……ここって、死後の世界でしょうか?」

「違いますよ。ここは言葉の濁流の中です。私は古代につくられた存在ですが、もう私がつくられた技術は、失われたとばかり思っていました」

「ええっと……?」


 彼女の言いたいことが上手く飲み込めず、シトリンは困った顔で彼女を眺めていたら、巫女は言う。


「おそらく、あなたは象徴の力に目覚めたために、ここに意識が飛ばされてしまったのでしょうね」

「しょうちょうのちからって……? 私は無意識のうちに、魔法を使っているとはお伺いしましたが、私の力の詳細は、誰も教えてくれませんでした……」

「そうですねえ……」


 彼女はシトリンの額に手を伸ばすと、撫でてくる。そのひどく冷たい指先に、シトリンがビクンと再び肩を跳ねさせていたら、彼女は微笑む。


「……ええ、あなたがここまで来られたのも、あなたの力のおかげですね。大丈夫です。あなたはちゃんと元の世界に戻れます。ちゃんと念じれば」

「あ、あのう……私の力のこと、教えてもらってもいいですか? 私の力は、自分のために使ったら駄目だとも伺いました」


 シトリンは、自分で必死に言葉を探し、紡ぐ。

 元々最初から、彼女は自分のために大きく動いたことはない。

 最初は故郷の村で幻想病で苦しんでいる人たちのためだった。気付けば国中の幻想病で苦しんでいる人たちのためにもなっていたけれど、今は、なにもできない自分に優しくしてくれた暁の明星団の皆の力になりたいと思っている。


「私は……誰かに守られる自分になんてなりたくないです。誰かを守れる自分になりたいんです」


 そう言ったら、巫女はにこやかに笑う。


「……あなたの前には常に選択肢が並べられても、あなたは常に正しい選択肢を選ぶことができる。それが、あなたに与えられた象徴の力──【確率操作】です。それを私利私欲のために使えば、世界のバランスを壊してほどの危険な代物ですが、人のために使えば、バランスを壊すことはありません。いずれここへの道も断たれ、あなたの力も使えなくなるかと思いますが……どうか、この力を持っている間、あなたはここでの誓いを忘れないでください」


 巫女に肩を押される。

 光の濁流が、シトリンを押し流していく。


「どうか……あなたの心の望むままに」

「あ、あのう! ありがとうございます! 誰かは知りませんが!」


 シトリンは流されながら、ふと思い出した。

 大昔、世界に結界を張った巫女がいたことを。彼女がそうだったんだろうか。もうすっかりと押し流されて、巫女の姿は見えなくなってしまったが。

 彼女はもう一度胸に触れた。

 今だったらきっと、賢者の石の力を使いこなせるはずだと。

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