旅立ち
買い出しに行った翌朝、早起きしたシトリンはルビアと一緒にパンを焼いて、それらを車に詰めていた。順調にいけば、そこまで長い遠出にはならないはずだ。
「それにしても、まさかここの地下の路線が、そのまんまクリスタルさんの地図と一致するとは思ってもいませんでした」
シトリンが引き渡された地図を皆で確認してわかったことだった。古代に敷かれ、ごちゃごちゃとしてしまっている帝都の路面でも取り壊されることなく放置されていた路線にこんな意味があったなんて。
シトリンがしきりに感心しているのに、ルビアは笑う。
「そうですね、この路線については、教会が保護するように伝えていました。もっとも、帝国では教会の権限がほとんどないのですが。この鉄道が廃線になった際は、時の皇帝が取り潰しを停止された話は残っていますから、この路線はなにかしら重要な立ち位置にあったのでしょうね」
「へえ……そんな話があったんですねえ」
子供たちはまだ寝ているし、既に出発する面子が車に武器なり蒸気機関なりを詰め込んでいる。もうそろそろ出発できるだろう。
帝国の蒸気が濃くなる時間。朝の八時になったら、一斉に辺り一面の蒸気が濃くなる。その頃を狙って出発するのだ。
成長させる守護石はカルサイトのものと決まった以上、賢者の石を胸に宿しているシトリンは危険だから教会に預けたほうがいいんじゃないか、守護石を結界に放り込んだら幻想病の蔓延は阻止できるのだから。
そう話をしたものの、シトリンは首を振った。
「孤児院にいたら、万が一のことがあったらルビアさんだけでなく子供たちを危ない目に遭わせてしまいます。それなら、安全じゃなくっても皆さんと一緒のほうがいいです」
ラリマーに目を合わせて訴えるシトリンに、カルサイトが彼女の肩を持つ。
「俺もシトリンは一緒に行ったほうがいいと思う。なんか俺のそっくりさんが彼女を連れ帰るよう命令されてるらしいしなあ。目を離したら連れて行かれそうで心配」
それにしばらく黙っていたトリフェーンが口を開く。
「……帝国機関の中で、問題のある機関が今回の件で動くはずだ。ファイブロライトが帰還した以上は、そうなるだろう」
「どこ? 諜報機関? 近衛機関?」
ジャスパーの無邪気な声に、ラリマーが渇いた声を上げる。
「……帝国錬金機関ですか」
それにシトリンはきょとんとした顔で、カルサイトとジャスパーを見るが、ふたりとも知らないようだ。
トリフェーンはラリマーに頷く。
「帝国機関は基本的に一般人に危害を加えないが、そこはそもそもモラルなんてものはない。あそこにあるのは知識的好奇心だけだ。子供にそのまんま頭脳を持たせたような連中しかいないから厄介なんだ。彼女が錬金機関に捕獲されたらどうなるかは、残念ながら諜報機関の俺にもわからない。彼女は連れて行ったほうがいい」
「……本当のことを言えば、僕はそれでも、シトリンさんを連れて行くことは賛成しかねます。彼女に埋め込まれた賢者の石が、守護石強化の際にどう作用するかわからないからです」
シトリンは自分のワンピース越しに、胸に触れる。相変わらず賢者の石は、他の賢者の石を見かけた途端に彼女自身を痛めつける、賢者の石発見器以外の役割を見いだせない。
それでも、カルサイトの持つ守護石はちっともシトリンの胸の賢者の石を作動させず、彼女を痛めつけることもなかった。
シトリンはラリマーに告げる。
「私は大丈夫です。たしかに私は、武器なんて使えません。逃げることしかできません。足手まといにならないように頑張りますので、どうか連れて行ってください。……私は、自分のせいで、ルビアさんたちが危ない目に合うほうが嫌です」
そう言って頭を下げるシトリンに、ラリマーは困惑して彼女を見ていたが、やがて口を開く。
「……正直、いち錬金術師としては、この道のりの中、賢者の石がどう作用するかはわかりません。最悪の場合、あなたを食い殺してしまうかもしれないので、本当なら置いていきたいんです。ですが、どこにいても、シトリンさんが狙われるのだとしたら。僕個人としては、あなたの賢者の石が拒絶反応であなたの身を滅ぼしてしまう直前までは、手元に置いておきたいと思います」
「なら……!」
シトリンは目をぱぁーっと輝かせると、ラリマーはカルサイトをちらりと見る。
「カルサイトくん、どうかシトリンさんをよろしくお願いします」
「おう。今は相棒もいるしな」
そう言ってカルサイトはにやりと笑った。トリフェーンは心底嫌そうな顔で「誰が相棒だ」と言ったが、本気で嫌がってはいないようだった。
こうして、準備をする中。
「シトリンさん」
ルビアに声をかけられ、シトリンは顔を上げる。
「どうかしましたか?」
「錬金術師の皆さんや、信者ではない方々は誤解していますが、本来、守護石は宿主を守るものです。外敵から宿主を守ろうと拒絶反応を起こすだけで、決して敵ではないんです」
「はあ……」
それはクリスタルも言っていたと、わからないシトリンは眉を寄せて話を聞いていたところで、ルビアは彼女の胸に触れる。
石の感触がシトリンにぶつかる。
「もし守護石が力を取り戻したとき、どうか守護石の言葉に耳を傾けてください。何度も言います。守護石はあなたの敵ではありません」
「え……? 守護石って、しゃべるんですか……?」
シトリンの素っ頓狂な言葉に、ルビアはくすりと笑う。
「物の例えです。どうか……あなたに主と守護石のご加護がありますように」
そう言って祈られて、シトリンはわからないまま、ワンピース越しに賢者の石に触れた。
まるでルビアは、守護石が強化されたら、なんらかの現象が起こるのを知っているようだ。それも廃れてしまった宗教の問題なんだろうかとは思うが、既にシトリンの故郷のアンバーでは教会は機能していない。ルビアの話はいまいちピンと来ないままなのであった。
****
「とりあえず、燃料はひと月くらいは大丈夫。それ以上になったら、ちょっとどこかから調達しないといけないけど」
「ご苦労様です、ジャスパーくん」
最後の仕上げをしてから、ようやく車に乗り込んだ。
今までは列車と連結していた影響で列車なのか車なのかわからない様相だったが、今は寝台のある大き目な車だ。三階建てベッドがふたつあり、簡易的な蒸気機関で動くキッチンもあるから、これで料理もできるだろう。
皆それぞれ乗り込むと、地下までルビアが見送りに来た。
「それでは、皆さん。主と守護石のご加護がありますように」
「おう、なにかあったら連絡しろ。帝国機関が変な動きをするようだったら報告してくれや」
「わかっています。トリフェーンくん、カルくんが無茶なことをしたら止めてくださいね」
「善処する」
幼馴染同士の気心の知れた会話を聞きながら、シトリンは「ルビアさん! いろいろとありがとうございます!」と告げる。
ルビアはにこにこと笑いながら、頷いた。
「ええ。別にカルくんの真似して、ちょっと世界を救ってくるなんて思わなくってもかまいませんよ。ただ、あなたが初めて帝都を訪れた日のことを、どうか忘れないで」
そう言われて、シトリンは頷いた。
本当におかしな話なのだ。
最初はただ、幻想病で苦しんでいる村の皆を助けたかっただけなのに、気付いたら世界規模の大事になってしまっているのだから。
未だに訳のわからない賢者の石に、なにを考えているのかわからない帝国機関。結界が完全に壊れてしまったら魔法が復活するというのだって、実のところピンと来てはいない。
ただ、ここで平和に暮らしている孤児院の子供たちがいて、大通りで買い物をしたり商品を売ったりしている人たちがいて、他の町や村にだって普通に生活している人たちがいるということを、もうシトリンは知っている。知ってしまっている。
きっと目をそらして見なかったことにしてしまうのは簡単なことなんだろうが、なかったことにして幻想病の人たちは減らないんだろう。
「それじゃ、行ってくるねー」
ジャスパーは能天気な声を上げて、車を動かしはじめた。
しばらく走った地下鉄道。それを越えたあと、視界が広がった。
あちこちからもうもうと蒸気が立ち込め、それが朝日を受けてきらめいている景色。蜘蛛の巣状の路線は、今日も世話しなく走っていく。
しばらくはこの光景も見納めだ。
「最初に行くのはどこなんですか?」
クリスタルからもらった地図に浮かんでいる最初の場所。ここより西の町だった。
「んー、早速買った服が必要になるかもな。皇帝のお膝元だ」
カルサイトのにやりとした笑いに、シトリンは肩を跳ねさせたのだった。
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