犬、吠えまくる。焼き鳥も磯辺揚げもあげない。

まっく

のり弁(焼き鳥タイプ)は奇跡のバランス

 青天白日。


 そんな四字熟語がピッタリな青空。


 僕は、自分の心の中の曇った部分を見透かされてしまいそうで、どこか落ち着かない足どりで下校していた。



 どこからか、けたたたましいという表現が控えめなくらいに吠えまくる犬の声。

 ふと見やると、門の前に一人の女が座り込んでいた。


「おい! とにかく一旦落ち着け、な。話を聞いてやる。吠えるのをやめろって!」


 門を隔てて、犬と真っ向から怒鳴りあっている。


 あの声。

 ほつれが目立つセーター。

 ダボダボのパンツ。

 艶ゼロの黒髪。

 体の横にはスーパーの袋。

 手にはレモンサワーの缶。


 間違いなく、あのビルの屋上で会ったお姉さんだ。


 この辺りをよく散歩していると言っていたが、あの日以来一度も出会わなかったので、その時の出来事の不可思議さも手伝って、どこか現実にはいない人なんではないかと思っていたが。


 ここはスルーするのが得策だとは分かりつつも、吸い寄せられるように、そちら側に足が向いてしまう。


「お姉さん。その犬、どうかしたんですか」


「一旦、聞け! 何をそんなに怒って……、ん?」


「こんにちは、お姉さん」


「おー、アンタいつぞやの!」


 険しかったお姉さんの顔が、パッと明るくなる。そして、レモンサワーの缶を一気に空ける。


「こいつがめちゃくちゃ怒っててな」


 いつものように、レモンサワー片手に酔い醒ましの散歩をしていたお姉さん。


 犬がずっと吠えているのに気づき、その門の前までやって来ると、それまでにも増して、猛烈に吠えまくるので、諭していたんだそうだ。


「たまにここは通るけど、こんなに犬に怒られたことないぞ」


「僕もほぼ毎日登下校してるけど、吠えられた記憶はないですね」


「だよな」


 まあ、吠えられたからって、別に相手にする必要はないのだが。


「この犬、室内犬だから、普段は散歩以外では、外に出ないんじゃないですか」


「ぱっと見、外に犬小屋見つからないしな」


「お腹空いて、外に出てきちゃったとか」


 お姉さんは「うーん」と唸って、


「このままでは埒が開かんから、あたしは軽く情報集めてくる。アンタは一旦着替えてきな」


 と言って立ち上がり、新しいレモンサワーをポケットから取り出すと、プルトップを開け、飲む素振りを全く見せないまま、スタスタと歩いて行ってしまった。


 なんだかんだで、やっぱり巻き込まれてしまう運命なんだなと思ったが、このお姉さんに振り回されるのは、不思議と嫌な気はしなかった。


 犬は一瞬吠えるのをやめたが、二人を引き止めようとするかのように、またすぐに猛烈に吠え出した。




 僕が着替えて戻って来ると、お姉さんは最初と同じように吠えまくる犬の前に座り込んでいたが、今度は犬とやり合わずに、手を顎に当てて、何やら考え込んでいるようだった。


「何か分かりました?」


「ああ、近所を軽く回って聞いてきたんだが、ここの奥さんの奥さん」


「奥さんの奥さん?」


「うん。奥さんの奥さんのお父さんの奥さんが入院したみたいで、今、実家に帰ってて」


 何? 早口言葉?


 僕が首を傾げていると、お姉さんが表札の方向をツンツンと指差す。


 どうやら、この家の主は『奥』という苗字らしい。奥さんの奥さんね。


「お父さんの奥さんって、奥さんの奥さんのお母さんじゃないんですか」


「お父さんの再婚相手でな。その義母とは一度も会ったこと無いらしく、奥さんの奥さん自身が、お父さんの奥さんって、言ってたんだって」


 とてつもなくややこしいが、そうらしい。


「じゃ、ご主人、犬に餌やり忘れたんじゃないですかね」


「だとすれば、何日もご飯にありつけてないくらいの鬼気迫る勢いだけどな」


「何か食べ物、あげてみます?」


「そうだな。一旦それで反応を見てみよう。アンタ食べ物持ってきた?」


「いえ、持って来てないですけど」


「なんだよ、クソだな! そんな顔なんだし、気ぐらい利かないと女にモテないぞ」


 確かに顔は良くないし、気も利かない。

 しかし、この状況下でそんなにも言われなければならないだろうか。


 なによりも。


「そこのスーパーの袋なんですけど」


「あー、これ?」


 お姉さんは、袋を顔の前まであげる。


「形からして、弁当が入ってるんじゃないんですか」


「よく分かったなー」


 お姉さんは、一転、にへらっとした顔に変わる。忙しい人だ。


「ここのスーパーののり弁な、白身魚フライの代わりに、焼き鳥が入ったタイプのやつもあるのよ」


 そう言って、袋から弁当を取り出す。



 いや、食いもん持ってんじゃんか!



 蓋が透明なので、中身が見えている。

 真ん中辺りに、串から外された焼き鳥と細長いちくわの天ぷら、黄色は卵焼きか。


「しかも、白身魚フライのやつだけじゃなくて、焼き鳥タイプにもタルタル付いてんだよね」


 僕もタルタルソースのポテンシャルには一目を置いている。けど、それは今どうでも良くて。


「焼き鳥、一切れあげてみましょうよ」


 気のせいか、ゴゴゴッという音が聞こえた気がしたので、顔を上げると、そこには見紛みまごうことなき修羅がいた。



「バカかっ、アンタはっ!!」



 これほどまでに、理不尽にキレられると、不思議と冷静になれる。


「一旦、座れ!」


 お姉さんは、地面を穿とうかという程に指を下に動かす。


「地面、汚くないですか」


「人間のケツも、そこそこ汚いからWin-Winだよ」


 出たよ、独特の理論。

 それにどっちも汚いなら、Lose-Loseじゃないのかと思ったが、言うと火に油を注ぐので、素直に座る。


「まず、この弁当はな、あたしの飲み仲間のスーパーの店長から、賞味期限切れのやつを貰った物だ」


 買ってないのかよ。

 しかも、賞味期限切れてるやつでさえ、犬にあげないとか、マジか。


「あたしと店長の絆だ。おいそれと他人に食わせる訳にはいかない」


 何か、いい感じに言ってますけど。


「しかも、ご飯の量、海苔の大きさ、おかかのまぶし具合、さくら漬け、卵焼き、きんぴらごぼうの味付けと量。どれも過不足ない完璧な状態にある」


 僕は「はあ」としか言えない。


 お姉さんは立ち上がる。


「そして、メインの焼き鳥とちくわの磯辺揚げ。焼き鳥四切れのうちの二切れと、磯辺揚げの半分にタルタル全部を投入する。タレだけの焼き鳥一切れでレモンサワーを二口。そして、磯辺揚げのタルタル部分をガブリと全て口に入れ、残りのレモンサワーで流し込む。さらにタルタルの焼き鳥一切れで、新しく開けたレモンサワーを二口飲む」


 再びの「はあ」の後、お姉さんはマシンガンのように、残りのおかずとご飯部分の食べ方を吐き出し続けるが、全く頭には入ってこない。


「……で、最後のお米一粒まで、綺麗に食べ終わるって寸法だ。手を合わせて、弁当の蓋を閉じ、二缶目のレモンサワーをグイッと飲み干して、この完全なる食事は完結する」


 お姉さんは、再びどっかと腰を下ろし、レモンサワーに口を付けた。


「アンタも話を聞いてわかっただろ。のり弁焼き鳥タイプの奇跡のバランスが」


「んー、まあ、はい」


「そんな我々人類にとっての奇跡のバランスを、事もあろうにアンタは安易に崩そうとしたんだぞ! 恥を知れ、恥をっ!!」


 いやいや、人類にとってって、話が大き過ぎる。

 大体、みんながお姉さんみたいにレモンサワーを飲まないし。


「作ってくれてる人に失礼だとは思わないのかっ!!」


 人に対して、失礼だと思う気持ちがあるなら、その欠片でも僕に向けて欲しい。



「君たち、そこで何をしている!」


 お巡りさんが、こちらに走って来る。

 他人の家の前で騒いでいる二人組がいると通報が入ったようだった。


 お姉さんと同種扱いされたのは不本意だか、冷静に考えて、通報は致し方ない気がする。


「マッポに用はねぇよ」


 お姉さんは、下から顔をしゃくり上げる。

 話がさらにややこしくなりそうなので、僕が説明をする。


「犬がめちゃくちゃに吠えてたんで、二人でどうしたのかなって」


「君たちが騒いでるから、犬が吠えてるんじゃないのか」


「それは違います」


「分かった。で、この犬、室内犬だよな」


「そうなんですよ。外に出て吠えまくってるから、お腹空いてるのか、何かを訴えたいのか」


「家、誰もいないのか」


 お巡りさんが、犬の気を逸らそうと試みるが、やはり吠えるのを一向にやめない。


「奥さんは実家に帰ってて、ご主人は仕事だと思うんですが」


 お姉さんの方を見ると、そっぽを向いて、分かりやすく膨れっ面をしている。

 何か、警察に恨みでもあるのか。


「もし、家の中で倒れてたら、一大事だな」


 お巡りさんはそう言って、無線に許可を取る。


 お巡りさんが門を開けると、犬は裏手の方へ走り、また再び吠え始めた。




 奥さんのご主人は、居間で倒れており、救急車で運ばれた。

 命に別状は無かったみたいで、ホッとする。


 犬は引き戸を前足で何度もカリカリとやって、外に出て来て、誰かに助けを求めて吠えまくっていたみたいだった。


 主人の命を救ったお手柄犬だと、テレビの取材が来たりで、少しの間、通学路は騒がしかったが、最近では、それが幻だったみたいに、平穏を取り戻している。


 いつものように下校していると、あの奥さんの家の前で、右手にレモンサワー、左手にスーパーの袋を持ち、フラフラと散歩するお姉さんとバッタリ。


「あたしたちが通報されてなかったら、奥さんの旦那、どうなってたか分からないのに、犬の野郎ばっかり」


「通報されておいて、おとがめなしですから、御の字でしょう」


「納得いかないけど」


 お姉さんは持っているレモンサワーを一気に飲み干し、またポケットから新しいレモンサワーを取り出して、プルトップを開ける。


 すると、門の前にひょっこりとあの犬が現れた。千切れんばかりに尻尾を振っている。


 あれ以来、自分で引き戸を開けて外に出るのが癖になったんだろうか。


「でも、やっぱ犬が一番の手柄ですよ」


「まあな」


「じゃあ、のり弁を……」


「あげない! 絶対に焼き鳥も磯辺揚げもあげない!」



 今日は一段と空が高い。

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犬、吠えまくる。焼き鳥も磯辺揚げもあげない。 まっく @mac_500324

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