MEMRIES

いちはじめ

MEMORIES

 大変な記憶をしょい込んだ私の話を、どうか聞いてほしい。

 私はセラピストで、主に記憶障害を患っている患者を相手にしている。一般的に、この手の患者には対話によって、現在から過去へと記憶を遡り、障害を起こしている心的要因を探るのが基本的な治療法となっているが、私の場合は少し違う、対話を必要としないのだ。

 実は私は、触れた相手の記憶を読むことができる。この能力を使って的確に障害の原因を把握し、治療に役立てているという訳だ。

 この能力に気が付いたのは、小学校の低学年の頃だ。ある日、体育の授業か何かで女の子と手をつないだ時に、テレビ番組が突如頭に浮かんだのだ。その時は訳が分からず、びっくりして泣き出してしまった。後からそれが、女の子が前日に観たテレビ番組であることが分かった。その後も何度かそんなことがあり、私は、自分が病気ではないかと随分悩んだのだが、それはどうやら触れた人間の記憶であることがわかってきた。高校生になる頃には、それをうまくコントロールすることができるようになり、この能力を面白半分に使って、合コンやナンパに活用していたが、そのうちに虚しくなってきて使うのを止めた。記憶は真実を写し取ったものではない。人は自分に都合がいいようにそれを書き換える。私は人の持つ裏表の顔を見てしまうのが辛くなってしまった。また知らなくてもよいことを知ったが故に、大切な人を失ってしまったことが少なからずあったのだ。そのことを嫌というほど学んだ。

 大学を卒業してからは、この能力を最大限に活かせるセラピストを目指した。この能力が誰かの役に立てばよいという考えに至ったと言いたいところだが、正直そんな大それたものではなく、この能力を知られずに金を稼ぐにはこの方法しかないと考えたからだ。

 セラピストになってからは、順風満帆だった。専門的知識を身に付け、人の記憶が覗けるのだから、こんな優秀なセラピストは他にはいない。評判が評判を呼び、客の列が途切れることはない。そんな評判を聞きつけてか、公安関係の仕事も舞い込んでくる来るようになった。正直そちらの仕事は遠慮したいのだが、独立の際に世話になった恩人からの頼みだから無下に断ることもできず、しぶしぶ引き受けている。実際、殺人犯やサイコパスの記憶を覗くのだ、正視に耐えないものや、自分の思い込みや欲望によってねじ曲がったグロテスクなものを見せられるのが、どれほど辛いことか想像してほしい。

 さて前置きが長くなったがここからが本題だ、よく聞いてくれ。先月、この公安絡みの仕事の依頼が一件入ったんだ。ある海岸で行き倒れていた老人の診察だ。この老人は、身分を証明するものを一切の所持しておらず、また何を聞いても一言も話さないということだった。私は話を聞いて、単なる記憶喪失であり、楽な仕事だと高をくくっていた。

 しかしそうではなかった。もし前もって分かっていたら、引き受けなかっただろう。その老人は虚ろな目をしてベッドに横たわっていた。早速私は、ベッドの傍らに腰かけると、彼の手を握って彼の記憶を探った。大脳皮質の記憶野に蓄えられた記憶は、感情に紐づいている。感情の度合いが大きいものほど強く記憶に残るのはその為だ。だから人の記憶を覗く時、その紐づいた感情がノイズとなって邪魔をする、ちょうど昔のブラウン管テレビの画像のちらつきのように。しかし、その老人の記憶にはそのノイズが全くなかったのだ。彼の記憶はまるで鏡のような水面に映った月のようだった。奇妙な点はそれだけではなかった。通常、記憶は本人の視点で記憶されるものだが、彼の記憶には本人の視点が欠けていたのだ。そんなことは初めてだった。彼の記憶は彼が体験したことなのか、それとも誰かの記憶を読んだものなのか……、つまり私のように。

 それから何度も老人の記憶を覗いた。それはまるで地球に関するアーカイブと言っても過言ではなかった。直近の記憶は、人類の歴史を見ているようで、近代から中世、古代、そして人類の誕生の曙が記憶されていた。

 私は何かにとりつかれたように、彼の記憶の中を深く深く潜っていった。それは人類の歴史を超え、更に新生代、中生代、古生代と遡り、まさに生命の歴史そのものであった。

 彼の記憶の最深部に達した私は、気が付くと荒巻く波が打ち寄せる海岸に一人立っていた。空には、所々を赤く染めた、現在より三倍ほど大きい月が、浮かんでいた。

 私は、ここが原初の地球であることを確信した。

 この老人は何者なんだと、改めてそう思った時、私を呼ぶ声を聞いた。その声の方に向くと老人が佇んでいた。その風貌はベッドに横たわる彼そのものだったが、その目は碧く澄んでいて、全てを見通しているようだった。

 彼は私に向かって言った。

「さて、儂は少々疲れた。ようやく替わりが見つかった、後は頼むぞ」

                                   (了)

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

MEMRIES いちはじめ @sub707inblue

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ