働かざる者/飯を食う。

sorasoudou

働かざる者/飯を食う。





 わさびを醤油に溶く。そこにツナ。マヨネーズを適量。

 一混ぜしたら、ラップに広げた海苔とごはんの真ん中にのせる。

 あとは握るだけ。

 三角に、ぎゅっとやる。転がしてぎゅ、二、三回繰り返す。


 ふんわり握るのが良いとされているのは知っている。それは金を出して買うもので追求していただければ良い。

 硬かろうが、海苔しっとりだろうが、食うのは自分だ。ふんわりもパリパリも好きだが、どちらか一方が正解などない。

 ツナのオイルが残りすぎて汁が米の間から染み出しても、それはそれで良いのだ。冷凍ごはんにツナ缶、味付け海苔、わさびのチューブまでもが奇跡的に使いかけで残っていた。食堂開放から三分も遅れたのに食べられる物が残っているなんて、奇跡どころの話ではない。

 マヨネーズが大さじ一杯分支給され、その上、食堂に常備されなくなって久しい個包装の醤油が保存容器いっぱいに補充されている。

 何の文句を言う必要がある。


 どうにか確保した二回分の食事、おにぎり二個を、上着の内ポケットに突っ込んだ。

 小皿に残った具は、固くなった昨日の夜のコッペパンの欠片に吸わせる。これが今日の朝食だ。

 昨日パンを残しておけただけ、今日はマシだと思わねばならない。


 ツナわさび醤油マヨ味のコッペパンを口の中で転がし、噛み砕いた。

 本来ならチーズをのせて焼きたかったところだが、キャンディ型のおやつ用のものですら数週間前に見かけたきりだ。オーブントースターも壊れたままで、棚に捨て置かれている。電子レンジがいつまで持つかが、この食堂の生命線だ。


「食ったか? 行くぞ」


 食堂の入り口に現れた監督官が無情にも休息の終了を告げる。

 離れた席でそれぞれ最後の晩餐ならぬ朝飯になるかもしれないものを口に放り込んでいた連中が、嫌々立ち上がった。

 狩りの装備を手に仮設テントの食堂を出て行く誰もが、何の邪魔もされず、好きな場所で好きなものを好きなだけ食べられる日が来ることを望んでいるらしい。


 自分だけかもしれない。


 今日食うのは、また明日、この地獄を繰り返すためだというヤツは。








「弾、残ってるかッ!?」


 監督官がでかい声を出して、すぐ隣のこちらへ聞く。

 とどめの銃撃が轟かせた衝撃音の余波で耳がバカになっている。こっちの声が届くか怪しいので、ただ首を振って返す。


「ちっ、また接近戦かよ」


 遠くから狙えないとなると危険度は爆上がりする。

 幼体でも怪獣は怪獣だ。

 闘牛かヒグマかヘラジカか、そのくらいの大きさの生き物がなり振り構わず突っ込んできたら、人間などひとたまりもない。


『救助求む! 車両横転っ!』


 ヘッドセットから悲鳴が上がる。少し先にいた同僚の様子を見れば、悲鳴の理由も一目瞭然だ。


 トラフグにワニの手足を付けたかのような子怪獣たち三匹が混乱して闇雲に跳ね回り、横転した軽トラに体当たりを繰り返していた。

 荷台から野っ原に投げ出された連中は体当たりを避けつつ、四方へ散る。

 一人が振り返り、対幼体用の大型洋弓銃クロスボウを撃った。矢は狙いを外れて、子怪獣の遥か後方、掘り返された地面に刺さる。


「バカか、コラッ! 体勢整えてから撃て!」


 無駄に使いやがってと怒鳴り、監督官は接近戦用の装備品と共に車を飛び降りて救援に向かう。

 もりなのかやりなのかよく分からない装備を手に自分も続く。子怪獣を機械式の大剣で迎撃する監督官と、己の装備品の下敷きになって逃げられず慌てる新人も追い越して、軽トラへ駆け付ける。


 ちびトラフグワニ渾身の体当たりを受け、九十度ばかり回る車体。フロントガラスの向こうでは歪んだドアから出られない運転手が大型散弾銃へ弾を込めていた。


 待て。と、片手を上げて合図を送る。

 横倒しの軽トラによじ登り、周囲を見回す。矢がかすった怒りに我を忘れて離れた所で跳ね回っていた一匹がこちらに気付き、ワニ足で走り来る。真っ直ぐ突っ込んで来ると、地を蹴って跳んだ。

 手にした銛の端を軽トラのドアノブに預ける。


「ちょっ、ちょ! 待て、まてエーーーー!」


 中から叫ぶ運転手を置いて、真横へ飛び降りた。


 衝撃に跳ね上がる軽トラ。銛が胸から背へとぶっ刺さり、自ら串刺しになったちびトラフグワニは音を立てて軽トラの上へと落ちた。透明な体液が傷口から流れ、ひしゃげたドアを伝って車両が埋もれた地面を濡らす。


「おいおいおい! 余計出られねえって、これ!」


 防弾のフロントガラスを叩いて叫ぶ声がする。悪いが構ってられない。

 すぐに立ち上がって監督官の元へ駆けると、ちょうど、大剣がうなりを上げ、子怪獣の柔らかい胴を真っ二つにしたところだった。


「借ります、それ」


「はあ?」と呆れた様子で監督官はこちらを見たが、びしょ濡れの柄をそのままに振動刃の大剣を差し出す。

 巨大な獲物には大きな電動パン切りナイフでも持ち出さねば、我らに勝ち目はない。


 せっかくだが思い付きの使用法に振動する刃は要らなかった。

 握りにあるスイッチを切り、側に転がる大型洋弓銃を片足で起こす。その下から抜け出た慌て者が、軽トラを回り込んで現れた残りの一匹を指差した。


「まだ、そこにいる!」


「知ってる」


 兄弟姉妹をやられた子怪獣はギョロ目を、こちらへ向けた。上下に大きな歯が生えた口ばしをガチガチと怒りに打ち鳴らす。

 上手いこと騒ぎ声を聞き付けてくれた。人は誰もが何かしらの役目を持っている。慌てると声が高くて大きくなるコイツでも、居ると役には立つのだ。


「右に走れ」


「は?」


「右に逃げろって。こっちに引きつけるから」


 嘘です。

 こちらの嘘を鵜呑みにして、おとりは走った。たぶん、乗り捨ててきた監督官の車両でこの場と初仕事から逃げ出す気でいる。


 まあ気持ちは分かるよ。キツイ汚いクサイの3Kだけの方が極楽に思える現場に何の準備も心構えもなく、閉じこもっていた部屋から引きずり出されて、いきなり放り込まれたら逃げたくもなる。

 生きる目的が定かでなくても、大抵の人間は死にたくはないし。


「代わる」


 物分かりのいい力持ちの監督官が、洋弓銃の発射装置に大剣の柄を固定してくれた。大剣は無骨でごつい見た目から思うより、かなり軽量化されている。上手く飛ばなくてもこの至近距離だ。当たれば致命傷にはなる。


 逃げるものを追いたくなるのは生き物の習性か。ちびトラフグワニは、こちらを無視して逃走者を追った。


 脇腹がら空きだよ。


 撃ち出された大剣がちびトラフグワニの上半身をえぐり、ねじれて飛んだ頭が逃走者の行く手に落ちる。腰を抜かしてひっくり返った彼をにらんで、哀れな子怪獣は永遠の眠りについた。







 今日の現場を見回すと、逃げ延びた子怪獣たちが海へと飛び込むところだった。残りは草地や土砂に倒れている。あらかた狩りは終わったようだ。


 土がえぐれ、岩は転がり、荒れ果てた海岸に横たわった大型フェリー級の親怪獣の巨躯からは、もうもうと煙が上がっている。

 あっちは大剣や矢では倒せない。狩猟用に改造された砲弾を、戦闘機や戦車、対空機関砲から急所へ撃ち込むのだ。

 消防艇が何艘も駆け付けていた。食い込んだ砲弾の熱で勝手に焼かれては高額な商品にならない。処理班の職人たちを乗せた水圧切断機ウォータージェットカッター搭載の特殊車両が何台と集まり、いくらか柔らかい腹側からさっそく解体を始めている。瞬間冷凍庫をけん引した大型車両が土を巻き上げ、続々と到着する。

 鮮度が命だ。仕事が早い。


「今日は、焼き鳥もどきぐらい出ますかね?」


 晩餐の献立をたずねると、大剣を回収してきた監督官が解体作業を眺めながら答えた。


「さあ、知らんな。あいつは鶏肉に似てんのか?」


「ワニとトラフグを合わせたっぽい見た目ですから似てるんじゃないですか。どっちも鶏肉的な肉質してますよ。ワニは食べたことないですけど、フクは唐揚げ最高ですし」


 監督官が眉を吊り上げる。


「おい。フグを食ったことがあるのか?」


「父が昔、水産加工に勤めてたんで。商品にならないおこぼれを何度かは」


「マジかよ。平和な時代の話しだな」


 てっちりや刺身より一夜干しか天ぷら、やっぱり唐揚げが好きですね。湯引きも美味いですよ。ポン酢とアサツキ、刻んだ小ネギで食べるんです。

 と、この先もうあり付けはしないだろうフクの食べ方を色々と語っていたら、誰かの腹の虫が鳴いた。


 知らん顔で、ちびどもの遺骸が回収班によって運ばれて行くのを見送る監督官。一仕事終えた現場監督は遠い目をしている。

 新人のみならず逃走者が頻発する現場で、所属班員の不手際の穴埋めをせねばならない苦労は、いかばかりか。


 上着の内ポケットを探る。


「食べます?」


 今日の配給を把握しているだけある。ちらと横目をくれただけで、おにぎりの具を当てた。


「ツナマヨか?」


「ツナわさびマヨ醤油です。それ、コンビニにないの、おかしくないですか?」


 おにぎりを受け取りつつ、監督官は首を捻った。


「聞いたことはないな、この味」


 ツナマヨは食糧難以前から大人気だったはずだが、なぜか、ツナわさびマヨ醤油には家の外で巡り合ったことがない。そうか、わさびが普通はこども向けではなかったのかと納得しかけたが、もっと重大な原因に気付く。


「いや、コンビニ自体がほぼ無くなってきてるんでしたね」


 無事な店で今や高級品のおにぎりを買う金も無いけど。


 自分の分を取り出し、早めの昼食を頬張る。いつ出動になるか分からない。腹ごしらえは出来る時にやっておくことを学んだ。こうして生きて、ものが食えるだけありがたい。


「お前まさか……」


 早くもおにぎり一個を食べ終えた監督官が、眉根を寄せてこちらを見つめる。筋骨隆々の大男には小さすぎたようだ。


「これのために、接近戦しなかったのか?」


「つぶれても食べますけど。せっかく握ったし、おにぎりの形で食べたいじゃないですか。きりたんぽも、いつか作ってはみたいですけど」


 上着として衝撃吸収素材の防護服を着てはいるが、一撃喰らえば内ポケットのおにぎりは無事では済まない。

 何より、鍛え上げられて育った監督官とは作りが違うのだ。

 長年の引きこもり生活で得たものが、大剣を振り回し、大型の装備を抱えて走り回る体力である訳がない。


「変わってるな。ここで気を付けるのが、それか」


「ここには、変わってるヤツしかいないですよ」


 自分も含めて変わり者であることは自覚しているのだろう。監督官は大剣片手に黙って歩き出した。その後ろへ続く。班員護送用のマイクロバスが、えぐり取られた海岸の、唐突に終わった道の端に到着していた。


 年季奉公が明けるか死ぬかしないと、この役目からは逃げ出せない。

 逃げる気はないから関係ないが。







 異常気象による世界規模の食糧難。

 いつか来ると警告がなされていた最悪の事態で、さらに日本政府が頭を抱えることになったのは、怪獣の出現だった。


 日本近郊の深海底から現れた未知の生物は地表の岩石、特に土砂を好んで食し、国土を奪う。手入れが行き届いた日本の田畑は特別に美味いらしい。怪獣の被害に今のところは遭っていない諸外国に比べ、より深刻な食糧難に陥りかけた。


 無毒な怪獣を食せることに気付かなければ、農地が食われ、自給率どうこうの前に国が文字通りなくなっていたところだった。

 北海道の太平洋側と首都の食糧供給に直接関わる関東沿岸へ強固な防衛が施されたが、地方はどうしても手薄になり、うちの担当区域の海岸は今日もこの有り様だ。


 食糧に認定された怪獣は安全な加工品に生まれ変わり、日本国民の腹を満たしただけでなく、重要な輸出品になった。

 怪獣狩りは国家事業だ。今や日本人の三分の一近くが怪獣加工の何がしがに関わっているそうだ。


 大型の怪獣は自衛隊の担当だが、たまに親が引き連れてくる幼体や小型のものを仕留める役目は、一般から狩人をつのってまかなった。

 人手不足は深刻で、猟友会はもちろん、ゲームと勘違いしている好きものだけでは間に合わず、緊急徴集で無職とニートに属するとされた者たちが担ぎ出された。ついでに口減らしもと思ったお偉いさんがいるらしい。


 戦闘力一桁であっても手厚い補償は約束されている。

 今はタダ働きの分、一円も払えてないのに将来の年金は満額支給が確定した。家族には三度の食事の配給が優先されて、飼い猫のエサにも困らないようになっている。


 年金も配給も結局のところ、徴集の対象者が死なないでいることが前提だ。


 つまり、こちらが死なない限りは、親にも猫にも食うものがある。







「ごちそうさん」


 不意なつぶやきに顔を上げる。


「美味かった」


 こっちの頬をいくらか緩ませても、次のお裾分けがあるかは毎度の配給次第ですよ。


「あれの唐揚げ来ないかな。フクと味が似てるか確かめたら教えますね」


「さっきから気になってたが、フクって何だ?」


「本場じゃ幸福を願って、フグをフクって呼ぶんです。初代総理大臣のおかげで名物にもなりましたからね、幸運だってことじゃないですかね」


 説明に気のない返事をしていた監督官が緊急無線を受け、電源入れっぱなしだったヘッドセットに向かって、大声を上げつつ走り出した。


「出動だ! 逃した幼体がサツマイモ畑に出たらしい!」


「うちの命綱じゃないですか! 焼き芋、天ぷら、大学いもッ!」


 ツナわさびマヨ醤油のおにぎりが早くも走力に変わったらしい。

 荷台に機銃を据え付けた監督官の軽トラに駆ける。運転席に監督官、荷台に自分。これで走行が許されていることくらいか、現場以外での怪獣駆除班の特権は。

 マイクロバスに押し込められた連中は有無を言わさず、次の現場に運ばれて行った。その後を装備品回収専用車が追う。


「急ぎましょう! 一大事です!」


「大事なのはイモか」


 食うのは大事ですよ。


 今日明日を無事に潜り抜け、明後日とその先を生き続けるために。








 働かざる者/飯を食う。

  ひとまず、おしまい。









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