猫のキェルケゴール❗

淡雪 隆

第1話

           淡雪 隆

 

    一 キェルケゴール


「人間、生きてさえいれば、いつか良いことがあるだっちゃ」哲は、何時もじっちゃんに言い聞かされていた。


〈じっちゃんは八十三年も生きたけど、何かいいこと有ったのかなーー〉


 と思い出していた。 ヒユー、ヒユー、と木枯らしも吹き始め、寒さが肌に染み渡る。しかし、空気が澄んで、夜空の星が綺麗に感じられる候、吉岡哲県立双葉高校一年生十六歳は、自宅の二階にある自分の部屋で机に向かっていた。秋も深くなり 、冬の顔が見え始め、哲の部屋はエアコンで暖められていた。 哲は、成績が下から数えた方が早いくらいの生徒であった。そして同じクラスの佃美代子を凄く意識していた。早い話が惚れていたのだ。まあるい顔に赤いほっぺ、目が大きくて可愛ら しい。まつげが長いからだろう、何時も吃驚した様な顔をしていた。机の上に教科書は開いているが、頭のなかは彼女のことで一杯だった。


ーーあ~、いいな~美代ちゃんーー


 等と思い浮かべていたその時、 〈お前!  彼女の事が好きなのか?〉 と声が聞こえた。 「えっ、誰?」哲は、部屋中を見渡した。誰も居ない。


  首を傾げていたら、 〈どこ見てんだよ、お前の足元だ!〉 「えっ! 何、何だ?」 足元を見ると、飼い猫のキェルケゴールがいた。やっと解ったか、俺が話しかけたんだよ〉 と言いながら、キェルケゴールは、哲を見上げた後、前足を舐めていた。



  猫のキェルケゴールは、いつの間にか家に住みつい た猫だった。妹(哲美)や母(哲子)が勝手に餌をやったりするものだから、家に居着いてしまった。 ただし、二人は、キェルケの事を三太郎と呼ぶけどね、 俺は不気味な猫だなと思っていたのだが、妹が可愛がるので仕方なく飼っていた。


  ーーおい、お前! 何で? どうしてーー


 そんなにビックリするなよ、俺が哲の灰色の脳の一部を借りただけさ、人間なんてこんなに立派な脳を持っているのに、ほんの一部しか使ってないなんて、本当に勿体無いわ!〉 哲は猫を抱き上げ、 「お前!  俺に話しかけてるのか?」 〈そうさ、直接脳に話し掛けてるのさ〉キェルケは、

  ーーにゃぁ~、にゃぁ~ーー

 と鳴いた。哲は気味が悪くなり、キェルケを手から離した。 「何なんだ、お前は! 化け猫か!」 〈化け猫とは、よく言ったな!  そうさ、俺は怪猫さ、もう二百年は生きてるかな!  哲、お前は猫の墓場って知ってるか?  猫が病気や老衰で死んだ死体を見たことがあるか?  無いだろう。猫はな、自分の死期を感じると、猫の墓場に行くのさ、そしてそこで死ぬのだ。後は自然が土に還してくれるのだ!  俺はそんな猫逹の霊を身体に吸収しながら、行き長らえてきたのだ!〉 ーーに、二百年だって!  な、何ておぞましい・・・! ーー哲は身震いをした。

「何でお前は、俺にとり憑いたのだ?」 〈ただの偶然だ!  この家が気に入ったからさ。哲は知っているか?  犬は人につき、猫は家につくと言われている。俺は この家が気に入ったのさ〉 哲は、やはり身震いがした。お前たち人間は、昔から猫を悪者扱いをするが、化け猫とか怪猫とか言ってな、しかし猫は賢いのだ!〉 何て事だ、哲は少し疲れたので、ベッドで寝ることにした。


   二 パラレルワールド


 翌朝、哲が登校すると、学校が何か騒がしくて、パトカー等が数台来ている。

  ーー何があったのだろう・・? 


 校庭に入っていくと、先生たちもバタバタしていた。担任の先生を見つけたので、

「何があったのですか?」 と訪ねると、先生は、 「中垣内剛(なかがきうち つよし)が、校舎の屋上から投身自殺をしたんだ」と叫んだ。


  ーーえっ、何だって!  剛がー ー


  哲は、現場に飛んでいった。哲と剛は幼馴染みで、 大変仲が良かったのだ。校庭には剛の両親が駆けつけていた。哲は、剛の父親に訊ねた。

「おじさん、一体何があったのですか?」すると剛の父親は、

「剛が・・・屋上から飛び降りて自殺をした・・・原因は、いじめだ、家に遺書が有ったよ、 かなり精神的に参っていたみたいだ!」 おじさんは、苦しそうに言った。

  ーー剛が虐めにあっていたなんて、俺はどうして気が付かなかったのだろう! …ーー悔しかった!  自分に悔しかった!  茫然として、剛の死体を見詰めていた。涙が溢れて止まらなかった。

「うわーっ!」 と叫んで、その場にうずくまった。 学校では、授業どころではなくて、ずっと職員会議をしていた。俺たち生徒は、全員授業にならず、早めに家に帰さ れた。

 哲も家に帰った。哲を見た母親がビックリして、何故早いのか聞いた。哲が訳を話すと、大変だ!  とあたふたしていた。剛の家は近所なのだ。昼近くになると、テレビでも、この事件が報道されていた。


  ーー又もや、虐めによる高校生の自殺者が出てしまいました。どうして虐めは無くならないのか、教育委員会の対応が問われています。ーー


 テレビの報道も変わらぬものであった。 哲は、泣きながら自分の部屋に入っていったその時、猫のキ ェルケの話し掛ける声が聞こえた。

〈どうしたんだ、哲?  親友が亡くなって、悲しんでいるのか〉

 哲が振り替えると、キェルケが窓際に座って、 ーーにゃぁーー と鳴いた。

「そうだよ、剛は親友だったからね」 〈うむ、親友か。哲!  お前は、どうして生きている?  何のために?  誰のために?  剛くんは、自ら死を選んだわけだ。不条理だ、人間は不条理だ。自殺をする生き物なんて人間くらいさ、何故自ら死に至るか。それは人間には厄介な感情 と言うものがあり、絶望が死に至らすのだ!  人が生きていく、それは自分のために生きているのさ。それを無くすと絶望する。自らを死に至らしめる、そう言うことさ〉 「それじやぁ、キェルケ!  お前は、剛が絶望のために死んだと言いたいのか。そ れは不条理なのか?」

〈ま、そう言うことだな。〉 哲は机に座っていると、少し感情が落ち着いてきた。剛は絶望をして自殺したのか。何だか納得出来なかった。さてと、哲!  俺の目的に協力してくれ〉 「お前の目的?  なんのことだ」

〈俺の目的はな、パラレルワールドのことだ。異次元のことだよ、哲は分からないかもしれないが、今哲の周囲には幾つもの異次元世界があり、それに気付かないだけなのさ。俺は新しい空間を造りたいのだ!  世の中には色々な異次元空間があり、そこでは違う世界が待っているのさ〉

「違う世界?  異次元の世界?  パラレルワールド?  なんのことだよ?」

〈哲には解るまい。黙って俺に協力すれば良いのさ。〉

「何をするつもりだ」

〈変えるんだ、歴史をな。過去に遡り、歴史を変えて、その後の世界を創造したいのさ!  さあ、俺を手伝ってくれ〉


  ーーれ・歴史を変えるだと・!ーー

  何を言い出すのだ、このキェルケは。と哲が思った瞬間、哲は 暗闇に、ブラックホールのような暗闇に吸い込まれ、流されて行った。


   Ⅱ 歴史(史実)の岐路①


 哲は、暗闇を渦に巻き込まれるように、流されて行った。キェルケは笑っている。

  ーー歴史を変えるだと・・・何を企んでいるのだ! キェルケの奴。ーー  哲は頭が痛くなり、気が遠くなっていった。

 暫くして気が付くと、哲は誰か侍の脳に入ったのを感じた。

〈哲! ここは千五百五十年代の戦国時代の武将の脳の中だ! 誰だか解るか?〉

「この武将は! 明智光秀じゃあないか!  俺は今明智光秀のなかに居るのか?」

〈そうだ、俺達は明智光秀の脳の中に居るんだぜ!  驚いたか〉キェルケは、ケロリとして言った。

「俺に何をさせようとしているのだ!  キェルケ!  何を企んでいる」 哲は夢を見ていると思った。

〈俺は、哲に歴史を変えるから手伝ってくれと言った筈だ〉

「歴史を変える・・・・明智光秀!  キェルケ!  お前まさかー 本能寺の変 ーの事を言っているのか?」

〈明智光秀と言えば、他に何がある〉 「本能寺の変をどうしようと言うのだ!」

〈お前に、止めさせて欲しいのだ。本能寺の変は無かったことにするのだ!〉 キェルケは、さらっと言った。「そんなこと、出来るわけがない。俺は嫌だよ」

〈お前が知っているー本能寺の変ーとはどのようなものだ〉

「明智光秀の謀叛のことだろ」

〈事実は、そうではないのだ!  あの聡明で博学な明智光秀が謀叛など起こすわけがない。あれはある人達の策略に乗せられたのだ!〉キェルケは、何だか少し憤慨しているようだった。 〈お前たち、人間は醜い生き物だ!  人を騙し踏み台として出世を謀る。特にこの戦国時代は、それが激しい。哲も間違った知識で明智光秀を見ている。俺が本当の事、本当の明智光秀を教えてやるよ 。これを聞けば、本能寺の変を止めたくなるだろう!〉

「嫌だよ、聞きたくない。自分でやればいいじゃないか」

〈それは出来ないんだ、俺は猫だから、人の目を通して見ることもできるし、耳を通して聞くことも出来る。しかし人を動かすことは出 来ないのだ、だから哲に協力してくれと言っているのだ〉

「明智光秀は、嵌められたのか・・・本当なのだろうか?」

〈本当さ、これから俺が明智光秀について話してやろう。一寸長くなるがな、聞けば、哲も明智光秀の暖かさ、人情味が解るだろう 。まぁそのせいで騙されたのだがな、しかし結果的には光秀が一番になるのだがな〉 哲はその意味が解らず、頭を捻るばかりだった。 キェルケは、明智光秀について、話始めた。

〈明智光秀は、名門であった土岐家の末裔なのだ。若き頃は、土岐 家も落ちぶれていて、主君を持たない浪人であったが、亡き父上の言葉を母上(あさの)からよく聞かされていた。座右の銘の様なものだな。


『天狗も雨宿りする』

『虎視牛歩』

『虎は病むが如し』


 この三つの言葉を母上から常に聞かされていたのだ。日本にも哲学者が居るじゃないか。光秀はこの言葉を生涯忘れなかった。とにかく、本能寺の変に係わる事だけを教える。全てを話していたら長くなるからなまぁ、色々と紆余曲折があり、信長に仕えることが 出来た。同じ頃、秀吉も士官が叶ったのだ二人はその明晰な頭脳を発揮して、あっという間に信長の重臣まで登っていった。


 京都守護職を二人で担わされた。そして、二人は毛利氏攻略の責任を負わされた。光秀は丹波路か ら山陰地方へ進出、秀吉は播磨から山陽地方を進んだ。ところが、光秀は丹波八上城を攻めあぐねた。双方とも、一年も経った攻防に疲れていた。そこで出てきたのが人質交換である。 丹波八上城との人質交換は、光秀の条件は城主の兄弟で、八上 城主波多野秀治の条件は、信長の息子であった。とても光秀はそんなことを信長に言えず、悩んでいた。そこで光秀の母あさのが代わりになると光秀に進言したのだ。ところが、信長は、人質として安土城にきた秀治の兄弟 を磔にして殺してしまったのだ。それを伝え聞いた八上城の兵士たちは、報復としてあさのを松の木に吊し上げ槍で突き殺したのだ。それを聞いた光秀は母を失った悲しみで、怒りが込み上げてきた。信長には、人間の感情のひとかけらもないと思 った。

(天下取りに、情愛などの心が入る余地など無いわ) と答えたと言う。つまり、

(信長さまが天下人となられたら、同じように世の中の母や妻は理不尽にも殺されるに違いない)と考えた。信長は母にも妻にも愛情を受けられずに育っ てきた。人の情愛を知らないのである。〉


   Ⅱ 歴史(史実)の岐路②

 

 〈光秀は、

(信長の政治は恐怖政治に過ぎない)

と考えた。その恐怖政治を取り除くには、信長が天下人の地位から外れてもらうしかない。そこで光秀は、茶会を開き、秀吉と千宗易{後の利休}と腹蔵なく話し合った。そ して、信長追放の時を待つと決心した。度々茶会の席でこの三人は親交を深めていった。三人の希望は、戦のない平穏な日をもたらすことを目指すことで心を一つにしていた。問題はその手段であった。しかしその時には、 光秀に決意が芽生えていた。

(母の死を無駄にはするまい。誰かが信長の横暴専横を止めねばならない) 信長は、直に毛利攻めの指揮を取るべく、備中に出陣する事になっている。光秀は、阪本城にて、宗易と茶会をする。その席で光秀は心労を吐露し た。そして光秀が出した決意とは、備中に向かう途中にいつも通り、信長は、本能寺に宿をとるはず、重臣たちは、各地の敵将を討つべく出陣しているので、僅かな人数を引き連れての出陣となる。そこで我が手勢と堺鉄砲 衆とが取り囲めば、信長を阻止する機会は十分にあると話す。別に信長の命を狙うつもりはない。天下人を諦め、家督をご嫡男の信忠に譲って、隠居してもらいたい。との考えを話した。茶道にて天下人となりたい野望をも つ宗易は、賛成した。そして姫路城にて、光秀と一緒に茶会を開き、二人の話を聞いた秀吉は、同じく自分も兵を出し、本能寺を取り囲むことを約束した。そして取り囲む軍勢には、桔梗紋の旗指物を高々と上げる事を約束 した。光秀は、信長を引退させるその代わりに、自分も家督を秀満に譲り、叡山に登り、僧として修行に励む事を告げた。そして亀山城へと帰っていった。その後秀吉、宗易の二人となったとき、宗易の眼光が鋭く光った。


(秀吉さま、絶好の機会ですぞ) と、声をかけた。宗易は続けて、

(本能寺の事は、世間ではどう見ても光秀さまの謀叛と映ります。そこで、それを逆手にとり、光秀さまを打ち破れば、秀吉さまの名はいよいよ高まります!)

(宗易、光秀どのを裏切れと言うのか?)

(秀吉さまが天下人となられる機会ですぞ) 秀吉は、光秀を裏切ることは心苦しく思った。しかし、天下人の響は魅力的であった。


 亀山城へと帰った光秀は、作戦を進めていた。後の指揮を秀満 に託し、六月一日亥の刻光秀は行動を起こした。軍は粛々と本能寺に進んだ。二日未明約束道理、本能寺を取り囲んだ。そこで、光秀は後を秀満に任せると、一人密かに馬を返し、叡山に向かった。流石に信長も異様な雰囲 気に目を覚ました。そして桔梗紋の旗に気がついた森蘭丸の報告に驚いた。秀満が信長の隠居を促す書状を示した。この書状を蘭丸が受け取った瞬間その時、突然軍の後方から鉄砲が打たれ、同時に火矢が次次と放たれた。 本能寺は火に包まれた。秀満は、約束にないことに驚いて振り返ると、秀吉の軍勢が突入したのだ信長さまの命を取りに来たのだ。秀満は明智軍を速やかに亀山城へと引き上げさせた。だが秀吉の軍は攻め続け、光秀の謀叛 と見せる策であった。



 信長は、奥座敷にこもり、自刃して、四十九歳の生涯を終えた。正に信長が愛した人生五十年の通りとなった。この後は歴史にある通りで、秀吉が光秀軍を攻略したが。出家した光秀までは討たず、世 の中に明智を討ったとの嘘の噂をばら蒔いた。やはり秀吉にも裏切ったという負い目もあったのだろう。 以上が本能寺の変についての話だ。付け加えておくと、叡山で僧の修行を終えた光秀は、天海僧となり、下山して、徳川家康の知恵袋として使 えたと言う説もある。最後は天海大僧正(僧の最高位)として、百歳以上生きたそうだ。後は哲も知ってる通りの歴史を辿ったのさ!〉 キェルケは、話疲れた様だった。


「何だい、キェルケ! お前この歴史を変えようとしているのか? 冗談じゃない。俺にはできないよ」

〈頼むよ哲! 俺は歴史の変化を見たいんだ〉

「嫌だね! 第一そんなことしたら、俺の存在自体が無くなるのじゃないか。俺に歴史を変えることなんて出来ないよ!  悪いなキェルケ諦めてくれ!」 〈何だよ、ここまで来て、協力しろよ!〉

「嫌だね!」 二人の言い合いの間に、歴史通りに事は、運んでしまった。 〈哲の役立たずめ!!〉キェルケがそう言った瞬間、哲は再び暗闇の中に流されて行った。 哲がふと、気が付くと机に座ったまま、眠っていた。気がついて頭を起こすと、キェルケの声がした。

〈哲!  お前には失望したよ、アバヨ!〉そう言うと、俺の脳から離れた。少し開いた窓の所に猫のキェルケゴールが居た。キェルケはすごい表情 で、哲を睨み付けると、

ー〈ニャァーゴ〉ー

 とひと鳴きすると、開いた窓から外の暗闇に消えていった。哲はその窓を閉めると、ぐったりと疲れたのかベッドに座り込んだ。そして何故かじっちゃまの言葉を思い返していた。『人間生きてさえいれば、何時か良いことかあるだっちゃ』


           (了)


 ※参考文献 『明智光秀 ー謀叛にあらずー』 大栗 丹波 著 (学研M文庫)

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