いざ、行かん!

紗織《さおり》

いざ、行かん!

 これは少しばかり昔の物語です。


 時は男女雇用機会均等法という法律が施行されて十年。

 まさに女性が、社会にどんどん進出し始めていた頃だった。



 ある日、両親が旅行中だった一人の若い娘が、今夜の夕食をどうしようか迷っていた。

 その娘の名前は、優子という。


 優子は、普段自宅で夕食を食べていたのでそんなに機会は多くなかったが、外食するのは同期の女性と、お洒落なディナーを食べるという方法は学んでいた。



 しかし、当時女性が一人でお店に入って夕食を食べて帰るという事は、非常に珍しかったので、彼女は一人で外食をした事がなかった。


 そしてその頃、女性が一人で入る事が難しい店として、「牛丼屋」・「焼き鳥屋」がその筆頭にあった。


 一人で入る以前に、それらのお店には「女人禁制」という雰囲気が漂い、私達女性が入る事を拒んでいるかのようなイメージさえあった。



 優子は、自宅で母が作った焼き鳥や、お惣菜コーナーで売る焼き鳥を食べた事はあった。


 そして焼き鳥が美味しいと思っていた優子が、父親から、

「焼き鳥屋で、お酒を飲みながら食べる焼きたての焼き鳥は、また格別に美味しいんだぞ。」

という話を聞いて、一度は行ってみたいと心密かに思っていた。



「焼き鳥屋さん」

 おじさま達が、タバコの煙と焼き鳥の煙のモクモクとした中で、お酒を飲みながら美味しそうに食べる焼き鳥というもの。

 その独特な雰囲気を、優子は一度は経験してみたかった。



 けれど、焼き鳥屋さんで食べる焼き鳥は、行く機会が無いままだった。


 何故かと言うと、同期の女性に声を掛けてみても、

「えっ!焼き鳥屋さん?

そんなおじさんだらけのお店じゃなくて、イタリアンに行こうよ。」

そういう上品な答えが、優子の誘いに対する定番の返事だった。




「私、焼き鳥屋さんに入った事がないんですよ。

 だから、いつか行ってみたいんですよね。」

 昼休みに話題の一つとして、社員食堂で上司と一緒にお昼を食べながら、優子は話していた。


 「焼き鳥屋に入った事が無いのか?

 確かに若い女の子が入るようなお店じゃないかもしれないな。


 でも、そこに入りたいだなんて、優子君はもしかしてタバコでも吸うのかい?」

 上司が驚くように聞いてきた。


 「いいえ、吸いませんよ。

 お店がタバコで煙たいのは確かに少し困ると思うのですが、それ以上に美味しい焼き鳥を食べてみたいんです。


 お家で食べる焼き鳥より、格別に美味しいって父が言っていたので、とても気になっているんです。」

 優子が答えた。


 「そうか。じゃあ美味しい焼き鳥屋に、お父さんに連れて行って貰ったらいいじゃないか。」

 

 「でも父の会社はここから遠いし、残業が多いので、一緒に行くのが難しいんですよ。」


 「ふ~ん、そうなのか。


 若い女性はお洒落なお店に行くのが楽しいと思っていたのに、そうじゃない事もあるんだな。


 優子君は、面白い子だな。」

 上司が楽しそうに言った。


「そうですか?


 確かにそうかもしれません。

 同期にずいぶん声を掛けたんですけれども、誰も一緒に行くって言ってくれないんですよ。最近は、もう諦めかけています。」

 優子は、悲しそうに答えた。


「ははは、じゃあおじさんを誘ってみたらどうだい?


私で良ければ、いつでもご一緒するよ。

焼き鳥屋だったら、そんなに時間が掛からないから、残業飯として君と食事した後に、職場に戻って来ることも出来るからね。」


「えっ、そうなんですか?

すごい、そんな事考えた事がなかったです。


突然ですが、それじゃあ今晩の残業飯に焼き鳥屋さんに行きませんか?

実は、両親が旅行中で今日の夕食をどうしようか悩んでいたんです。」


「おおっと!?

優子君、急なお誘いだね。


そんなに行ってみたかったのかい?

いいよ。じゃあ連れて行ってあげよう。」

驚きながらも上司は、二つ返事で行くことに賛成してくれた。



なんとビックリ!

優子のあんなに苦労していた「焼き鳥屋さんに行こう計画」が、ランチの話題の一つとして、こんなにもあっさりと決まってしまったのである。

 

 午後の仕事が終わると、上司は同じ部署の優子より少し先輩の男性と一緒に、優子の席に来て、

「今日の残業飯は、彼も一緒な。」

と笑顔で言った。



こうして優子は、待望の焼き鳥屋に入る事が出来た。


炭火で焼く焼きたての焼き鳥。

優子は、ねぎま・レバー・つくね以外にも、こんなにも焼き鳥の種類が存在している事にまず驚いていた。


「タレも美味しいけれど、塩もお酒が進む味なんだよ。

まぁ、お好みだけれどね。


僕らは仕事に戻るから1杯しか飲まないけれど、君は遠慮しないで飲みたいだけ飲んでいいからね。」

上司が言った。


「ありがとうございます。

でもあまり強くないので、私も1杯で大丈夫です。


それより焼き鳥も、食べてもいいですか?」


「うまい!

優子君、ご褒美に沢山食べていいよ。」


こうして私達三人は、楽しく焼き鳥を沢山食べて、小一時間で夕食を終えると、焼き鳥屋を後にした。

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いざ、行かん! 紗織《さおり》 @SaoriH

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