エピローグ ②
「いや、吸うわけないでしょ」
「……どうして?」
「お姉さんが吸血鬼になるかもしれないから」
「でも……試したことないんでしょ?」
「…………」
「直接吸うのがだめなら、家に帰ってハサミか何かで切り傷でも作った方がいい?」
「なんでお姉さんがそこまでするの……意味なくない?」
「…………」
「普通に考えてさ、そこまでお姉さんがやる必要ないじゃん。なんだかんだお姉さん、被害者だよ?」
「んー……そうなんだよね。なんでだろ?」
「…………はあ?」
「ただ……ただ……うーん……ただ―――」
「…………?」
「ただ―――、君が不幸せそうだったから」
「………………」
「私が痴漢されてるの助けてさ、他人にちゃんと自分を守らなきゃ、なんて言ってる割には―――」
「………………」
「あんまりにも不幸せそうだったから」
「………………」
「それでなんでかなーって考えたの。血を飲めないから? 仲間がいないから? それとも―――自分が吸血鬼だから?」
「…………」
「どれが正解かはわからないけど、どれにしたって自分の身体のことで、自分そのもののことで悩んでるんじゃないかなって想ったの」
「…………」
「自分そのもののことで悩むのってさ辛いじゃん。私もそれで死にたくなったから、ちょっとだけわかる気はするんだよね」
「…………」
「で、それをどうやったら解決する手助けになるかなって想ってさ」
「…………」
「まあ、私の血をあげるのが一番手っ取り早いかなって。ほら、血は安定して飲めるし、秘密の共有もできるし―――まあ、ワンチャンずっと吸われてたら、私も吸血鬼になるかもしれないし?」
「………………」
「あ、HIVの検査受けてきたんだよね。それで、ばっちり健康体だよ。まあ、他人と性交渉なんてしたこともないし……。血液感染心配なし! そういえば、君、不特定多数から吸ってたらそういうの、大丈夫?」
「…………」
「まあまあ、何はともあれ。そんな感じ……なんだけど。あれ……なんか違ったかな? 余計なお世話……的な?」
「…………………………うん」
「たは……ははは。いや、ごめんね、なんか既にそういう伝手があったんなら、ごめん。いや、慣れないことするもんじゃないね……」
「本当に……余計な……お世話」
「あはは…………」
「ねえ、お姉さん」
「ん……うん?」
「例えばお姉さんがね、この世界でたった一人の人間だったらどうする?」
「え…………?」
「例えば、この世界は全部吸血鬼でね。吸血鬼同士は優しいけれど、敵にはきっとめっぽう冷たくて。そんな中、お姉さんがたった一人の人間だったら、どうする?」
「………………」
「バレないようにしなきゃいけないの。バレたらきっと、囲んで、叩いて、縛り上げられて、血の一滴までからっからに飲み干されちゃうの」
「………………っ」
「もし、そんな世界だったら……どうする?」
「…………」
「頑張って、周りと話合わせなきゃいけないの。本当は人間なのに吸血鬼のフリをして、飲みたくもない血を飲んでみたり。起きたくもない夜に出歩いてみたり。いつもいつもいつまでも、正体がバレないか通り過ぎる誰しもに怯えながら生きていくの」
「………………」
「最悪でしょ……? ねえ、お姉さん。
「………………」
「だから気軽に……吸血鬼になりたいなんて言っちゃダメだよ? 私も同じ人を増やす気なんてないからさ。だから、絶対に仲間が増えない方法でだけ血を吸ってるんだから」
「…………」
「こんな酷い世界。私だけで充分だからさ―――」
※
物心がついたのは、人からすれば私は随分と遅かったみたいだ。
10歳より前の記憶はない。
それまでどう生きてきたのかも定かじゃない。
ただ、養護施設の玄関に私は捨てられていたらしい。
捨てた……ってことは、どこかには私を産んだ誰かがいたんだろうけれど。
その足跡はついぞ見つからないままで。
年の割に妙に力があって、日光が苦手な子どもだけが、独り残った。
ただ、おおよそ第二次性徴が訪れるまで、私は比較的普通の子だった。
どこにでもよくいる子。よくいる親に捨てられた可哀そうな―――ひねくれた子。
ただ、身体の変化はある日、唐突に訪れる。
普通の女の子が生理に目覚める段階で、私が代わりに目覚めたのはどうしようもない吸血衝動。
共用の女子トイレに捨てられた誰かのナプキンの匂いが、脳を揺らして仕方ない。
気が付いたら必死になって、それを啜っている自分に吐き気がした。
汚物入れを漁って、それを啜る。
吸血鬼だって自覚がなくても、醜いことだけはよくわかった。
我ながら気持ち悪い生き物だ。
でも、衝動だけは止まらない。
溢れて溢れて仕方がない。
我慢すればするほどそれは酷くなって。
トイレで誰かのそれを啜るたび、どうしようもない自己嫌悪に陥った。
養護施設全体で、女子の汚物入れが漁られてる、なんて噂が飛び交った日には、悪寒と寒気がして死にそうだった。
バレたらどうしよう。
追い出される。
否定される。
何よりこんな醜い自分を知られる。ただそれだけが怖かった。
吸血衝動と比例するように、身体能力はわけがわからないほど上がっていく。
夜目が効くようになる。感覚という感覚、特に嗅覚が異常に鋭敏になっていく。
臭いだけで、女子の生理が把握できて。本気を出せば、養護施設の塀を一足飛びで越えられるようになった。その頃には、私も自分の本質を理解できるようになっていた。
―――人間じゃない。
そして、これはバレてはいけない力だ。
汚物入れを漁っていた犯人として、別の男子が女子に袋叩きにあったところで、私はそのことを誰に言われずとも理解した。
たとえどれだけ私の力が強かろうが関係ない。
この街にいる人間全てがもし敵に回ったなら、一匹の吸血鬼の力など大したことはないのだと。
そうでなくても、警察が銃を持ってきただけで、私という存在は簡単に無力になる。
それに、社会という枠組みの中にいなければ、今の世界では生きていくことは到底できない。
しばらくして赴任してきた先生に、汚物漁りを見つかって、ぶっ飛ばされて。
色々と相談して、ちょっとだけ生きていけるかもなんて希望が湧いて。
そうして、あの人はあっけなく死んでしまった。
別に私をかばったことは一切関係ないだろうけど。
あの人の死に、生きる希望という奴を根こそぎ持っていかれたのは確かだった。
ついでに生命線だった、血まで足りなくなる始末だ。
やっぱ吸血鬼ってのは、ろくでもない生き物なのかもね。
神様にだって、呪われたって仕方がないよ。
だから、こんな酷い世界、きっと私だけで充分だよ。
※
「それ本音?」
心臓がどくんと脈を打った。
「いや、本音なんだろうけれど。滅茶苦茶に歪んでない? 本当にそれが素直に言いたいことなの?」
心がじわりと滲み始めた。
「独りで充分って、とてもそうには聞こえないけど。独りが嫌だよ、寂しいよって言ってるようにしか聞こえないけど」
血が吸いたい。
違う。
そうじゃない。
血は吸いたいけれど。
今、欲しいのはそれじゃない。
「ねえ」
「
身体がずっと満たされなかった。
飢えて渇いて仕方がなかった。
いつまでも、いつまでも。
どれだけ啜っても満たされなかった。
でも本当にずっと乾いて仕方がなかったのは。
心がずっと満たされてなかったんだ。
「あー、やっぱ言わなくていい」
私は、ずっと。
「そんだけ泣いてりゃ、誰でもわかるよ」
ずっと、ずっと。
「助けて」
「うん―――助けるよ」
ずっと―――独りが寂しかった。
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