吸血鬼のひとりごと

 ねえ、先生。


 あんたが死んでから、ろくなことがありませんよ。つまんないことばかりしかおこってません。あんたは死ぬときに、『きっと面白い誰かと出会うよ』なんて言っていましたけれど。そんなの私じゃ見つけられっこありませんよ。




 ―――そう、想ってたんですけどね。




 昨日と同じ電車。


 昨日と同じ車両。


 昨日と同じ痴漢とお姉さん。


 ああろくでもない。


 というか、あいつもいい加減反省しろよ。二度も指がイカれたのも、ただの偶然だとでも思っているのかな。


 なんてぼんやりと考えて、次はおっさんのどの指を逆方向に接着しようかと悩んでいる時だった。



 音が響いた。



 電車が線路を行く音と、人の喧騒にも飲まれないほど。



 大きく、鮮烈な、弾けるような音が響いた。



 眼を向けると、そこには掌を振りきったお姉さんの姿があって。



 足から腰に掛けた全身を使って。



 よく体重が乗ったことの分かる綺麗な一撃を。



 背後の痴漢に向かって振りぬいていた。



 泣き叫ばんばかりの表情で、でもその瞳にほんの少しの決意を灯して。



 確かに明確に、彼女は自分の意思を示していた。



 あんまりに綺麗な一撃だったものだから、周りの乗客もどよめきの中に若干の感嘆が混じっている。



 思わずほくそ笑みそうになるのを必死に抑えながら、私は男の手をがっと掴んだ。



 全くあんたも、私で痛い目見たときに辞めておけばよかったものを。



 きっとあなたはこれから、たくさんの信用を失うのでしょう。そして、それはそれは社会的に随分と酷い目に合うのだろう。そう考えると随分と可哀そうな気もするけれど。



 ただまあ、



 「この人痴漢してました!!」



 周囲が状況が飲み込めるように、大声で車内に告げる。


 乗客は一瞬どよめいて、ただその中の何人かの行動は早かった。


 二・三人の女性がお姉さんを守るようにそっと寄り添った。


 四・五人の男性がおっさんを取り囲むように押さえつけた。


 うんうん、重畳、重畳。


 人間っていうのは大半の人が、いわゆる敵でも味方でもない傍観者ではあるけれど。


 ちゃんと上げるべき時に声を上げれば、しっかり助け合える生き物なのだ。


 げに素晴らしき、同種族の愛情ってやつさ。


 私には関係ないけど。まあ、何事も使いようって奴だねえ。


 程なくして、次の駅で男は降ろされて、付き添いの何人かに守れながらお姉さんは鉄道警察隊と話をしていた。


 私はそっと何気ないフリをして、素知らぬ顔で電車に戻る。



 はあ、今度から電車一本ずらしていこう。一応、車両も変えて、つーかシフト変えてもらうか。



 だから、もう二度と会うこともないでしょう。


 そして、それが健全でしょう。お互いにとって。


 お姉さん、あんたはきっと吸血鬼に何かならなくても充分生きていけますよ。


 むしろあなたのほうがちゃんと立派に人間なのだから。


 人間ばかりのこの街は、あなたをちゃんと受け入れてくれているから。


 だからどうぞ幸せに。


 私も同胞を創ってもいいと想えるかも、なんて儚い夢はゴミ箱にでも捨てるからさ。


 ただ、あなたの美味しい血がまた飲めないのだけが少しだけ心残りではあるけれど。









 いや、しかしお姉さんの経血まじでうまかったなあ。


 正直、今まで一番。量も多めだし。


 はあ、おっしーなー。


 でも、ま、いっか。


 面白いもの、見れたし。



 揺れる電車の中で、私はほくそ笑みながら、そうやって、独り言ちた。

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