奴らを屠れ!

如月姫蝶

奴らを屠れ!

 奴らを屠れ!奴らを火炙れ!

 我らが正義のために!

 我らが正義が成就した暁には、奴らの肉もて、勝利を祝おうぞ!


 私は、今朝もいつものように、通学のバスを待っていた。

 少しばかり遠方の私立中学に通っているのだ。

「よ!」とバス停で声を掛けてきたのは、同じクラスの花苑かのんだった。

「なあ、さくら、昨日の数学の宿題のことやけどなぁ……」

 ハァ、いちいち気にしてもいられないのだが、私の名前は、あまりにありふれている。

 女の子にさくら。それは、平成時代の日本人の感性にいたく突き刺さったらしく、数十年にわたって大量生産され続けた名前である。

 浮かれたお花見シーズンのソメイヨシノの花びらの総数より、二足歩行の「さくら」の頭数のほうが多いんじゃないかと思えるほどだ。安心安全の絶滅しない危惧種とも言えよう。

 私は、花苑と宿題の答え合わせを行いながら、心の中で盛大に溜息を吐いたのだった。

「なぁ、あれ……」

 花苑は、話の続きのふりをして、私に顔を近寄せた。

 彼女が指差す、ほんの五メートルほど先には、飲み物の自動販売機があるのだが、そこに安っぽい水色のジャージを纏った男性が歩み寄ったことには、私も気づいていた。

 その男性が、自販機の前で、やおら犬のように這いつくばったかと思うと、これまた安っぽいビニール傘で、自販機の下の隙間を激しくつつき始めたのだ。さらに、軍手をはめた手を肩口まで差し入れて、何かをまさぐっている。

 彼は歯を食い縛り、鬼気迫る形相をしていた。

「あの人、怖いんやけど……きっと小銭を落として、それがあの辺りに転がり込んで、取れへんようになってもうたんやろけど、あないに必死に人生賭けんでも……」

 花苑の目には、男が下手をしたら、小銭を失くした腹いせにビニール傘で私たちに襲い掛かる未来まで見えていたかもしれない……

 そこへ運良く、制服警官の二人組が通り掛かったのだ。

「お巡りさん、こちらどすぅ……」

 花苑の囁きが聞こえたわけでもあるまいが、制服警官たちは、自販機の前に這いつくばった男へと歩み寄ったのである。

 男は、すっくと立ち上がった。

「異常無し!」

 きりりと姿勢を正して、彼は、制服警官たちと敬礼を交わしたのだった。

(異常あらへんだんかい!なんや必死やったから、アブナイ何かを見つけたんかと思うたわ!)

 私は、心の中でツッコミを入れた。

 敬礼を交わした後、二人と一人は、別々の方向へと歩み去った。

 バス停に居合わせた人々の何人かが、彼らに軽く会釈した。

 おそらく、ジャージの男に関する邪悪な妄想に駆られていたのは、花苑だけではなかったのだろう。


「あの男の人も、警察やったってこと?」

 花苑との答え合わせの第二ラウンドは、バスに乗り込んでからとなった。

「せやろな」

 私は、沿道に連なる緑を指差した。それは、京都御所である。

 私たちがいたバス停や、あの自動販売機は、道一本を隔てて、京都御所に面していたのだ。そして、御所の中には迎賓館があり、外国の要人が滞在中というわけだ。

「まだいてはるん?」

 花苑は、正直に眉を顰めた。当の要人が嫌いと言うより、警察が街中の警備を強化することに煩わしさを感じるのだろう。

「今日中にお帰りになるはずやで?せやから、沿道の警備を頑張ってはるんやと思う」

 花苑は、私の父が「公務員」であることは知っている。

 けれど、かの水色ジャージ&ビニール傘武装男こそが私の父であることまでは知らない。知らせるつもりもなかった。

 さらに言うなら、父は、私をさくらと名づけた主犯である。桜は警察のシンボルフラワーだからと、たとえ男の子が生まれてもそう名づける勢いだったらしい。


 父は、今夜は遅くなるそうだ。京都府警の本部長さんが、要人警護の大仕事が無事に終わることを信じて、既にちょっとばかり高級な焼き鳥屋さんでの慰労会の手筈を整えているらしい。

 ああ、世の中には本当に知らないほうが幸せということがある。

 花苑は、今日の出来事をすっかり忘れるまでは、私の父を知らないほうが良い。

 そして、つい先日、母のことを怒らせてしまった父は……今夜、母と私が神戸ビーフに舌鼓を打つ予定だとは知らないほうが幸せに決まっているのだった。

 

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