機兵勇者と折れた聖剣

漆葉

機兵勇者と折れた聖剣

第1話 BM-12Ⅻ:起動キー

 "勇者アルトリヱス"


 かつて聖剣で魔物を討ち、人々が脅かされる時代に終止符を打った英雄である。剣で魔物と戦う勇ましい人物だった。されどあくまで勇者も人間であり、やがて寿命を迎えて安らかに眠ると聖剣だけを残した。

 しかし、いつしか聖剣までも姿を暗ませてしまう。長い時間を経て聖剣が発掘されたのは、現代のことだった。

 聖剣はひどく錆び付いていたが、それでも人々は丁重に扱い、いつぞや博物館に展示されたこともある。学者は足しげくショウケースの前に訪れ、色あせた聖遺物をじっくりと観察していたものだ。

 ただ、そんな背景があるからこんな言い方はその学者たちに怒られるかもしれないが、その聖剣は考古学的価値しかない飾りだった。なぜならこの現代に勇者なく、聖剣に光なく、二度と振るわれることはないからだ。


 そんな勇者も剣もない現代に――

 やがて魔物だけが復活して、もう何年も過ぎたのだ。





 某施設。

 ある女性がPCな作業に没頭していた。白衣をまとい、「テルル・シャルル」を名乗る札を首からかけている。

「あ……んん、だめかぁ……」

と気難しい声色。目をこすり、彼女は部屋の中央の台に置かれた機体を見つめた。

 機体は人型だった。人型ロボットやアンドロイドの類だが頭部は簡素なつくりで、ヘルメットのような外観に過ぎない。

 その機体から配線が伸び、辿ると別の装置に行き着く。装置は天井まで伸びる柱のような構造で、中央にはめ込まれているのは短剣だった。酷く錆びたなまくらである――。


 しかしその鈍らこそが、かの伝説の兵器、勇者の"聖剣"であった。


 テルルは装置へと近寄る。聖剣は目の前だ。赤茶の錆が輝きを鈍らせているのに今まで誰にも剝がされなかった。

(ほんとにひどい錆…。宝物なのに)

 刃を不憫に思い、人差し指の爪先を鈍らに伸ばす――まるでそれを阻止するようなタイミングで背後の扉が開き、テルルは飛びのいて振り向いた。


 現れたのは長身大柄で遮光グラスに安全靴と白衣という、強烈な風体の男だった。ベリル・ノイマンと書かれたネームプレートを胸ポケットが掲げている。

「あっ…、ノイマンさん。お疲れ様です」

「おうテルル! どうだ順調か?!」

と彼は開口一番に威勢よく尋ねて来た。

「いえ順調ではありません、絶賛難航中です」と苦笑いのテルル。

「おう難しいのは分かってる! 気長に取り掛かれば良い! ただ昼間とは言え、電気くらい点けろ!」

 彼は天井で出番を待つ蛍光灯を眺め、そのまま、錆びた鈍らに視線を向けた。伝説の聖光はちっとも灯していない。

「聖剣用の機械兵を作る……伝説の勇者様をってのは、途方もない作業だ! だが、お前さんならできると思ってる!」

「ふふ、ありがとうございます」

とテルルは健気に笑って見せた。




――さて、魔物が復活した後の歴史は次のようなものだ。

 人類は魔物の研究と征伐執行を目的とした連合組織"FORCE"を設立。兵器で掃討を試みるも、魔物はふつうの損傷では絶命せず、傷もすぐ癒えてしまう。完全討伐を目指して方策が模索されるなか、聖剣を運用するという奇策が挙がったのである。

 ただ聖剣には気難しい性質・「拒絶」があった。「選ばれし者以外が触れれば力を奪い取る」のだ。そして聖光が灯ることもない。

 発掘当時も作業者は次々に倒れ、この性質がその場で実証された。よって、運用にあたり相応しい勇者が必要だったが、勇者を機械兵でするプロジェクトが「勇者の再現」である。

 …ところが聖剣は、機械に触れれば電力も奪うことが判明した。だからこの計画は本来なら頓挫し、聖剣は博物館に戻るはずだった。

 テルル・シャルルが「ある発見」をしなければそうなっていた。




「"聖剣に相応しい AIを作れば、拒絶が緩和される"――聖剣が人格を選んでるって分かってから、少しずつ近づいてる気がするんです。でも想像だけじゃ限界で、どうしてもデータが足りません。ははは…」

 少し隈を抱えた目を無理に笑わせて、肩を竦めてテルルは言う。聖剣に相応しいAIを作るのはすなはち、勇者の人格を作るに等しいのだ。

「想像力で成果を出せるなら大したもんだ。お前さん以外には取り組めない仕事だろう!」

 にっと笑ってノイマンは言う。

「ありがとうございます、へへ…」

とテルルも釣られて笑った。「聖剣の光が灯るまで先は長そうですが、頑張ります」

「伝説の光を拝めた日にゃあ、お祝いだ! やるだけやってみろ、儂には応援しかできねえが応援してるぞ!」

 妙な激励の言葉にテルルは頷いた。

「はい、ありがとうございます!」

「それともう一つ、聖剣に触るんじゃないぞ、外すときは儂を呼ぶんだ! ちょっと触れるだけで3日寝込むこともあるから気をつけるように!」

 ノイマンが付け足すと、

「あっ、はい! わ、分かってます!」

 テルルは数回頷いた。

 ベリル・ノイマンは聖剣の管理者だ。ただし「使える」わけではなく、聖剣の拒絶を直に受けないよう安全に「運搬」し「保管」するノウハウを持つ、運び屋兼金庫番ということだ。

「それじゃ頑張れ! はっはっは!」

 笑い声を残して彼は部屋を去った。扉が閉まると嵐が去ったように静かで、PCの冷却ファンの音が一番大きく響いた。


「気長に、かぁ……」

 ――実のところ世界情勢を鑑みると気長には構えてられない。魔物に脅かされて人類一同はかつての敵味方を忘れ結託し、和やかさなど微塵もない同盟の中で死に物狂いで、長らく傍観していた生存競争の仕組みに組み込まれてしまった。

 反面、「勇者の再現」は途方もない作業で、想像力に頼って英雄の人格をAIで再現するのは、霧をこねて陶器を成すが如き神業だ。分かりやすい成果など上がるはずもない。おかげで施設の一角で研究を継続するテルルたちを内心冷ややかな目で見る者や、眼中にないという者も多く、変わり者だと後ろ指を指されることもある。


「……うん。今日はもうちょっとだけ、頑張ろう!」

 努めて明るく呟くと、彼女は作業に戻る。

 夜遅くまでモニターを見つめてキーを叩くのに没頭する彼女は、譜面を眺めるピアニストと姿勢が似ているかもしれない。

 しかし普段通り過ごす日常でこそ、やがて異常事態は、鮮明に牙を剝くものだ。





 夜。

 最小限の電灯で作業を進めていたテルルは、ふと虹の光を見た。どこから漏れた光なのか一瞬わからなかったが、光源は聖剣だったらしい。

「……え?」

 すぐに虹の光は消えてしまった。見間違いだったのだろう、と思い直すのも無理はなく、疲れのせいで目の焦点が合いにくかった。夜なのに部屋の明かりは常夜灯しかついておらず、目が疲れて当然の作業環境だった。

「ふあ…、うん、もう今日は上がろう」

と、欠伸混じりにつぶやく。

 その時、





《――第三種、戦闘配置!!》


 突如部屋の中で、けたたましくアラームが鳴り響いた。スピーカーから、いわく、


《第三種、戦闘配置!!》

《第三種、戦闘配置!敵視誘導ヘイトコントロール体制!非戦闘員は退避!》


 鳴り響く音声は緊急事態を繰り返し伝えた。

「うそ、第三種戦闘配置って……」

 天井をただ仰ぐテルルは、わずかな地鳴りを感じ取り、はっと我に返る。「魔物が来た!? 早く逃げないと……!」

 テルルは手早くデータをPCへ保存する…画面の中央に横長のゲージが現れ、緑色の液体で満たすUIが描かれた。そしてラップトップを閉じてカバンに放り込む。

 それからスマホをポケットへ。

 台の上に横たえた機体を一瞥し、それから……


 それから聖剣を――


「うわああ、しまった聖剣どうしよう!! ノイマンさん……いや、今呼んでもさすがにダメかあ!!」

 今は、緊急事態である。聖剣がここにあるからと言って、管理者の彼が来てくれるとは限らない。

(どうしよう、でも放っておくなんて…)


 その時、扉が開いた。ノイマンが本当にやってきたのだ。

「おう、テルル無事だったか! いつまで作業してんだ?! ていうか部屋、暗! 停電か!?」

「ノイマンさん?! すいません、すぐ避難します! 行きましょう、すぐ!」

とテルルは何度も頷く。

「おう、いそげ先いけ! 儂も聖剣を回収したらFORCE基地に戻る!」

「すぐ外します、ちょっとお待ちを!」

 テルルは声と手を震わせつつ、装置を操作しようとした。

「聖剣に触んねえようにな!」

「わかってます!」

 アナログキーを錠に差し込み、ガチャリ、と回すとセンサーが高い音で鳴き、ランプが緑から黄色に変わって固定具が解錠された。

「よし、あとは任せとけ!! お前さんは早く避難しろ! 外も危ねえかもしれん、気をつけてな!」

「はい! ノイマンさんも急いで――」





―――祁社嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼!!!!―――





 天井の向こうから咆哮が響き渡った――金属音と慟哭、エンジンなど色々な音が複合したような、生物から出たなど到底信じられない音だった。

「……!」言葉を失い、天井を見上げるテルル。

 音叉のように金属製ラックが震え、蛍光灯がじーんと音を立てる。物すら魔物の声に恐怖しているようだ。

「うお、魔物か?! 近いぞ! テルル、すぐ外に出て基地まで走…」

 その時、地響きがしてフロア全体が大きく縦に揺れた。

 転落防止付のラックはひしゃげ、並べられた物が飛び出して床に散らばる。常夜灯は火花を散らした。

 テルルも耐えきれず、体勢を崩して台にもたれかかって――


「……あっ――」


 機械にはめ込まれていた聖剣が、不備を文字に起こしたような濁音のオノマトペと共に外れて、飛び出し――勢いよく聖剣は縦回転し、台の上のロボットの胸部に突き刺さったのである。

 きいーん……――、と鈴を落としたような高い音。

 一瞬の出来事ヒヤリハットに、テルルは身じろぎせずに息をのみ、数センチ先の機体に突き刺さった聖剣にくぎ付けになった。


(び、びっくりした……!!)

 力が弛緩して台から離れて、テルルはへたり込んだ。

「おうおうっと、機体に聖剣が……でも柄は持てねえ! こうなりゃ、この機体ごと運び出すほうが早えか!?」

「えっ……いや、いけます!?」

 機体は基本組成が金属である。比較的軽量の合金素材だが、相応に重い。

「ベンチプレスくらい朝飯まえよ! テルル、急いで配線を解除してくれ! ともかく早く離れるぞ!」

 宣言通り、彼は機体を軽々と担ぎ上げた。テルルは機体から伸びる配線を千切るような勢いで解除していく。

 そうしているうちに、また大きな地響きがした。

「急げ急げ、もう行くぞ! 死ぬ死ぬ!」

「はい、はい!! 行きましょう!」

 二人は急いで部屋の外へ飛び出す。ロボットの頭部から三つ編みのような配線が垂れ、聖剣の突き刺さったままの酷い体裁で機体は運び出された。


 廊下の電灯は点滅し、蛍光灯の一部はお陀仏らしい。人の気配は排され、建物の中にいるのは二人とロボットだけである。

「非常口はこっちだ!」

 ノイマンはロボットを背負って小走りで先行し、テルルも追う。天井から火花が花吹雪のように散り、地鳴が足を激しく揺さぶった。ノイマンが天井を見上げる。

「うお、めちゃくちゃじゃねえか……! テルル、非常口わかるか!? お前さんだけでも先に行け!」

「そんな、ノイマンさんだけ残すわけにはいかないです! 聖剣を取りに来てくださったのに――」

「良いから行け! 聖剣を管理できるやつは儂以外にもいるが、勇者を再現できるやつは限られてる! お前さんは死なせられんぞ!」

「そんなこと――」

 ところが、またも巨大な地響き――建物を持ち上げて叩き落としたような破滅的な揺れが響く。二人とも体勢を崩し、天井に亀裂が走って……

「……あっ」

 テルルは、動体視力など特別良くないが、今度ばかりはスローモーションのように崩れ落ちる天井が見えていた。落ちてくる瓦礫から逃れられない。ゆっくりと近づいてくる。

 もう死ぬのだ――

と、そんな悟りだけが、普段の思考速度の何倍も早く脳に浮かんだ。もっと早く仕事を終えていたら、ノイマンまで死ぬことはなかったのだろうか、と死に際に新鮮な後悔の念を抱くとは、彼女も思わなかった―――




 ……その時、目をつむったはずの彼女の視界に、虹の光が見えた。

「あれ?」

 瓦礫につぶされるのをスローモーション世界で待っていたテルルは、異変に気付き顔を上げる。瓦礫は止まっていた。

 受け止められていたのだ。

 まさかノイマンが受け止めたのかと思ったが、違う。彼もテルルのように地面に腰をついた状態だった。

 瓦礫を受け止めたのは……

「えっ…な、なんで……?」


 瓦礫を受け止めたのは――ロボットだった。

 左手一本で、崩れ落ちた天井を支えていた。だが、起動しないはずである。今はスリープ中で、テルルがログインしないと動かない。でも彼女は操作していない。

 白衣のポケットでスマホが振動する。ロボットからの通知だ。

 いわく、

(BM-12Ⅻが起動しています。

 このログインに覚えはありますか?)

 ロボット――“BM-12Ⅻ”は機械音を立て、無機質な頭部の面にノイズ混じりの光を灯す。赤、橙、黄、緑、青、紫、と――


「……お、おい!? 聖剣が――」

 ロボットの胸部に突き刺さった剣から虹色の光が放たれていた。

 機体はぎこちなく右腕を動かし、胸部に刺さった聖剣に手を伸ばして、掴み――思い切り引き抜くと、滑らかな太刀捌きで受け止めた天井を真っ二つに両断したのだ。

 開けた視界の向こうには、夜雲と朧月が見えた。

 機体の顔に一対の光が宿る――眼のような黄光は画竜点睛がごとし、無機の機械に生気を演出した。BM-12Ⅻは頭部を動かして振り向き、はたと見つけたかのようにテルルに黄色の眼光を向けた。



『む……なにやつだ?』と機械音声。



「…………え、と」

 テルルは呆然と腰を抜かしたまま機体を眺めていた。言葉に詰まりながら、なんとか正解を答える。

「て、テルル・シャルル……」

 そして、「あ、あなたは……?」

と言った。

 彼女の口から出た言葉は質問だった。自分が作った機体に投げかける質問とは思えない内容である。

 ロボットは首を傾げて、

『拙者のか?』

と尋ね返す。

 単に名前を尋ねたのか、それとも、“あなたはどういう存在ですか?”のように、もっと漠然とした意図で質問したのか、彼女自身も曖昧だった。突然の出来事にひどく混乱していた。


 かたやロボットは、名を答えた。

『アルトリヱス』

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