女装青年の憂鬱

日暮マルタ

女装青年の憂鬱

 朱色に染めた爪先が、目に映る金の縁のティーカップによく似合う。俺は久しぶりに帰ってきた地元のカフェで、いわゆるカフェ飯というものを食べていた。鉄板に乗っていないハンバーグはすぐ冷める。ひとつまみのチーズが乗ったサラダ付きだ。店内はしっとりとくつろげる雰囲気を演出し、BGMが邪魔にならない程度に流れる。

 チェックにベルトのついた赤いスカートが可愛い。いつも赤ばかり着ているわけではないが、俺は赤が好きだった。似合う色だと思う。

こういう格好に興味を持ってから、化粧も勉強したし、髪も伸ばした。今の俺は完璧だ。地元だって歩けてしまう。だって俺は可愛いし。街を歩けばショーウィンドウには一際洗練された俺が映る。

たまに野郎から声もかかる。よく誤解されるが、俺は男に興味は無い。あまりしつこかったりすると、相手の腕を股間に押しつけると大体逃げていく。悪いな、結構デカいんだ。天は俺に一物を与えた。あと美貌。あと努力。代わりに性格については世間様には叶わない。良心なんてない方が楽に生きられる。

 しかし何年ぶりだったか。このカフェは、この姿になる前の通いだった。俺はカウンター席で携帯を充電しながら長々とお茶を飲む男だった。長時間なので追加注文しまくるし、そのせいか店長にも覚えられてしまい、忙しい時は注文しなくてもいつものカフェオレが届いた。

 今日は流石に気付かれなかった。細身の店長は、俺に一言もかけてこなかった。まあ、そうだろう。何年も経った。俺も変わった。もう俺の女装に気付くやつはいない。


 カラン、と入り口のドアの開く音がした。ぽこんと耳が鳴る。気密性が高くて、ドアの開閉の度に耳が少し痛むのだ。そんなことも忘れていた。人は忘れられ、忘れていく。そういう生き物だ。ふとドアを開けた人物を見た。

 黒髪を長く伸ばし、顔の輪郭を隠そうとしているようだが、髪型がまずなっていない。ウィッグなのか地毛なのか、遠くて判断はできないが、あれでは“可愛くない”服装もピンクや白で、全体的に締まらない印象になる。足はタイツで隠しているようだが、わかる。流石にわかるぞ、お前初心者女装子だな。ただ髪さえ伸ばせば可愛いとか、ただ可愛い服を着るだとか、そんなことに憧れている奴。

 ちょっと見たくないものを見た。完成度が低かった。俺は嫌いなトマトを残してハンバーグが乗っていた皿を横に置いた。カフェオレに砂糖を追加する。自然と眉間に皺が寄るのを、指を曲げて伸ばしていた。

 店長はその男を俺の席の真後ろに案内したようだった。

「ねえ、あの人さ……」

 少し遠くの席から、小声が聞こえてくる。男がどんな表情か俺は知らないけど、脳裏には肩を丸めて下を向く男の姿があった。

 既視感。俺はこの小声達を知っている。結構刺さるんだよな。最近の俺は聞かなくなったけど、人によっては場所も時間も問わず同じように刺され続けているのだろう。血が出るのだ。噴き出した血を噴く動作がまた、観察され、新たな傷を作る。俺も、かつては……。

「何にしますか?」

 物腰柔らかな店員の声にも怯えたように、「あの、カフェオレを」と聞こえてくる。いつか傷だらけの戦士になるかもしれない君よ、俺は高みで待ってるぞ。きっと性犯罪に巻き込まれたり逆に加害者だと思われたり、茨の道だけど……その筋骨隆々の足で歩いて行ってくれ。お兄さん手伝わないから。

「気持ち悪い。男の人よね? どう見ても……」

 俺は席を立った。のど仏を隠すためのマフラーが少し熱い。追加注文しまくった長い伝票を持って会計に向かう。

「……数年前、いつもカフェオレばかり追加注文するお客さんを見ましたよ」

 店長がにこりと俺の目を見て言った。会計額は二千円を越えた。もしかして店長は俺に気付いたかもしれない。そしたら女装男が二人店内にいるのは穏やかな気持ちではないだろう。俺は会釈をして外に出た。軽く巻いた髪が頬をくすぐる。新しいヘアアイロンは温度が高くて長持ちする。

 だってさ、可愛い自分でいたいと思ったんだよ。初めて買ったストッキング、すぐ破けたけどさ。

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