悔しさで死のうと思ったので
きぬもめん
1、死ねないベール
「ほらよく悔しくて死にそうって言うでしょう。だから今回は行けると思って」
「全くもって意味が分かりません。ベールお嬢様。いい加減な実験はおやめください。旦那様も悲しまれます」
「嫌よ。パパって結局不死の薬ができたって調子に乗って飲んだのが失敗作で今も地下でべとべとしてるじゃない」
「お嬢様。そのようなことを言ってはなりません」
「やっぱり、融通が利かないのねブレンドルは」
「無理を言ってはなりません」
彼女の着る喪服のような真っ黒いドレスは彼女がいつ死んでもいいように特注で作らせたものだ。袖と肩をレースで囲い、ふんわりとしたフリルが腰から滝のように広がるベールのお気に入りだ。
黒いドレスとは対照的なクリーム色の巻き毛くるりと活発に、緑の目はくりくりとお転婆さの中にも知的差を兼ね備えて。
そしてその可愛らしい顔に現在進行形でナイフを突き立てながらベールはため息を吐いた。
「また死ねなかった」
これで九千九百九十九回目。ベールは死ぬことに失敗してから今日で五百年が経とうとしていた。
※※※
昔むかし、ある所に馬鹿みたいに優秀な科学者がいた。
非常に優秀で知的で勤勉で賢く並大抵のことは聞けば答えてくれる歩く論文とまで言われた科学者はよく「全部こいつに任せておけば星の問題は全部解決する」と言われていたものの、彼らはすっかり失念していた。
科学者が重度の親ばかでもあったと言うことに。
「ベールちゃんが不治の病だって⁈ それはいけない。病気と言う病気を治す薬を作らなければ」
こうしてありとあらゆる難病に効き、かつついでのように不老不死になれる薬が完成してしまった。
もちろんそんな便利な薬は誰だってほしい。だからありとあらゆる星々の代表者はあの手この手で科学者の行く手を阻んだ。諭し、交渉し、いくらでもの褒美を持ち掛け、従わなければこの場で殺すと言った。
しかし彼らは科学者の親ばかぶりを軽く見すぎていたのである。
結果科学者は誰の甘言にも耳を貸さず、娘がどうなってもいいのかとハッタリをかました相手にはちょっと言えない非合法なことをして、やすやすと窮地を切り抜けてしまった。
そして全てを跳ねのけてわが家へと帰宅した科学者はこう思った。
「このままじゃあいつらはベールちゃんを諦めないかもしれない。我が家の天使を変な実験に使うなんて許せるもんか」
そうだ、この星破壊しよう。
こうして強き科学者と対応を間違ったお偉方によって星が一つ滅んだ。木っ端みじんになった星を見て、科学者は満面の笑みで言ったという。
「これでベールちゃんを狙う輩はいなくなった。これで一安心だ!」
※※※
そうして生まれた不老不死の娘はリズミカルにナイフを振るって言う。
「爺やもお父様も頭が固くて嫌になっちゃう」
平然とした顔のまま、櫛でも髪に通すかくらいの気軽さで彼女の白い肌から断続的に血が飛んで床に広がっていく。致死量どころか痛みで死んでもおかしくない光景の中、彼女はなん十回目かで突き刺すのをやめた。
「無暗に肌を傷つけてはなりませぬと常々申しているでしょう」
「どうせ治るんだから関係ないわ」
彼女の言う通り、次の瞬間には血の跡を残してベールの傷はきれいさっぱり消えていた。ベールはナイフを飽きたとでも言わんばかりに床へ放り投げる。
「こら。お行儀が悪いですよ」
「固いこと言わないでよ」
「あいにく固いことしか言えないもので」
ブレンドル、と呼ばれた老人は腰を九十度に曲げて言った。部品が足らずに脳も関節も粗雑に作られた老人にベールはそうね、とそっけなく返す。
「ブレンドルはパパのロボットだものね、文字通り。あなたに融通を効かせろって言うのが間違いだったわ」
「ご理解いただけたようで何よりです」
「だからこれは命令よブレンドル。今からやること一切を妨害しないで。救命活動なんてもってのほか。パパへの報告も許可しない」
「……招致しました」
「こんなに言っても数時間には勝手に忘れて命令をなかったことにするんだから。はた迷惑な脳みそよね、まったく」
「お褒めに預かり恐悦至極」
「褒めてない」
そう言ってベールにほほ笑む世話係を睨みつけながら、不老不死の彼女はもう一度刃を太ももへと突き刺し始めた。
「あーあ。いつになったら死ねるかしら」
その言葉は血しぶきに紛れ、そして何事もなかったかのように綺麗に閉じていく傷のように。何事もなく消費されていった。
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