第8話 絶望的な戦場の中で[王子視点]


(まだだ!)


 ケヴィンは歯を食いしばり、己を叱咤した。

 ほんの数秒、意識が飛んでいたらしい。

 魔力を使いすぎたせいだろう。頭に靄がかかったような疲労感があり、鉛の帽子を上に乗せたかのように重かった。


 魔物の質はさらに上がり、全長十五メートルの体躯を持った巨大なヒルのマッドウォームや、鉄の硬度を誇る鱗を持ち、剣や槍で武装したハイリザードマンが出現している。

 精鋭で知られる騎士ですら、五対一でようやく仕留められるような高レベルのモンスターたちだ。


 鉄すらも切り裂く攻撃力を誇るレティシアの獅子奮迅の働きと、精鋭たちが長年培ってきた連携とでどうにか優勢を保ってはいるが、時間を追うごとに損耗が増えてきた。

 ケヴィンは、切り札として温存していた雷の魔法と嵐の魔法を使わざるを得なくなり、戦線崩壊を防ぐ代償として指揮に支障が出るくらいの疲労を溜めている。


 もってあと数日だろう。


 それどころか、数時間後には崩壊しているかもしれない。


 用意した魔石が底をつきかけている。魔石がなくなれば魔力を供給できなくなる。

 魔力付与で切れ味を増した剣や槍は、魔力がなくなれば攻撃力を著しく損なう。

 治癒魔法も同じだ。魔石を使わず魔力を供給せずに大きな傷を治すなんてことを続ければ、優秀な治癒術者も気絶する。


 最前線に立ち、ケヴィンは攻撃魔法を連発した。

 指揮官の戦力を頼みにするような戦は負ける。骨身にしみて知っていたはずだった。けれどもそうせざるを得ない状況だった。


 これからどうすべきか。

 何をすれば次につながるのか。

 戦いながら、必死に命を繋ぐための導線を考える。


 絶望するのは死んでからでいい。百人以上の部下の命と、最愛の婚約者の命を預かっているのだ。現実から顔をそむけるわけにはいかない。

 呪文を唱え、中隊長たちに命令を下し、陣形を整え、残る糧食と魔石の配分を計算し、策を練る。

 責任感と義務感、そしてこれまでの経験が、ケヴィンを支えていた。

 頭が重い。

 呪文を使うたびに、こめかみから脳天へと激痛が走る。

 思考がまとまらずに発散する。戦況を瞬時に分析し、指示をする傍らで、とりとめもない考えが浮かんでは消える。

 疲れているのだ。自分もどこかで休憩をとらなければならない。


 後悔が脳裏をよぎる。申し訳ない気持ちもだ。

 ユーゴーの狙いは自分のはずだ。それなのに最愛の婚約者を、レティシアを巻き込んでしまった。

 それに、ランカにも迷惑をかけている。

 

 レティシアと再会して状況を確認した後、知る限りの人脈へ手紙を書き、協力を要請した。つい数週間前の事だ。あの時は何十通も手紙を書けるくらいの余裕があった。

 幾人かが快く力を貸すと応じてくれた。


 そのうちの一人がランカだった。


 手紙が届いてすぐ、彼女は動いてくれた。伝書鳩で返事が届き、その数日後には身銭を切って補給物資を送ってくれた。

 ありがたかった。同時に、すまないとも思った。


 彼女とは幼い頃からの付き合いで、いつしか自分に向けられる好意が友達以上のものであることに気づいていた。

 何度か告白もされたが、妹のようにしか見られなかった。

 家族に抱くような愛はある。けれども、性的な対象としては認識できない。

 一緒に居て落ち着く相手だ。気安く話せるし、話していなくとも流れる空気は心地よい。しかしながら、妻に娶り、子を成すパートナーとしては考えられなかった。


 性癖の不一致はいかんともしがたく、何よりケヴィンはレティシアを愛していた。

 それと同時に、ランカはランカのままであって欲しかった。

 無理やりに自分の性癖に寄せてこられては困る。彼女は彼女として幸せになって欲しい。異性としてではないが、ケヴィンは彼女を愛していた。父親が娘を愛するように。あるいは、仲の良い兄妹が互いを尊重し合うように。



 幼い頃、ケヴィンは身体が弱かった。

 病気がちで食も細く、月に一度は高熱を出し、食事のたびに煎じた苦い薬草を飲むようにと医者から釘をさされた。

 ベッドに横たわった状態で、王族としてふさわしい教養を教師から学び、帝王学を学んだが、身体を鍛えることも、自由に外を出歩くことも制限された。


 強さに憧れた。


 男でも女でも、強そうな相手を見ては鍛えられた身体の美しさに憧れた。

 たくましい女性に憧れるようになったのは、その反動だろう。


 薬草が効いて、歳を経てからは虚弱な体質も改善された。身体も鍛えたし、背も伸びた。


 レティシアとの出会いは、街ですれ違ったのがきっかけだった。

 兵達とともに、早朝訓練を実施した帰り道のことだ。


 背の高い女性だった。

 赤茶色のチュニックに革のベルト、男が着るような脚のラインをはっきりと形作るブレーパンツ。

 彼女は動きやすそうなトレーニングウェアを着て走り込みをしていた。

 

 ポニーテールにまとめられた長い黒髪が、風にたなびいている。

 長身で、筋骨隆々としていて、圧倒的なバルクは城壁よりも分厚そうだ。


 絶世の美女だと思った。


 すれ違う際に、大胸筋から胸鎖乳突筋にかけての身体のラインを間近で見て、ケヴィンはごくりと生唾を飲み、すぐに顔を赤くして目を逸らした。

 官能的なまでに凶悪なデカさと固さは、目にするにはあまりに刺激が強すぎる。

 ネコ科の猛獣を思わせる力強い走りで、レティシアはあっという間に遠ざかっていった。

 後ろ姿までも美しい人だと、ケヴィンは内心で感嘆した。

 同時に、こうまで美しい人と出会えたこの瞬間に感謝をした。

 それから必死に彼女を探し、結婚を前提に付き合ってほしいと口説いたのだ。


 趣味が悪いと、下の兄からは苦笑された。

 ゲテモノ好きだと、上の兄から冷笑された。

 知っている。自分は、世間一般の男とは違うという自覚があった。

 教育役曰く、自分は美意識というか審美眼というか、そういうものが“狂っている”らしい。『どうしてランカお嬢様にしないのか』と、数多くの知人友人から聞かれた。


 理屈ではない。

 本能的な部分で、鍛えた女性に美を感じる性癖なのだ。曲げようがない。


 そんな自分の気持ちが通じたのだろう。初めは訝しげに、次いで馬鹿にしているのかという反応だったレティシアの態度が柔らかくなり、ついに正式な婚約を交わすことが出来たのは。


 天にも昇るような気持だった。世界一幸せな男だと思った。そして、レティシアを幸せにしたいとも思った。

 そんな矢先、レティシアが失踪したのだ。


 再会できてよかった、と、心の底から思った。

 今の状況が、どれほどの地獄であろうとも。


「諦めるな! 必ず援軍が来る!」


 乏しい食料。底を尽きかけた魔石。蓄積する疲労。日々増える負傷者たち。

 それに伴い、低下していく士気。

 

 ケヴィン自身も傷を負い、無理をして連発した攻撃魔法の不可のために瞳の毛細血管が切れて血の涙が目尻から零れていた。


 身体は汗と埃と返り血にまみれ、何日も風呂に入っていないために悪臭を放っている。再会したばかりのレティシアのように、兵も騎士もぐちゃぐちゃのどろどろだ。


 にも関わらず、誰しもが、瞳の輝きを失っていない。


 信じてくれているのだ。自分のすることを。

 三百人からの仲間の命が、自分の双肩にかかっている。その重みが、責任が、王子であるケヴィンの限界を押し上げていた。


 地を這うマッドウォームの巨大な口に向け、部下たちが長槍を勇猛に振るう。

 一歩間違えればそのまま丸呑みされる危険を省みずに突き出された槍は人馬の重さが加算され、強くしなやかなマッドウォームの皮膚を貫き、頭部に刺さる。

 マッドウォームが断末魔をあげ、苦しげに身体をぐねぐねとのたうたせた。


 酸を帯びた体液が吐き出され、騎士たちは槍を捨てて魔物から距離を取る。近くにいる治癒術師たちが負傷者へ駆け寄り、すぐさま応急処置を施す。


 あと四匹。

 たった四匹倒せば、次の魔物の出現まで休息を取ることができる。

 八時間以上戦い詰めだった。気絶しそうなほどに疲労がたまっているし、食事もろくにとれていない。干し肉を無理やり噛んで胃に押し込んだだけだ。魔物達の返り血を浴びた身体も少しは拭きたい。


 区切りが見えて、油断した時だった。


 魔界から狂暴な竜が召喚され、ケヴィンたちに襲いかかった。

 全長十五メートル。

 鋼鉄の鱗を持ち、炎を吐き、人の手に届かぬ空を支配する魔物の中の魔物。


 それは、形を成した絶望だった。


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