『やきとり』を忘れるな。

示紫元陽

『やきとり』を忘れるな。

 独りで焼き鳥を食っていた時だが、お昼を少し過ぎていたからか店の中にはそれほど人数は多くなく、軽く耳を澄ませば容易に他人の会話が聞こえるような空間だった。楽しいお喋りと共にわははと笑い声が聞こえたり、俺と同じように一人でぶつくさと何か呟いている者もいる。そんな中で少し浮いていたのが、二人で額を突き合わせている女子だった。おそらく高校生くらいだろう。

 何が浮いているのかと言うと、彼女らがさっきから数字やら単語やらをしきりに呟いては頭を悩ませているような様子であったことだ。歴史の勉強でもしているのかと最初は思ったが(ノートらしき物を開いてペンを握っていたからだ)、漏れ聞こえる話を聴く限りそうではないらしい。

「この問題難しいね」

「うーん……あ、私分かった! きっとここを折って重ねれば……」

「あぁ、なるほど、凄い!」

 暫くはなんのこっちゃと話を聴いていたのだが、このやり取りを聴いて、どうやら謎解きというものをしているらしいと俺は判断するに至った。焼き鳥屋なんぞで解いている理由については想像するしかないが、もしかするとおすすめの店として紹介されていたのかもしれない。夜は毎日客足が途絶えないような店だが、昼日中は今日のような休みの日でも意外に空いており穴場と言える。だから俺もこの時間帯がお気に入りでよく足を運んでいる。

 ここのおすすめは何と言ってもねぎまのタレだ。とろりとした口当たりと絶妙な甘さがネギと鶏肉のコラボレーションを際立たせる。勿論塩も美味いのだが、この店ではとりあえずタレにして間違いはない。

「次は迷路かぁ……」

「私に任せなさーい」

 まだまだ謎解きは続くらしい。しかし、どうしてわざわざ休みの日にまで頭を使うようなことをするんだろうか。俺は勉強が苦手だったから、学校や宿題以外で知恵を働かせるなんて、たとえそれが娯楽であろうと考えられなかった。最近の高校生は皆そんな感じなのだろうか。さすがに違っていてほしい。

 そんな考え事をしているうちに、注文していたモモが来た。やはりこれははずせない。脂肪と肉の程よいバランスで食べやすく、いくらでも腹に入れられる。一本つまんでひと齧りしてから、俺はビールを喉に流し込んだ。昼から飲んでいるという背徳感はあるが、それがむしろ気持ちいい。それに帰りは徒歩だから問題ない。

「次、雫が得意なやつじゃない?」

「あ、ホントだ、アナグラムだね」

「じゃあこれは任せた!」

 例の女子二人は尚も楽しそうに問題を解いているようだ。俺の娘も高校生だが、パズルなどを解いている姿は見ない。まぁ家で一人だけでやるのは相当好きな奴だろう。外でなら友達と遊ぶことはあるのかもしれないが。

 もう一本モモを噛み切る。波打つビールをさらに煽る。焼き鳥を考えた奴は本当に天才だと思う。家に土産で買っていってやろうか。そう思ったが、やはりやめておこうとすぐに考え直した。娘はこういった匂いの強いものを最近苦手にしているようで、少なくとも歓迎はされないだろうことを思い出したからである。

 別に反抗期というわけではないと思うし、食べ過ぎて飽きただけかもしれないが、そうは言っても微妙な顔をされるのはいい気分ではない。落胆する未来が目に見えて想像できる。そんな思いをしてまで食べてほしいのではないし、それならば最初から回避するのが正しい選択だろう。嫌々食べられる焼き鳥が可哀そうというのもある。

「えっと、出てきたキーワードは『ヤキトリ』だね」

「へぇ、ちゃんとコンセプトに則ってるんだねぇ」

「そうみたい」

 和気あいあいと遊ぶ姿は、目の端に捉えているだけでも微笑ましい。きっと学校でもいつも親しく過ごしているのだろう。青春時代にああやって気の置けない友人がいるというのは実に羨ましいことである。今後とも仲良くあってほしいと思う。

 そういえば俺の娘もよく友達を家に招いているらしい。ばあさんが紅茶やらお茶菓子やらを用意して面倒をみるのが、このところの常になっていた。聞いたところ部屋でごろごろしているだけのようだが、もう少しはっちゃけても罰は当たらないと思う。

 いや、今思い出したが、たしか去年の夏に祭りに行くとか言って桔梗柄の浴衣を買わされたことがあった。どこのどいつと行くのかと尋ねればクラスの男子と言っていたし、俺の知らないところで高校生活を娘なりに謳歌しているのかもしれない。何の躊躇いもなくその男子のことを言ってのけたから本当にただの友達である可能性もあるが、それはそれで、仲の良い異性というのは貴重だと思うから大事にしてほしい。

 と、いつの間にか思考が娘のことばかりになってしまった。近頃は家族で出かけることも減っているからかもしれない。今度の休みにはどこか日帰りで遠出してみようか。温泉などでゆっくり疲れを癒すのもいい。

「だいぶ進んだね」

「でもまだこの辺のパーツ使ってないし、これからが本番って感じ?」

「望むところね」

 それにしても、彼女らはいったいいつまで店内で謎解きをするつもりなのだろうか。焼き鳥はちょくちょく注文して食べているようだが、正直に言って身体に悪いのではなかろうか。昼間からビールを飲んでいる俺が言えた義理ではないが。

 ああも夢中になってできるゲームならば、さぞかし面白いのだろうか。来週も休みは問題なく取れるはずだから、俺でも出来そうなら少し試してみようか。それこそ家族みんなで机を囲んでやるのも悪くない。いや、さすがに敬遠されるだろうか。いやいや、とにもかくにも探してみないことには始まらない。

 鞄から携帯を取り出して検索をかけてみると、想像以上の数がヒットして驚いた。外国へ行くという設定で写真を見ながら謎を解くものは面白そうだ。旅行気分を味わえるしもってこいではないか。他に、閉鎖空間から脱出を図るというものは非常に多くのシリーズがあり、人気を博していることが推測できる。それ以外も種類は豊富で、難易度や所要時間はキットによって異なるため自分に合ったものが選べるようだ。

 ざっと検索一覧に目を通しながらジョッキを傾けるとちょうどビールが切れたが、せっかく気分もいいしもう少し居座ろうかと思った。おかわりを注文し、焼き鳥も追加で何皿か頼む。さっきはタレを味わったから、今度は塩にした。

「星と星を合わせて、次にいかり同士を合わせて……」

「えっと……できた。キーワードは……」

 女子高生たちの声がまた聞こえてきた。工作が始まったようである。さすがに初手で立体物を作る必要があるものに手を出すのはリスクが高い気がするため、もう少しビギナー向けのものを探してみたい。しかし、難しければ成果に対する達成感も一入ひとしおだろう。娘がある程度戦力になるのならば挑戦してみる手もあるかもしれない。いや、勝手に家族ですることを前提にして考えていたが、そもそもまだ提案もしていなければ、当たりを付けさえしていなかった。

 もう一度調べようとブラウザをいじろうしたところで、先ほど頼んだ品が届いた。飲みすぎると帰った時に嫌な顔をされるから、ビールはこれくらいで止めにしようか。

 飲んだくれだからと耳を貸してくれなくなるのは辛い。去年の暮れくらいに本当に忌避されたことがあったが、さすがに気を付けねばならないとあの時思った。家族団らんの話題を持って帰ろうとしている今日ならば尚更だ。

 目の前に並んだ焼き鳥はモモの塩と、追加でつくねだ。ミンチにした鶏肉をまとめて串に刺したそれは、こんがりとした焼き色と香ばしさで食欲をそそる逸品である。心なしか口内の唾液が増えたような気もする。

 さっそく一本摘まんで口に運ぶ。電球の光で焦げ目が輝くと、さらに美味うまそうに見える。ひと思いにばくりと齧りつくと、肉汁が溢れて口いっぱいに旨味が広がった。次から次へと齧りついていく。都度、ビールも喉に注ぐ。

「えぇと、『タイトルをゆめゆめ忘れるな』?」

「あぁ、確かになんか引っかかってはいたけど、やっぱり最後のカギになってるのね」

 俺が注文した焼き鳥を平らげると、女子高生らの謎解きが終盤に差し掛かったと思しき声が聞き取れた。既に一時間以上経過しているが、どうやら彼女らはここで最後まで解き切るつもりのようだ。だが残念なことに、ここで俺はそろそろお暇しなければならない時間となってしまった。まぁいくら美味しいとはいえ、いい加減焼き鳥とビールだけには飽きてきていたのでちょうどよかったのかもしれない。

 携帯を鞄に直し、代わりに財布を取り出して店員を呼ぶ。勘定を済ませて席を立つと、最後に彼女らの声がまた耳に届いた。

「最後の指示は、『各段落の二文目最初の音を続けて読め』だそうよ」

「オッケー、これでさっきの注意書きに気をつければ……」

 外に出ると、少し傾いた日が眩しかった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

『やきとり』を忘れるな。 示紫元陽 @Shallea

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ