二人の約束

 それからというもの、アーベルの帰国のその日まで、わたしたちはこれまでと変わらない日々を過ごした。


 勿忘草わすれなぐさやそれに関する記憶、『前世』のそれに触れることは互いになかった。


 まるで、何気ない日常を損なわぬよう気を張っているようで、硝子細工がらすざいくを手にした折りのような風情さえあった。


 わたしたちは互いにそれを気取けどりながらも、知らないふりをしたまま、別れを迎える。


「アーベル。もう、帰国なのね。3ヶ月間あっという間だったわ……」


「はい。寂しいです……」


 彼を見送る、空港のターミナル。


 少しよそよそしくなるのは、彼と離れる寂しいからか、結局彼の語った『前世』というものを思い出すことの叶わなかったうしろめたさからか。


 けれどそんなことは関係なく、わたしたちはわたしたちなのだと、心のどこかで確かに感じる。


 やわく微笑んだアーベルが、ささやくような声音でわたしを呼んだ。


優瑠うる


「なあに、アーベル」


優瑠うる……」


「うん。アーベル……」


 見詰めあう時間は刹那的で、けれど永遠も感じさせる。


 先に視線を外したのはアーベルで、それでも直ぐにその視線をあわせた。


「ずっと、優瑠うるに言いたいことがありました。今の人生は、いいえ、どうか永遠に、幸せに生きて……」


「……」


「そして、わたしが君を忘れなかったように、今度は君も、わたしを忘れないで……」


 しずくこぼれて、頬に一筋のあとを残す。


 その様子は、あまりにも美しく儚い。


 風にもたれ、さらわれ行く花弁かべんを眺める勿忘草わすれなぐさのようで、わたしは呆然と彼を見詰めることしか出来なかった。


「もう、行きます……」


「待って!待って、アーベル……」


 思わず呼び止めたわたしに、ゆっくりと彼が振り返る。


 ざわめくような感覚が、しだいに心に広がって行く。


 遠い記憶が、溢れて行く。


 そっと息を吸い込んだとき、わたしは確かに穏やかに笑えていた。


「今度こそ、貴方を忘れないわ。約束する。でも、永遠に幸せに生きる約束は、できないわ」


「え……」


 わたしの言葉に、アーベルは呆気にとられたように動きを止めた。


 その表情があまりに間抜けで、わたしはくすりと笑ってその顔を見詰めた。


「アーベル。今度こそ二人で。わたしたち二人で、幸せに生きましょう。それなら、約束してあげられるわ。もう二度と、貴方を置いて逝かないと誓うから……」


 歩み寄って、彼を間近に見る。


 鮮やかな長髪を風に揺らす少女の面影が浮かぶ。


 その瞳に、はっきりと喜色が浮かぶのが見てとれた。


 懐かしさと、愛しさと、少しのノスタルジー。


 さまざまな感情を織りまぜて、温かな想いが溢れて濡れる。


 今世は二人で居よう。


 もう離れはしないから。


 ひしと抱き締めあうわたしたちを、人々が物珍しげに見ながら通りすぎて行く。


 それでもわたしたちは、飛行機のたつ時間ぎりぎりまで、二人きりの時を過ごした。

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