焼き鳥の屋台にて

広之新

第1話

 マリはじっと立ち尽くしていた。彼女の先には小さな焼き鳥の屋台があった。そこはうらぶれた路地の片隅だった。周りは夜の繁華街で騒々しいのだが、その一角だけは火が消えているかのように静かだった。

 マリの目にはしっかりとその屋台が映っていた。古ぼけた屋台の屋根にネオンが鈍く反射し、ほのかな灯りが屋台から漏れていた。そこは変わっていなかった。活気がないのを除いては・・・。


 かつてマリはそこにいた。毎日、祖父の屋台の隅に座っていたのだ。幼い頃に両親を亡くし、マリは祖父に引き取られた。祖父は昔から焼き鳥の屋台をして生計を立てていた。幼いマリを夜に一人でアパートに置いておくこともできず、屋台に連れて来ていたのだ。

 マリはここが好きだった。酔っぱらってはいたが、大人たちがマリをかわいがってくれた。そして祖父の焼き鳥は絶品だった。祖父はお腹を空かしたマリのためにいつも焼き鳥を焼いてくれた。それは今まで食べた物の中で一番うまいと思っていた。


 やがて大きくなるにつれてマリは屋台を手伝うようになった。見よう見まねで屋台の仕事を覚え、焼く以外のことは何でもした。するとそれが評判になり、よく通ってくれるお客も増えた。夕方に屋台を開けると、すぐに客でいっぱいでにぎやかになり、そこは明るく活気があふれていた。


「私、大きくなったら焼き鳥の屋台をする!」


 マリは幼いころからよくそう言っていた。祖父はそれを聞いて目を細めて笑っていた。自分が誇りにしてきた仕事を孫娘が継ぎたいと言ってくれてよほどうれしかったのだろう。祖父は、両親のいないマリが寂しい思いをしていると思っていたようだが、そんなことはなかった。こんなにぎやかな毎日を過ごしてきて、マリは決して寂しいとは思わなかった。かえって楽しいと感じていた。



 だが18になるとマリの気持ちが変わってきた。若い娘にありがちな都会にあこがれを持つようになってしまったのだ。今まで過ごした街や屋台が急に野暮ったく見え、毎日がつまらなくて退屈に思えた。彼女はファッションに興味を持ち、都会に出てファッションの勉強をしてデザイナーになりたいと思うようになった。

 

「私、都会に出たい!」


 祖父に伝えてみた。だが祖父は首を横に振った。


「だめだ!」


 なぜか祖父はマリが都会に出ようとするのを許さなかった。彼女の甘い考えを見抜いていたのかもしれない。だからいくら頼んでも祖父は頑なに許そうとしなかった。そんなことを繰り返しているうちに祖父と言い争うようになって、マリは家出同然にアパートを出た。 


 あれからもう10年になる・・・


 マリは心を病んでこの街に戻ってきた。憧れをもって都会で生活してみたが、現実は厳しかった。専門学校でファッションの勉強をしたものの、当然、そんな仕事にはつけなかった。それで地味な事務の仕事に就き、それから様々な仕事を転々とした。寂しいところに甘い言葉で言い寄ってきた男に何度も騙され、借金まみれになった。金を返すために場末のホステスにもなった。辛い現実を忘れるために飲酒が増え、アルコールが体をひどく蝕んでいた。生きていくのがやっと・・・もう誰も信じられなかった。人生に絶望したマリはもうこれで最期にしたかった。だがその前に思い出深い屋台と祖父の様子を見に来たのだ。


 マリは意を決してその屋台に近づいた。すると祖父の姿が見えた。祖父はかなり年老いて見えた。腰がかなり曲がり、立ち上がるのも苦労しているようだった。そしてお客は・・・誰もいなかった。10年前はあれほどお客が詰めかけていたのに・・・。祖父はこんなことは慣れっこになっているのだろうか、頬杖をついて目をつぶりコックリコックリし始めた。


(おじいちゃん・・・)


 ただそっと顔を見るだけ・・・と思ってここに来たのに、もっとそばに寄りたくなった。屋台に座って祖父と言葉を交わしたい・・・だが喧嘩同然に家を飛び出し、今さら祖父に合わせる顔はなかった。それに久しぶりに顔を合わす祖父になんと声をかけたらいいかがわからない・・・。その考えはまとまらないうちに自然に体が動いた。


「ちょっと・・・」


 マリは小さな声をかけて屋台に座ってしまった。すると祖父が目を覚ました。


「あっ。いらっしゃい。何にしましょう?」


 祖父が声をかけた。彼はマリに気付いていないようだった。マリが化粧をしてサングラスをしていたから・・・いや、やつれ切って昔のマリの面影を残していなかったからかもしれない。


「焼き鳥を・・・」

「へい!」


 祖父は焼き鳥を焼き始めた。その手つきは昔と変わっていなかった。そしてその懐かしい匂いと煙が辺りに充満した。マリはまるで昔に戻ったように感じた。彼女は両手で頬杖を突き、祖父の焼く焼き鳥をじっと見ていた。それはあの子供の頃と同じだった。


「お待ち!」


 祖父は焼き鳥を皿に乗せて出してくれた。マリはそれを思いきりほおばった。その懐かしい味とともに幼い頃の思い出がよみがえってきた。


「おいしい・・・」


 マリは知らず知らずに涙をこぼしていた。だが祖父はそれに気づいていないようだった。


「それはよかった。」


 祖父は笑顔を見せた。そしてホッとしたのか、急に話し出した。


「私にもあなたぐらいの孫娘がいましてね。小さい頃はこの屋台を手伝ってくれていたものですよ。でも都会に行ってしまって・・・。もう10年も音沙汰なし。でもね、この屋台を閉めずにいたらまた舞い戻って来るんじゃないかって、勝手に思ってしまってね。客も来ないのに店を開けているんですよ。でもよかった。お客さんにおいしいと言っていただけて。まだ腕は落ちていない。安心しましたよ。」


「え、ええ・・・」


 マリは相槌を打った。祖父はさらに話を続けた。


「儂のようなものでも生きていると辛いことは山の様にあります。でもこうして焼き鳥を焼いていると、なぜか、心が安らぐんですよ。不思議なものでね。ここが儂にとって羽を休める場所っていうのですがね。」


「そうなんですか・・・」


「お客さんも辛いことがおありになったのでしょう。いやいや・・・言わなくたってわかります。でも儂からすりゃ、まだまだ若い。これからですよ。いいことがいっぱいありますよ。」


 祖父は優しく笑った。マリは辛い自分を祖父が励ましてくれているように思えてきた。すると少し元気が出て来た。もう一度やり直して、目標に挑戦してみようという気になった。


「ありがとう・・・」


 マリは勘定を払って屋台を出た。なぜか、祖父に自分がマリだということを言えなかった。いや、言ってはいけない気がしていた。こんなやつれ切った女を変わり果てた孫娘だと思わせたくない。だが・・・


「よかったらまたおいで。辛くなったらね。ここはあなたの止まり木だよ。いつでも店を開けておくから。これからもずっと・・・」


 祖父は帰り際にそう声をかけた。マリは振り返った。すると祖父はニッコリと笑っていた。


「おじいちゃん・・・」


 マリはそうつぶやいた。祖父はうなずいた。


「がんばっておいで。また羽ばたいておいで! 今度、顔を見るのを楽しみにしているよ。」


 マリはしっかりと歩き始めた。次にあの屋台を訪れる時はとびっきりの笑顔で行くんだと思いながら・・・。

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焼き鳥の屋台にて 広之新 @hironosin

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