第5話
「送ってく」
「ううん……近いから」
「じゃあ、俺んち連れてく。どっちか選んで」
答えられず、ただ副島を見上げる。握ったビニール傘が奪われ、頭上で開かれる。エスコートよろしく映に傘をかざした彼の肩に、店内の明かりに透けて雨粒が跳ねている。
「副島さんが濡れちゃいますよ」
「ほかほかの洗濯物のほうが大事だろ。ほら、後部座席使って」
車のヘッドライトがまばたきのように一度明滅し、やはりエスコートよろしく後部座席のドアが開かれる。シートにバッグを置き、大人しく助手席に乗り込むと、遅れて運転席に乗り込んだ副島がゆっくりと車をバックさせた。
「で?」
メトロノームのように穏やかなバックの電子音の中、彼の横顔が穏やかに笑う。
「どっち?」
この車が向かう先が映のアパートか、彼の住まいか、選べるのはそれだけだ。
これから抱くと、宣告を受けている。映は逸る心臓を抑えるように、シートベルトごと自分を抱きしめた。
「……副島さん、ち」
彼が見舞いに来てくれた時よりいっそう荒れ果てた部屋を、見られるのが嫌だった。理由はそれだけのはずだったのに、まるでねだるような言い方になってしまったのが恥ずかしかった。
マンションの立体駐車場ってどうやって使うんだろうという素朴な疑問が、思わぬところで解決した夜だった。コントロールパネルを操作する彼曰く、急いでいる時には苛立つこともあるらしい。柵の奥に飲み込まれていく車を最後まで見送らずエントランスに向かい、エレベーターで五階へ上がって無人の廊下を進む。暗い紺色のドアにキーを通すと、その奥が副島の部屋だ。サングラスとキーケースは、シューズボックスの上が定位置のよう。
「どうぞ」
「お邪魔します……」
きれいに片づいたリビングは、家具や家電にまるでこだわりのない人の部屋とは思いにくかった。大きな薄型テレビは、持ち逃げされて買い直した物のうちのひとつだろうか? テーブルの上にノートパソコンと分厚い書籍が数冊広げられおり、その横に底の干からびたマグカップが置きっぱなしになっている。欠点にはとてもならないが、少しだけ散らかったその一角に妙に安心する。こっそりと、でも、しげしげと見回していたのを気づかれないわけがない。
「なに?」
笑い含みに尋ねられ、曖昧に笑い返す。
「きれいだなって、思って」
「使ってねーのよ。ここんとこ飯もほとんど外だし、寝に帰るだけだったから」
「俺だってですけど、汚いですよ」
言わなくてもいい告白をしたのだろう、副島が明後日を向いて盛大に吹き出した。むくれた映の頬を手のひらで払うように撫で、首を巡らせる。
「何か飲む? あ、はーちゃんって酒飲めるの?」
「あんまり強くないけど」
「ビールは? 今それしかないわ、確か」
「好きじゃない、です」
「ぽい。かわいいなあ。コーヒーでいい?」
ソファに押しやろうとした映が抗うのに、たぶん彼は驚いたのだと思う。
「はーちゃん?」
「……余裕なんですね、副島さん」
不安とそれだけでない感覚で、もう頭の奥がぼうっとしている。こんな時にソファに座って悠々とコーヒーを飲むなんて、できない。彼の腕を掴んで睨めつけると、副島はサングラスのない優しげな目元を眇めて、映の肩を抱く。消えかけの香水が香り、温かい息が片耳に吹き込まれた。
「じゃあ、すぐにベッド行く?」
「……余裕」
「そう見えるのかあ」
揶揄のトーンを含んだ忍び笑いに、俺ばっかり、と恨み言が込み上げたけど。唇が塞がれ、それごとゆっくりと吸い上げられる。
「んむ……」
ぬるりと唾液が染みる。彼の唇も、火照ったように熱かった。
背中を促され、廊下の奥に進む。ドアの先は、カーテン越しにかすかに街明かりの入る、薄暗い寝室だった。カチ、壁際のスイッチで部屋の電気が灯ると、リビングよりはずいぶん生活感のある光景が広がっている。脱ぎ捨てられた寝間着、半分開いたクローゼットの扉から覗くワイシャツ、抜け殻のようにこんもりと掛け布団の盛り上がったベッド。その縁へ二人で腰かけて、またキスをする。鼻息を交わしながら服の下の肌を弄りあい、彼の指先が胸に擦れた時、じんと響いたのに驚いてその手を掴む。指先が絡み合い、握り込まれ、また胸を擦られて、映は頭を振って鼻声を上げた。
「んっ」
「嫌?」
「あの、嫌じゃなくて」
「嫌じゃなくて? なに?」
「変、かも……」
ドキドキと鼓動が喉までせり上がっている。
「たまんねーな、はーちゃんは。はい、ばんざいして」
いつの間にか両胸が露わになるまでたくし上げられたTシャツを、そのまま引き抜かれる。感じる胸に、裸の肩に、キスをされ、副島の頭を抱きしめて耳たぶにキスを返す。
「……電気、消してほしい、です」
「はーちゃんが見えなくなる」
「見えなくていい、よ」
天井の電気が消えた代わりに、ベッドサイドのランプが灯る。穏やかなオレンジ色の、でも、彼の細かい表情まではっきりわかるくらいには明るいランプだった。うっとりと薄い頬に手を伸ばし、旧世代のアイドルみたいな、少しだけファニーでとびきりハンサムな顔を撫でる。ふふっと笑った副島の手が映の太股の内側を這い、苦しく膨らんだ映を撫でた。また、じん、と響く。
「あ……ん……」
「はは、きもちー声」
「ぅん」
同じように副島の股間を撫で、スラックスの生地の上からアウトラインをたどる。そんな遊戯だけでは最初から足りなくて、自らズボンを脱ぐ。もたもたと下着を下ろした瞬間、ぶるんと糸を引いて飛び出してしまい、堪らず俯く。
「はず、かし……」
「かわいい」
下から覗き込んできた副島にキスをされ、ぢゅうう、痺れるくらいきつく吸われる。スラックスの硬い生地を少し持ち上げる彼の股間へ擦りつけるように、映は腰をくねらせた。彼の両肩に縋って、信じられないけど、ねだっている。
「はーちゃん」
熱っぽく囁いた副島が、すっかりはだけた服を脱ぎ去る。裸の胸にひとすじ汗が伝うのが、剥き出しになったどぎついくらい赤黒いペニスが、臍下をびっしり覆う縮れ毛が、彼の身体の全部がひどくエロティックで、また先から熱いのが染み出た。
「あ……」
「ほんと、かわいいな」
大きな手のひらが尻たぶを撫で、谷間に指が滑り落ちる。
「ここで、するぜ?」
「……うん」
「無理だって思ったら、すぐ言えよ?」
「へいき」
答えたそばから、指先の侵入を拒んでぎゅっとすぼんでしまう。
「ごめ、なさい」
「いや。びっくりしたな」
「……試したことは、あったんだけど」
「誰と?」
「その。付き合ってた相手……っていうか。でも、上手くいかなくて。入らなかった、んです、その、痛くて」
「うん」
「肝心なことで失敗しちゃったから……それで、お互い気まずくなって、なんとなく疎遠になっちゃった、けど」
しどろもどろ言い訳を終えるやいなや、ごつんと額をぶつけられる。
「なあ、なんで、今、そんな話すんの?」
いつものトーンと変わらなかったが、少し冷たくて、怒っているようにも感じる。
「――あの、ごめん、なさい」
彼の非難はもっともだった。
「未練あんの?」
「ないよ。最初から、好きだったのかもわかんないもん」
「俺のことは?」
まばたきの風を感じるくらい近くで言われて、ぞわぞわと鳥肌が立つ。
「…………好き」
「俺も」
背中を抱きしめられ、揺さぶられる。お互いのペニスが擦れて、知らず喘いだ。
「はっ……」
副島の「前のオトコ」に嫉妬していないと言ったら嘘だけれど、彼のように経験豊富な大人にとって、自分の失敗した恋愛話なんて大したことないと思っていた。失言を咎められたことも、そこに彼の嫉妬を感じたことも、甘い快感になって映を満たす。あの時はお互い初めてだった。彼とは今も同じ講義を取っているが、教室で会っても挨拶さえしない。卒業する頃には名前さえ忘れてしまいそうな、その程度の経験だった。
映の下唇を撫でる指は、もしかしたらさっき尻穴をくすぐった指かもしれないと、頭の片隅にはちらついた。
「はーちゃん、舐めて」
前歯の隙間にねじ込まれた指に、甘露を与えられたような気分でしゃぶりつく。
「ん、んぅ……」
何度か抜き差しし、たっぷり唾液のついた指先を音を立てて抜くと、もう一度それを映の尻の谷間に滑らせる。
「今も怖い?」
「……わかんない、けど」
ぴり、と、皮膚が引き攣れる。尻穴の拡がる、痛みに近い熱が走る。
「怖かったら、こんな、なってないと思う」
映はまた腰をくねらせ、勃起した自分を副島に擦りつけた。
「なあ、これ以上煽るなよ」
映を抱きしめたまま腕を伸ばし、彼が取り出したのがジェルだったのは、すぐに知ることになった。円を描くように塗り込められて、ゆっくりと奥まで入ってくる。
「ん……」
副島の肩に顔を押しつけ、異物感に耐える。彼の指を咥えている、そう表現するほかにない感触だった。彼が指を動かすたび、くちゃり、と濡れた音がするのが堪らなかった。
彼はとても丁寧だったと思う。時計を見たわけではないが、ひどく長い時間をかけて――永遠に終わらないかもしれないと恐ろしくなるくらいの時間をかけて、ジェルを何度も継ぎ足しながら映の中を拡げた。
「ほら、二本。わかる?」
「ん、ん……わか、んない」
内臓の中で指をうごめかせながら、その感覚を追いかける映の気を逸らすように胸を舌でくすぐる。
「あ……それ、やだ」
「感じてるのに?」
彼の舌を押し返す自分の乳首が、硬く勃っているのが恥ずかしい。
「やだ……」
その隙に腹の奥がみっちり詰まる感覚があり、
「はい、三本」
悪戯っぽく言われて、どうしようもなくなって涙が滲んだ。うねうねと内壁を拡げていた指がついに抜かれたが、すぐには忘れられない尻穴が余韻でぱくぱくと収縮している。
「よくがんばりました」
汗ばんだ映の顔を撫でて、目尻に、それから唇にキスをする。自分のことに精一杯で触れることさえしなかった副島のペニスは少し萎んでいたが、彼が自らの手で乱暴に扱くと、そのうちに力強さを取り戻す。下腹がうごめき、ふっ、と短く息をついたのが色っぽかった。
「はーちゃん、着けてくれる?」
「……うん」
手渡されたパッケージの封を切り、中からゴムを取り出す。冷たいそれを突き出した副島の先端に宛がって、怖々引き下ろすと、彼は下腹を小刻みに震わせてくすくすと笑いだした。
「くすぐったいって」
「あ、ごめんなさい」
「いーよ。これだと抜けちゃうかもしれないから、こうすんの、わかる?」
「……うん」
副島に導かれ、指で軽く握らされ、皮膚と馴染ませるように上下させられる。張り詰めた熱塊の弾力、ゴムを隔ててこりこりと伝わってくる浮き出た血管。自分を扱くのと同じくらい興奮する感覚だった。
「上手。ありがと」
うっとりと言った副島に、もう何度目かわからないキスをされる。
両肩を押され、後ろへ倒される。同時に覆い被さってきた彼と一緒にマットレスの上で大きく跳ねて、また唇を吸いあった。
脚を開かれ、両膝を持ち上げられる。すっかり晒されたそこをじっと見つめられ、恥ずかしいのに身体が疼く。
「……そんな、見なくても」
「なんで、もっと見せてよ」
閉じようとした脚は、彼の手で再び、もっと大きく開かれてしまった。
「み、見ないでって」
「はは、うん、鑑賞は終わり」
たらり、とジェルが垂らされる。彼が太いペニスに手を添えてゆっくり押し入ってくると、信じられない圧迫感に頭が真っ白になった。
「いっ」
「痛い?」
「へーき……ぃ……」
ぐずぐずとジェルを鳴らしながら、膨大な質量が映に埋め込まれていく。
「は、入った……?」
「まだ半分」
「うそ――あっ」
鈍い衝撃に、声が裏返る。焦れったいくらい慎重だったのが嘘みたいに、一瞬だった。ひと突きに奥まで届いた感触が確かにあり、目の裏に星が散る。
「あ……ん……これ……」
「うん。これで、全部」
あれだけほぐされたのに、入り口は引きちぎれそうだし、中が信じられないくらいいっぱいになっている。尻たぶを彼のごわついた下の毛がくすぐり、今、ぴったりとお互いの肌がくっついている。火照って、汗ばんだ肌だ。
「中、すげー、きついな」
彼がそこを悪戯に揺すると、ちゃぷちゃぷと水音が立った。
「ゃう」
「嫌? じゃないよな?」
「……や、じゃない」
「やだ、やめて、は聞いてやれなくなるからな」
「……うん」
彼の手の甲に手を重ね、骨をなぞる。くん、と、中で膨らむのがわかった。
「…………動くぞ」
唸るように言って映の腰を掴むと、副島はずるりと引き抜く寸前まで後退し、ひと息に突いた。
「あぅっ」
大振りのスイングで擦り上げたかと思えば、小刻みに揺らして映の快いところを探し当て、今度はそこを執拗に突く。腹の奥を繰り返し蹂躙されて、いつかまともに喋れなくなった。
「あっ……あっ……ひっ……いっ……」
副島のリズムに合わせて、喉からはひしゃげた声が押し出される。縋るように抱きしめ、噛んでいた枕の端には、涎がじっとり染みてしまったと思う。それを無慈悲に取り上げ、映の腕を片方ずつ自分の首へかけると、副島はいっそう激しく腰を振った。一秒も休まず揺さぶられ、浅瀬で感じる快感と、奥の奥を抉られた時の強烈な衝撃に、みっともなく喘いでいる。
「やっ、や……あっ、やっ、やっ」
味わったことのない感覚に、嫌、と何度も口をついたが、もちろん副島は一瞬だって緩めてくれなかった。二人で溶けあうなんて生易しいものじゃない。腹の中を擦り上げる太く硬いものは、何十回、何百回そうしたって、恐ろしいくらい熱い副島のペニス以外の何でもなかった。
「あっ、あん、副島、さ、んっ」
「やべー、はーちゃん、きもちー……」
すっかり乱れた前髪を乱暴に掻き上げ、音を立てて映の尻たぶに腰を打ちつけながら、副島がうっとりと言う。額に触れた唇が、目蓋、頬、そして映の唇を吸い上げる。ねじ込まれた舌を、映は夢中で吸った。
「んーっ、んむぅ、むぅ」
消えかけの香水はもう香らない。ベッドの中は二人の息と、汗と、雄くさい精子のにおいでむっとこもっている。
「…………あっ、あっ、で、る、かも」
もうずっと絶頂に包まれていたような気がしていたのに、この、背筋を駆け上がる痺れは――そう思った時にはもう達していた。
「あーー……っ」
鼻から悲鳴が抜け、勢いよく飛んだ精液は、副島の胸を濡らした。
その夜、ついに雨は一度も止まなかった。
途中何度か意識を失ったが、一睡も許されず抱かれた。いつの間にかカーテンの向こうが白んで、ランプのオレンジがわからなくなるくらい部屋は明るくなった。
はーっ、はーっ、胸で息をしながら、呆然と天井を眺めている。身体じゅうどろどろで、特に腹の中はぐちゃぐちゃだった。それに、副島の形をすっかりおぼえて、ぽっかりと空いているんじゃないかと思う。引き抜く時に取り残されたゴムを副島が引っ張ると、鼻声が上がる。
「んっ……」
今の自分は、どんなにかすかな刺激にも感じるようになってしまった。
ゴムを捨てた副島が隣に寝そべると、マットレスが沈む。首の後ろに差し込まれた腕に戸惑っていると、強引に腕枕の体勢になり、恥ずかしくなって目を瞑った。
「はーちゃん?」
副島が擦れた声で囁く。
薄目を開けると、にやりと微笑まれて、ちゅっと唇を啄まれる。
「シャワーする体力残ってる?」
「……ない、です」
「俺も。はーちゃん、今日、学校は?」
「今期は土曜日入れてないから」
「バイトは?」
「今は、夕方のカテキョだけ」
「そ。じゃあ、ちょっと寝よう」
「うん」
「そしたらシャワーして、飯食い行こ」
「ん……」
「あ、シーツも汚したし、まとめてコインランドリーも行くか」
「う、ん……」
なんて言いながら、ちゅ、ちゅ、繰り返し啄みあう。
「はーちゃん」
「……名前」
「ん?」
「ちゃんと、呼んでくれないんですか……?」
キスの合間から言うと、失笑の息が間近で弾ける。
「今かよ」
副島はしばらくくつくつと笑っていたが、映の髪を撫で、耳に唇を寄せた。
「映、好きだ」
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