焼き鳥は分けるのが難しい

六条菜々子

一目惚れ

 趣味と呼ばれるものは、いくつかある。

 俺が好きなのは、季節ごとに発売される切符を使っての旅行だった。暇を見つけては電車を乗り継いで、出来るだけ遠くへ出かけていた。いわゆる、あての無い旅である。


「寒いなぁ」


 駅の隅にある温度計は、五度を下回っていた。どうりで寒いわけだ。

 待合室からは、すぐ目の前にある湖が見えていた。風通りが良すぎるくらいなので、風がひっきりなしに吹いていて、とんでもなく寒い。

 ほんの少し前までは、暖房の効いた電車の中だったので、より堪える。


 待合室の中央には、石油ストーブが置かれていた。駅員さんが調節してくれていたのか、かなりちょうど良い暖かさだった。


「お客さん、次の電車は二時間後ですよ?」


 なにを言いたいのかは分かる。だが、俺の旅はあくまでも電車に乗って移動することであり、到着後になにかをすることではない。ゆえに、駅員さんには申し訳ないがこの状態はむしろ心地よいのだ。


「いいんです。ここで待ちますから」

「そうですか?」


 心配そうに見つめてくる。親切心で声をかけてくれるのはありがたいが、あんまりしつこいと気に障る。


「大丈夫ですから」


 そこで俺は気が緩んでいたのか、お腹がぐぅと唸り始めた。そういえば駅弁を買う時間がなく、昼ごはんを抜いていたことをすっかり忘れていた。


「でも、お腹鳴ってますよ」

「ちょっと、そのまま口に出さないでくださいよ。恥ずかしいです」

「まあまあ。よかったら、ご飯屋紹介しましょうか?」


 “ご飯屋”という言葉に、俺のお腹が激しく共鳴していた。一度気づいてしまったそれを無視することは、とても困難であった。


「……ご飯屋ですか」

「そうです。私が個人的に通っている店で、そんなに距離もありませんから。場所は、ここを出て道なりに行くと交番があります。そこを左に曲がれば暖簾が見えてくるはずです」


 断ろうとしたが、それを許してくれない駅員さんの押しに負けてしまい、俺は重たくなってしまった体を奮い立たせた。


「そこまで言うなら行きます」

「はい。行ってらっしゃいませ」


 ニッコリ笑顔で俺は見送られ、聞いた通りに道を進んで行った。


「交番だ」


 ここを曲がると暖簾が見えると言っていた。曲がるとすぐに暖簾がかかっている店が見えた。きっとあそこに違いない。

 いかにも個人経営っぽい見た目の店だ。地元に住んでいる人がおすすめしてきたのだから、きっと間違いない味なのだろう。少し緊張感をもちつつ、俺は暖簾をくぐった。


「いらっしゃいませー」

「一人です」

「はーい。奥の座敷でいいかい?」


 店に入ると、四十代くらいのお姉さんがラーメンを運んでいた。運びながら俺に声をかけるとはなんて器用な人だ、と感心していた。


「大丈夫です」


 そうそう。これでいい。過剰な接客なんて要らないんだ。

 この店員さんみたいに、程よく適当なくらいがちょうどいい。


 そんなことを考えながら奥のほうへ進むと、どうやら先客がいたようで、荷物が無造作にばら撒かれていた。二卓あるうちの片方は、誰かが使っている様子だ。

 薄く汚れたメニュー表を見ると、ラーメンに始まり中華系ばかりが書かれていた。そして、裏にあるドリンクメニュー書かれていたのはアルコールがほとんどを占めていた。

 もしかして、ここは居酒屋なのだろうか。


「すみません、焼き鳥ください」


 誰もいないはずの後ろから、声が聞こえてきた。チラ見してみると、髪を適当に束ねている風の女の人がいた。かなり若めではないだろうか。ここに来るまでずっと一回り以上年上の人ばかり見てきたので、少し新鮮に感じる。


「はいよ。ほかはいいの?」

「そうですねぇ…。あったかいお茶とかありますか?」

「あるよ」


 あることに気づいた俺は、手元に持っていたメニュー表を改めて見直した。そして、隅から隅までじっくりと見た。しかし、ない。けれど、後ろのお姉さんは確かにそう言っていた。

 焼き鳥なんてどこに書いてあるんだ…?


「すみませーん」

「はーい。ちょっと待ってねー」


 遠くから聞こえる店員さんの声。どうやらタイミングが悪かったようだ。


「はいお待たせ。注文ですか?」

「そう……なんですけど」

「どうかしました?」

「いえ、その。焼き鳥って注文できるんですか」


 気になって仕方ない、焼き鳥。思い切って聞いてみることにしたのだ。しかし、聞いたあとの店員さんの表情は途端に曇ってしまった。聞いちゃまずいことだったか。


「そうね。あるんだけど……ちょっと待ってくださる?」

「あ、はい」


 すると、なにやら確認をしに行ったのか、消えてしまった。ゴソゴソと物音がしたが、すぐに戻ってきた。


「ごめんね。ついさっき最後の材料を使ったのよ。困ったわねえ」


 どうやら、後ろのお姉さんが注文したことにより、材料が切れてしまったようだ。メニューにも載っていないので、知る人ぞ知るものに違いない。余計に食べてみたくなってしまった。


「ふみちゃん、焼き鳥半分にしてもいい?」


 ふみちゃん…? 唐突に現れた名前に戸惑ってしまったが、それに反応したのは後ろのお姉さんだった。


「いいよ」

「お客さんもそれでいい?」

「はい。わざわざすみません。それと醤油ラーメンをください」


 店員さんから下の名前で呼ばれることなんてあるのか。それはつまり、今日が初めてではないのだろう。きっと以前から通っているのかもしれない。いや、ここが地元だったり…?

 さまざまな可能性を考えながらぼうっとしていると、お姉さんのところへ焼き鳥が運ばれてきた。


「お待たせ。焼き鳥だよ」

「ありがとうございます」

「皿が増えるのもなんだし、一緒の机で食べな」


 すごく適当だ。清々しいです。


「はい、醤油ラーメンね」


 どうやら拒否権を表明することも許されないようで、俺はお姉さんの使っている机に移動した。


「いただきます」

「い、いただきます」


 なんで焼き鳥を食べるのに緊張せねばならんのだ。どう考えてもおかしいだろう。そもそも、俺はなぜ見知らぬお姉さんと共に食事をとっているんだ。

 お姉さんに見られていると思うと、いつもよりすする音を小さくするように心掛けている俺がいた。なんて分かりやすい人間なんだ。


 一人で食べていれば気にしないが、形式上二人で食事をとっていたので、無言の時間が耐えられなくなっていた。普段から誰かと食べる機会なんてないので、どうすればいいのかが分からず狼狽えていると、お姉さんの無造作に置かれていた荷物の間に切符らしきものがあることに気づいた。

 どうやら、お姉さんも電車に乗るようだ。


「あ、あの」

「…わたしに話しかけてます?」

「そうです」


 動揺のあまり、不審者っぽくなってしまった。


「お姉さんはよくここへ来るんですか?」

「どうして、そう思ったんですか」

「さっき、店員さんから“ふみちゃん”って」

「ああ。そうね、三ヶ月に一度くらいは来ますよ」

「地元とかですか?」

「いいえ。旅行の途中に必ず寄ってるんです」


 俺の耳は、彼女の発した旅行という言葉を逃さなかった。ようやく二人の共通点を見つけた瞬間だ。


「そうなんですか! 実は、俺も旅行中でして」

「同じですね。どこまで行くんですか?」

「目的地はなしで、あてのない旅ってやつです」


 そう伝えると、彼女は目を見開いてこちらのほうへ顔を向けてきた。それまでは机にある焼き鳥のほうしか見ていなかったので、どんだけ俺のこと興味ないんだと考えていたが、そんなに見つめられると困ります。


「わたしとほんとにおんなじだわ…。このあとは市街地まで出るんですか?」

「はい。時間潰しのついでにここへ来たんです」

「そうでしたか」


 ラーメンを食べ終えた俺は、焼き鳥をどう食べるかについて考えていた。三本中一本は彼女がすでに食べ終えていた。残るは二本。


「食べないんですか?」

「え?」

「焼き鳥」

「いや、あの。どう食べようかと思いまして……。はは」


 口に出しながら、俺はなんてくだらないことで悩んでいるんだろうと思った。それを知ってか知らずか、お姉さんは硬い表情を崩して笑い始めた。


「おかしな人……」

「すみません」

「串から外しちゃってもいいかしら?」

「大丈夫です」


 そうすればよかったのか。串に口をつけるといけないなとか、そんな余計なことを考える必要はなかったのだ。単純なことを思いつけない自分が恥ずかしく、ものすごく耳が熱くなっている気がした。


「お兄さん、時間大丈夫?」


 お姉さんに言われて時計を見てみると、そろそろ出発したほうがいい頃合いだった。食事が終わったあともまったりしながら喋っていたが、あっという間だ。


「ありがとうございます。すみません、あんまりゆっくりできなかったですよね」

「いいんです。一人旅ですけど、ちょうどいい気分転換になりましたから」


 俺と同じく、お姉さんも18切符の旅をしている最中だった。そして、俺が行く方向とは反対の電車に乗るらしい。つまり、ここでお別れなのである。


「また、会えますかね」

「会えるんじゃないですか。ここは電車の本数が少ないですから」


 名残惜しかった。せっかく自分と同じ趣味をもつ人と巡り会えたのだ。どうにかできないだろうか。そう思い、俺はリュックサックの中からメモ用紙と鉛筆を取り出した。


「お姉さん。これ、俺が住んでるところです。気が向いたらでいいので、連絡ください」

「え、あの」

「じゃ、またどこかで」


 遠くにある踏切の音が鳴り始めたため、俺は急いで駅へと向かった。



 あれから何度、季節は回ったのだろう。結局、お姉さんから手紙が届いたのは、二回目に会ったあとからだった。そうしていつからか、日付と時間を決めて、この店に集まるのが恒例になっていた。


「桜、綺麗ね」


 湖畔に広がる桜。そして俺の隣で座っているのは、ふみさんだった。


「そうだね」


 例の焼き鳥を食べながら返事をすると、突然ふみさんが俺の串にかぶりついた。


「あ、ちょっと」

「こっち見ないのが悪いのよー」


 一人旅が二人旅に変わった。彼女と過ごす日々は、いつだって綺麗だ。

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焼き鳥は分けるのが難しい 六条菜々子 @minamocya

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