リスとゾンビとドングリと

もちもちおさる

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 このドングリの山には、死体が山ほど埋まっている。そんな噂があった。それは本当のようで、本当ではない。もし本当なら、この山は人間の死体でできていることになってしまうじゃないか。リスはそう思った。

 山なんて、死体でできているようなもんだ。死んだ葉が枯葉になって、それをミミズやダンゴムシが食べて、食べられて。死体は肥料になる。またそこから芽が出る。花が咲く。実がなる。そこに虫や鳥が集まる。獣が集まる。それが死んで、肥料になる。そうして、ドングリの山はドングリの山になった。死体だらけの山になった。

 ドングリの山は、ドングリの木が沢山あるから、リスたちが勝手にそう呼んでいるだけだ。麓に住む人間の私有地らしく、また別の名前があるらしい。山に無断で侵入してきた人間の会話から、リスはそれを知った。その人間たちは何かを運んでいた。リスはそれが何なのかは知らなかった。


 ドングリの山には秋が訪れていた。リスはまだ独り立ちしたばかりで、妻も子どももいなかった。だから一匹で春に備えねばならなかった。ドングリの山のドングリをかき集めて、埋めて蓄える。冬眠から覚めたとき、飢えないように。ただ、ドングリの山にはそれはそれは沢山のドングリがあったので、リスと同じようなリスが他にも沢山いた。のんびりしている暇は無い。噛まれて蹴られて奪われて、木から落とされてしまう。ふわふわの尻尾がパラシュートになり、そのお陰で骨を折ることはなかったが、リスはいつも傷だらけだった。夜はじくじくと痛む傷を舐め、木の幹にできた小さな洞に潜り込んで震える日々。運が悪いと、自分より強いリスに寝床をとられてしまう。暗闇の中、一匹で行動することは自殺行為だった。夜は恐ろしい。フクロウが目をぎょろぎょろと動かしているし、イタチやキツネがよだれを垂らして徘徊している。リスは死体になりたくはなかった。しかし、ここよりいい餌場は知らないし、秋は短い。リスはドングリの山でどうにか生きていくしかなかった。


 ある夜のことだった。リスが眠りにつこうとしていると、寝床がぐらんと揺れて、がちゃがちゃと騒がしい音がした。フクロウだ。フクロウが襲ってきたのだ。そう悟ったリスは穴の奥で縮こまり震えていた。しかし、その揺れと音はすぐに止んだ。不気味な羽音もしない。代わりに、がしゃがしゃという変な音がする。下の方からだ。フクロウでもイタチでもない。キツネでもクマでもない。タヌキでもヘビでもない。この音は何だろう。この音は両親に教わっていない。

 リスは好奇心の強い生き物だった。その好奇心のために死んだ兄弟たちを想い、ぼくもそれで死ねるならばとリスは寝床から顔を出した。好奇心のために冷たい死体の恐ろしさを忘れることができた。

「おい、木の根っこにぶつかったぞ」

 がつん、という乱暴な音と共に、人間の声が聞こえた。人間。人間だ。二匹いる。麓には民家が並んでいるから、よく見かける。よく見かけるが、夜には見かけない。暗闇の中、人間の持つぴかぴかの光が木の根元を照らしていた。そこには鉄の臭いのする先端の広がった大きな棒と、もっと大きな青色の包み。

「掘りづらいな。別の場所にした方がいいんじゃないか」

「いや、この木を目印にすると決めただろ」

 二匹は何か相談しているようだった。一匹が棒を持って穴を掘る。もう一匹がそこを照らす。

「確かにそうだな、わかった」

「いざとなったときに掘り出せるよう、埋めた場所は覚えておかないといけないからな」

 人間はドングリを埋めない。だけれど、何かを埋めて覚えておかないといけないらしい。掘り出せるように。変だな、とリスは思った。人間は冬眠をしない。では何を埋めているのだろう。穴を掘っていた一匹が手を止めた。

「……よし、こんなもんでいいだろ」

「じゃあ投げるぞ。そっち持って。……せーのっ」

 どす、と木がまた揺れた。何か重たいものが根元にぶつかったらしい。リスは大きな瞳をさらに大きくして、下の光景を見つめていた。

「あ、腕が出ちまった」

 そのとき、リスは初めて、その包みが何なのか知った。青色の隙間から飛び出た、生白い腕。人間の腕だ。彼らは人間を埋めているのだ。細長く青い手首の先に、薄紫色に染まった指。明らかに生気がなかった。死んだダンゴムシの白い殻を思い出した。死体だ。人間の死体だ。

「雑に詰めるからだろう。女だからって小さいサイズのシートにしやがって」

「経費削減ってやつ?」

 人間たちはけらけらと笑いながら隙間に腕を押し込む。一匹が、何かに気づき相方に声を掛けた。

「おいおい危ねーな。取り忘れてんじゃん」

 薄紫色の指先、その一つに、小さな石のはまった輪が通されていた。石は綺麗に磨かれており、ぴかぴかの光を反射しそれはリスの目にまで届いた。

「ほんとだ。悪い悪い、うっかりしてた」

 もう一匹がへらりと笑い、カチコチに固まった指から輪っかを抜き取る。そして今度こそ隙間に腕を押し込んで、生白い肌を包み隠した。

「急げ急げ。夜が明ける前に」

「急げ急げ。誰かに見られる前に」

 人間たちはそんなことを繰り返しながら、死体に土を被せていく。リスは噂が噂でないことを知った。この山は死体でできているのだ。ふかふかの土を踏み固めて元通りになった地面に、人間たちは安堵したように一息ついた。そして、ぴかぴかの光を振り回しながら山を下っていった。

 リスはしばらく、顔を出したままだった。心臓がどきどきとうるさくて、耳の先まで血が巡る感覚に目が回りそうだった。何にどきどきしているのかはわからなかったが、たぶんよくないことなんだろうな、と思った。自分の鼓動で身体が揺れる。揺れて、たぶんその動きで、獲物を見つける奴がいる。時が止まったかのような空気の中、離れた暗闇から一つ、重たい鳴き声が聞こえた。フクロウだ。今度こそフクロウだ。どきどきが一気に静まって、反射的に中へ転がり込んだ。息も震えも殺し、尻尾を抱いてぎゅっと目を瞑る。動揺も後悔もする暇など無く、ただ朝を待つことがリスの精一杯だった。


 ぼくらが何をしていようと、朝は変わらずに来るのだ。それは残酷でもあり、救いでもあった。リスは穴から顔を出し、朝日の眩しさに目を細めた。ドングリの山が死体の山だろうがそうでなかろうが、リスのやることは変わらなかった。戦いの秋だった。

 リスは戦い、争い、傷ついた。ドングリは毎日のように増え続けたが、リスの傷も増え続けた。疲れきったリスは、夕暮れどきに自分の巣穴へ戻ろうとした。しかし、途中で足をぴたりと止めてしまった。自分の巣穴に、一回りも大きいオスが入るのを見てしまったからだ。リスは賢いリスだった。負ける争いには挑まない。幸い、リスの住処は他にもあった。今夜はそこで眠ればいい。移動しようと持ち上げた足を、また止めた。いや、待てよ。ここは、確か。

 リスは賢いリスだった。昨夜の人間たちを思い出し、自分の下には死体が埋まっていることに気づいた。別に恐ろしいことでもなんでもなかった。それは自分ではないのだから。リスにはもう一つ、気づいたことがあった。なぜ自分は昨夜、フクロウに襲われなかったのだろう。無防備に頭を出して下を注視していたというのに。

 リスは賢いリスだった。人間のお陰で動物も鳥も警戒し離れていたのだと、つまり人間さえいれば、ぼくも夜に動くことができると、気づいてしまった。好奇心はネコをも殺すが、リスは生かしてくれるらしい。


 夜になった。リスは眠らなかった。寝床の中でじっと待っていた。優秀なボディーガードを。フクロウの鳴き声、キツネの落ち葉を踏む音、タヌキの鼻息。しばらくして、これらのいろいろが段々遠ざかるのを感じた。来た。来たのだ。代わりにもっとうるさい音がやって来る。がさがさ、がちがち、ずるずる。どしん。

 リスは思い切って顔を出した。暗闇は真の暗闇となった。異質な音に耳を向けながら、するすると木を下りた。子リスの頃にこんなことをしていたら、きっと母親にお尻を何遍も叩かれる。あの頃と同じ、まっさらな好奇心がリスの身体中に再び満ちていた。今なら死体になってもいいはずだ。

「はァ……はァ……ここらでいいか」

 暗闇に息の動く音と、誰かの声が聞こえた。人間だ。人間が喋ったのだ。虫でさえも遠ざかっていくような気配がした。

「あいつが……あいつが悪いんだ……裏切ったりなんかするから……」

 鉄の臭いがする。昨日の人間たちが持っていたものと同じ。いや、それより一層、濃い鉄の臭いがする。むんと臭って、鼻を突き刺すような。

「埋めなきゃ、見つからないように、はやく、はやく埋めなきゃ」

 どうやらこの人間は一匹らしい。しかも死体は死にたてだ。昨夜の人間たちのように、何かに包んでさえいない。リスはムッとして顔を背けた。背けた視線の先に、ドングリがあった。誰かが昼間に埋め残したものだろう。リスはやっと本来の目的を思い出した。そのドングリをくるくると回し、自分の匂いをつける。重さからして、中に虫はいないみたいだ。見事基準を合格したドングリは、丁寧に土の中で眠ることとなった。

 ここからはリスの独壇場だった。人間が死体を埋めている傍で、リスは回収されていないドングリを集めた。昼間は争いだらけなため、割と残されたままのものが多い。形が悪いもの、身が少ないものはエイと割って食べてしまい、虫がいればおやつにしてしまった。全てのドングリが埋めてもらえるわけではないのだ。空っぽになった殻は、その場で捨てられ死体となる。リスたちがずっと行ってきたことだ。この山がずっと行ってきたことだ。

 夜明けとともに、人間は山を下りた。はち切れんばかりのほくほく顔でリスは巣穴へと戻った。途中、一回りも大きいオスと鉢合わせしてしまったが、頬袋に貯まったドングリを一つプレゼントすることで、その場は収まった。リスは賢いリスだった。


 リスはそんな夜を何遍も繰り返した。ドングリの山には毎夜人間たちが訪れ、死体を埋めていった。一匹でゼェゼェ喘ぎながら埋める者もあれば、三匹、いやもっとそれ以上の数で、ずっとずっと深い穴を掘り、ずっとずっと大きい沢山の死体を埋める者もあった。リスはその近くでドングリを集めて埋めた。不思議なことに、人間たちが埋める場所は毎夜ばらばらだった。そのために別の死体が掘り起こされることは無かったし、リスは広い範囲でドングリを集めることができた。山がそうさせていたのかもしれないし、人間たちにもなんとなくわかっていたのかもしれない。先約のある場所が。リスが、埋めた場所を覚えているように。イヌだけがリスの心配事だったが、夜の人間たちは決まって静寂を好む。イヌは吠えるため、連れてくる者はいなかった。

 一度だけ、ぴかぴかの光に照らされ動けなくなってしまったことがある。そのときは流石に全身の毛が逆立ったが、夜の人間たちはリスに興味を示さなかった。なんだリスか、と呟いて、土をいじる作業にすぐ夢中になってしまった。リスよりもずっとずっと大切なことらしかった。リスもドングリを集めることこそが、ずっとずっと大切なことだった。


 秋は短い。日に日に風は冷たくなり、リスにも深く温かい眠りが近づいていた。また夜になり、リスは人間を待っていた。しかし、今夜は違っていた。いや、確かに人間は来た。来たのだが、今までリスが見てきたどの人間よりも小さく、死体を持っていなかったのだ。一匹のように見えた。かさかさかさという控えめな音がした。体重が軽い。もしかしたらイノシシより軽いかもしれない。リスは顔を出してその人間を見下ろした。人間に怯え、辺りに命の気配は無い。小さくても人間なのだ。人間なのだから、きっと死体を埋めに来たはずだ。リスはそう思った。

 小さな人間は、うろうろと歩き回り何かをためらっているらしかった。珍しいことだ。夜の人間には、ためらいが無い。なんてことない顔して落ち着いていたり、とうに諦めていたり、何かに追われるように切羽詰まっていたり、いろいろだけれど、決めなければいけないことを決めてから山に来ているようだった。だから迷いが無い。

 リスはそろりと木を下り、小さな人間の顔を覗き込んだ。黒々とした瞳が、好奇心に満ちて拡がった。小さな人間は手に何かを抱えていた。両手で包み込むように、掬うように抱えていた。リスは唐突な揺れを感じた。徐々に速く、大きくなっていく。それはまるで、イヌがよだれを垂らしてこちらへ向かってくるときのような。小さな人間の顔は暗闇だった。短く小さい息だけが、リスのそれと呼応した。

 小さな人間の身体が震え、抱えた何かが落ちた。それは重力のままに、等速で地面にぶつかり、ぼと、と静かに転がった。


 リスの死体。


 心臓が止まって、息が止まって。そんなことないはずで、どちらも乱れて激しいままで。耳の先まで熱が帯びるのを感じる。自分の鼓動で身体が揺れる。身体が、揺れる。

「……ごめんよ」

 一言。頭上から聞こえた。何が「ごめん」なんだろう。何でそれだけなんだろう。目の前の死体から目を離せない。小枝のような手足。きつく閉じられた目。だらりとしぼんだ尻尾。血の臭いは無く、あるのは無機質なものだけ。全てが固く、冷たい。動かない、動かない、動かない死体。ぼくの死体。

 ギ、と威嚇とも叫びともわからない、鋭い声が喉から漏れた。毛が針のように逆立って、歯が自然に前に出る。爪が土に食い込む。こんなにいきり立つのは久しぶりだった。とにかくこれを、埋めさせちゃあいけない。人間、これ以上はいけない。いけない。

 わざとじゃなかったんだ、とか、全部言い訳かもしれないけど、とか。小さな人間は何かを言っていた。まるで聴こえなかった。せめて、この山に帰してあげたくて。そんなことを言って、リスが飛びかかる瞬間に身体を翻した。リスは追いかけなかった。賢いリスだったからだ。というのは半分嘘で、がちがちに緊張した筋肉がそれを許してくれなかった。リスは興奮のあまり目を回し、地面にへたりこんだ。


 人間が去った後も、暗闇は暗闇のままだった。リスは冷えた夜空を見上げ、頭に上った血を身体へ戻す。星一つ無い空だった。空を眺めることに、何かの意味を見出した気がした。見上げた視界に映るものは、いつも木の幹ばかりだったから。目の焦点が定まってくると、リスは尻尾を持ち上げた。木くずや葉っぱの欠片をはらい落とし、丁寧に舐めてふわふわになるまで繰り返した。気が済むと、心は湖のように凪いでいて、リスはやっと目の前の死体を見ることができた。

 よく見てみると、それはリスの兄弟だった。両親の言いつけを守ったがために、リスとともに生き残った兄弟だった。まだ死んでからそんなに時間は経っていない。尻尾の先にまで人間の匂いをまとっていた。好奇心はリスを生かしてはくれるが、それ以外はそうでもない。興奮の後に襲ってくるものは、深い悲しみだった。

 リスは穴を掘った。そこに兄弟をいれてやった。辺りのドングリを集め、一緒に埋めてやった。埋めてやることしかできなかった。フクロウに攫われるのは嫌だった。ならばせめて、この山の一部になってほしかった。ぼくが見ていた人間たちも、こう思っていたのだろうか。よくわからなかったが、そのわからなさが胸を突き刺した。リスは暗闇の中、一匹だった。


 明け方の近づく頃、また身体が揺れた。今度は地面も揺れていた。リスは動く気がしなかった。兄弟の土の上で、ドングリだけを集めて何をするでもなく眺めていた。

 この揺れはどこからだろう。心臓は揺れているが、それはこの揺れに驚いているからだ。この揺れが来ているのは、もっと近くて遠い、深い、そう、下の方。揺れが一層激しく、近づいてくるのを感じる。下から、下の方から、こちらへ。下には何があったか。……ああ、そうだ。


 生白い腕。


 辺りの土が弾け飛んで、ぱらぱらとリスに降りかかる。固められた地面に、めりめりとヒビが入る。リスのすぐ隣に突き出た腕は、何かを探すようにのたうち回り、がりがりと地面を引っ掻いた。

 リスは賢いリスだった。しかしそれ以上に、好奇心に溢れたリスだった。すぐ近くに巣穴があったが、木に登ることさえしなかった。ドングリのように、埋めた後に顔を出す人間など、知らなかった。地面はぼこぼことめくれ上がり、そこから生白く、青く、赤い手足が飛び出した。それらの真ん中に大きな白と赤の塊が現れ、リスはそれが胴体だと気づいた。それには頭らしきものが繋がっていた。

「……あ、あ、あ、」

 掠れた、がさがさの音が聞こえる。中途半端な長さでちぎれた髪が、リスの尻尾のように広がっている。白さだけが目立つ歯と、目と。ちらほら。骨らしきものが覗いている。それは、死にながら動いている人間だった。リスはもう動けなかった。

「……ど、どこ、」

 紫色の唇から、たどたどしく声が漏れる。顎の肉が落ちかけていて、上手く喋れないようだった。だけれど、恐ろしい声ではなかった。どこか幼い、迷子のような声だった。変な方向に曲がった足でそれは立とうとし、リスの目の前に倒れ込む。長いまつ毛に縁取られた眼球が、震えながらリスを見つめた。

「ね、ねぇあなた、おしえてよ。こ、こ、ここはどこなの」

 ドングリの山、君が埋められたドングリの山だ、と返した。リスは自分の寝床の下に埋められた、最初の死体のことを思い出していた。

「い、いや、うちに、かえして」

 ぎゅっと瞳孔が縮んで、何かの液体に濡れた。ぐらりと上半身をもたげた死体は、一音一音を確かめるように話す。

「かれの実家に、いく予定だったの、けっこん、のやくそくを、で、でも、へんなところに車で、つれてかれて、おろされて、なぐられて」

 リスはその死体の腕を覚えていた。指の先まで紫色に染まってヒビ割れ、爪が崩れている。死体はリスを見ている。生温かい液体が、頬を伝って地面に落ちた。

「そしたらつめたい、土の中、あたしが腐っていくのよ! どうして、どうして!」

 埋められてしまったんだ。埋められてしまったのだから、山の一部になってしまうんだ。リスはそう返し、死体は続ける。

「ゆ、指輪だって、くれたのよ、なのに、なのに! だまされた、だまされた!」

 崩れていく指先を見て、死体はさらに声をあげた。

「あ、あたし、このままじゃ、死にきれないわ。だからこうして、こうして、ゾンビ、ってやつ、よ、これ」

 聞き慣れない言葉だった。リスはとりあえず哀れに思った。兄弟もそうだったかもしれないからだ。死にきれない。確かに好奇心以外で死んでしまっては、死にきれない。不思議な感覚だった。人間はやっぱりよくわからなかった。

「なんでリスが、しゃべってるのか、わかんないけど、さ。ね、ね、つれてって、ふもとまで、案内して」

 たどたどしく紡がれた頼みを、リスは断る気になれなかった。自分は埋めることしかできなかったからだ。何より、死体には悪意が無かった。リスを襲う獣も近寄ってこなかった。リスは、集めたドングリを頬袋に詰め込んだ。尻尾を立てて、山を下りる方角へと進み、大きく振った。

「あ、あ、ありがと」

 死体は腹ばいになって進んだ。君のことはよくわからないけど、そうやって足掻くのはカッコ悪いけど、よくないことではないと思う。そんなリスの言葉に、大きく裂けた口を開けて笑った。その調子のまま、しばらく進んだ。死体は息を切らしながら言った。

「山をおりれば、そうすれば、きっと、誰かが、あたしのことを、」

 瞬間、ジュッ、と音がして、死体の口から鈍いうめき声が零れた。リスが振り返ると、死体の腕が焼けたようにただれている。そこだけ、優しく照らされているようだった。

「あ、あ、うそ、太陽が、だめなんだわ、きっと」

 あつい、と繰り返して死体はもがいた。夜明けだ。ぼくらが何をしていようと、朝は変わらずに来るのだ。その残酷さに救われる朝もあった。今は、どうだろう。

「あ、あ、あたしは、誰かにみつけてもらって、ちゃ、ちゃんと、悲しんでもらわなくちゃ、ならないの」

 死体は進んだ。リスも歩みを止めなかった。ドングリには目もくれず、ただひたすらに山を下りた。やがて、切り揃えられた木と立ち並ぶ民家が見えた。人の営みが見えた。

「ついた、つ、いた、」

 死体の肉はもうほとんど落ちてしまって、声もか細くなっていた。ここならきっと見つけてもらえる、とリスが言うと、死体は全てを一息に込めて、安堵の息をついた。そこから全て、抜け落ちたようだった。死体はやっと、死にきったのだ。

 太陽は昇りきり、リスと死体を温かく照らしていた。獣のざわめき、鳥のさえずり。虫と木々の目覚め。命の音が聞こえる。リスは尻尾を抱えて、念入りに手入れを始めた。母親が教えてくれた約束を、思い出しながら。

 リスはドングリを100個埋めたなら、99個は埋めた場所を覚えている。春になったら掘り出して、食べてしまう。残りの忘れられた1個が、芽を出し、やがてドングリの木になる。そうしてまたドングリの実をつける。リスとドングリは、昔からそういう契約を交わしているのだ。99個は差し上げますから、1個だけ残しておいてください。それが私たちの子孫になるのです。ドングリの木は、先祖にそう言ったらしい。

 リスはふわふわの尻尾に満足すると、膨らんだままの頬袋に気がついた。そこからドングリを一つ取り出して、彼女のぼろぼろになった指の傍に埋めてやった。これだけは、忘れてあげてもいいかな、と思った。

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リスとゾンビとドングリと もちもちおさる @Nukosan_nerune

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