第144話 メイドと主人

 ミュエル視点



 荒れ果てた大地がある。


 空から星が落ちてきて表層を豪快に抉ったなんて噂が立っているけど、別にそこまで神秘的な場所ではない。


 少し早めの雪が降っている。


 白く冷たい粒子は薄茶色の地面を染め始めていた。


 そして、目の前には最愛の人がいる。


 黒色のドレスを纏い体を震わせる少女は、しっかりと私を見据えていた。


 小さなその体を今すぐにでも抱きしめたい。

 それで、その両手を二度と離したくない。


 視界に入れただけなのに感情が込み上げてくる。

 再会の嬉しさで目頭が潤う。


 けど、思い上がっているのは私だけだ。

 向き合うご主人様の顔色は酷く白い。


 御伽大剣を手にしたことで呪いに苛まれている彼女は、その身を絶望に堕としている。


 仕える主人が苦しみ抱えているにも関わらず、一週間という長い時間の先に再会したことで、朽ち果て死んだはずの魂が高らかに叫んでいた。

 迷いのない声で、病的な愛を宿した声で私は言葉を発する。



「ご主人様、迎えに来た」


「……」



 彼女は何も語らない。

 ただ、驚きと憂鬱を表情に宿して俯いている。


 ……想いを伝える為に走って来たけど、その前に精算すべきことがあるな。


 何もかも綺麗に終わらして次へ進もう。

 手を繋いで笑い合える日を掴む為に、一度だけぶつかろう。



「けど、その前に思う存分暴れておこうか。

 やってみたかったんだ、本気の喧嘩ってやつ」



 これは、最初で最後の大喧嘩。


 互いに非があって、互いに非がない矛盾不合理な仲違い。


 責任の所在は未だ不明。

 そんなつまらないものは拳で潰す。


 幸い、私もあなたも暴力を愛していた愚か者同士。

 だったら、仲直りも殴り合いで済ませよう。


 思えば、ご主人様は私の強さと勇敢さに憧れを抱いていた。

 強さを追求して隣に並ぼうとしてくれていた。


 なら、私はそれに応えなければいけない。


 随分遅くなったけど、ご主人様の力を私に見せて欲しい。



「……でも」



 絶望に染まった顔の少女は震えながら否定を呟く。



「でも?」


「わたし……これ以上大切な人に剣を向けたくないよ……」


「あの二人とは剣を交えたのに、私だけ避けるなんてずるい。

 私ならご主人様の全力を受け止められる。

 だから、来てよ」


「……無理だよ……ミュエルさんだけはもう、傷付けたくないから」


「私を見縊みくびりすぎだぞ、ご主人様。

 あなたのメイドはそんな柔じゃない」


「……それは強がりだよ……ミュエルさんはもう、剣すら持てないでしょ」


「その通りだな。私は模造の剣すら持てなかった」


「ね……だから、駄目だよ……駄目なんだよ……」


「でも、それはさっきまでの話だ。

 ご主人様、私を見て。私を信じて」



 世界で一番愛する女に向かって心を叫ぶ。


 私を見ろ、私だけを見ろ。

 今目の前にいるミュエル・ドットハグラの全てを見ろ。


 もう、あなたの知っている私はいない。


 勇敢な聖騎士はいない。

 主人を護れないメイドもいない。


 ここにいるのは、あなたを愛している私だ。



「私は眠らない戯れの雨」



 楽団を支配する指揮者のように手を掲げる。


 不規則な風が舞い上がると、大気中の魔力は光の粒子へと姿を変えた。


 青空にはヒビが入り、太陽の光は収束する。



「結んだ舌を撫でるよう星の海を濡らす……ミルキーブラッド」



 光煌めいて幾重の星々を束ねた聖なる剣が現界する。


 一振りするだけで世界の均衡を崩してしまう剣。

 天を断ち切る星の河を写した刀身には天体の力が宿る。


 『ミルキーブラッド』自体に銀河の魔力が宿っていて、その力が召喚と同時に結界を顕現させた。



 『幻想結界ステラファンタジア』



 照り尽くした青い空は太陽と月だけを許していた。

 それでも、その向こう側には幾千幾万それ以上の星々が輝いていることを人々は知っている。


 結界は脈々と展開され、曇天と蒼穹が鍔迫り合っていた空から全てが消失した。


 残るは暗黒の極限。

 その黒に無限の星が点灯していく。


 空だった場所に現れたのは、惑星の外側に存在する混沌の光達。

 それらは秩序を乱して自由気ままに狂い咲く。


 星々の距離感が狂ったこの結界の空は、普段より何倍も大きな月が広々と顔を出し、カラフルな星間ガスがオーロラのように闇を彩っている。


 天に浮かぶ星の川を泳いでいるような錯覚に陥りそう。


 二人を覆うその結界に大した意味はない。

 美しい狂気が世界を塗りつぶすだけの結界。


 幻想的な景色の下で、私は銀天の剣を構える。



「ご主人様、殺す気で来て。私はもう死なないから」



 あなたの全力を受け止められるのは私しかいない。


 満足させてあげられるのは私だけ。

 そう思うと体が強く脈動する。



「ほんとに……いいの……?」


「うん、全力でぶつかりに来て」



 一握りの静寂が訪れる。


 音の無い世界で私達は見つめ合っていた。


 夢を無理やり再現したような空間の中。

 ご主人様は僅かに白い息を吐いた。


 瞬間、私は熱を奪いさる極点の氷に包まれていた。


 無色透明の檻に閉じ込められて、体温は一寸の隙も無く下限に到達していた。


 初手から必死の氷漬けなんて……堪らない。


 手加減の余地を作るなんて甘い考えは微塵も感じられなかった。

 持てる全てを使って私に挑んできている。


 そうでもしないと、この体には手が届かないことを知っているから。


 私を信じてくれているんだ。


 私を知ってくれているんだ。


 だから、ご主人様は本気をぶつけてくれている。


 『想玉の氷』による凍結で熱を奪われた体は、全ての機能が停止して絶命に至るだろう。


 原子供の振動は完全に停止している。


 だからって、私の炎は消えてやらない。

 絶対零度ごときじゃ私は止められない。


 凍りついた体は恋心という名の狂気を燃料にして動き出す。


 あなたに近づけば近づくほどに熱くなるそれを伝える為に、氷の檻を内側から砕いて脱出する。


 氷塊を抜けた先には、幾つもの槍が私を囲むように浮遊していた。


 十三本のそれらは逃げ道を与えることなく突き進んでくる。


 私の体へ到達する直前。

 凍つくこの体は、突き穿とうとする蒼銀の槍を三本ほど強引に掴み取り、そのまま周囲を薙ぎ払っていた。

 利用できるものは利用させてもらう。


 それでも打ち損じた数本が体へ直撃するが、特別に仕立て上げられた給仕服を貫くことなかった。


 あの店員から譲り受けたこの給仕服。

 それを身に纏ってから体の調子は過去一番に良好だった。


 魔力は洗練され、体は想像以上に動いてくれる。

 その上、ご主人様を想えば想うほど力が増している気がする。


 コンディションが無限に上がり続ける私に対して、ご主人様は大剣と杖による乱打を休むことなく続ける。


 『シュガーテール』による斬撃は『ミルキーブラッド』で退ける。

 だが、『パルフェランデヴー』の打撃だけはこの身で受け続けた。


 攻撃とはいえ、ご主人様からの贈り物を無下に扱いたくはないから。


 そうやって次から次へと行動を繰り出すことで、私に攻撃をさせないつもりらしい。


 聖騎士ミュエルの封じ方を熟知している者にしかできない最良の判断だった。


 ご主人様は頬を紅潮させ荒い呼吸で全てを出し続ける。

 感情を攻撃に昇華させて絶望を発散している。


 私は今、どんな顔をしているんだろう。

 真剣な表情を崩せずに耐えられているだろうか。


 思考があらぬ方向へ傾いたところで、ご主人様は地面に積もっていた雪の層を機械的な杖で捲り上げた。


 顔の前を舞い上がる粒子は視界を遮る。


 純白の目眩しを超えた先で、大剣を構える右手が見えた。


 ……分かってしまう。

 初めてご主人様と打ち合っているはずなのに、その太刀筋が手に取るように理解できる。


 私と同じ剣の振り方をしているから。

 私と同じ力任せの格闘をしているから。


 それがただただ嬉しかった。

 かつての私はご主人様に影響を与えていたんだと、それを確認できたことが心を火照らせる。


 こんな幸福なことがあっていいんだろうか。

 大好きなあなたの一部になれたという事実が脳を幸せで満たす。


 いつからか、私は運命なんてものは信じなくなった。


 なら、この出会いは何と呼べばいい。

 私とご主人様の関係はどう呼べばいい。


 明確な答えがある。


 私とご主人様は、メイドと主人。

 この出会いは運命ではなく、二人の必然なんだ。


 ご主人様は次に脚を放つ。

 大剣を振りかぶる様に見せかけて、私の顎を目掛けて蹴り上げを入れてくるはずだ。


 私と同じで勝つことだけを目指した戦い方をするなら、そういう柔軟な手を差し込んでくるに違いない。


 予想通りにご主人様は動いてくれた。

 大剣を振り上げながらも、右足を動作させていた。


 だから私はそれに応える。

 ご主人様の中に存在する私を上書きさせる為に、私は全力で応える。


 綺麗な円を描きながら空を斬り裂いてくる右足の爪先に向けて、私は全霊を宿したひたいを衝突させた。



 轟音。



 鼻先へ雷が落ちたかのような音が鳴り響く。


 威力と威力のぶつかり合いは空間に衝撃波を走らせた。


 私のひたいからは血が流れ、ご主人様の脚は根元まで砕け散る。


 感じる、ご主人様を感じる。


 痛みが脳味噌をこれでもかと興奮させる。

 眼球がこぼれ落ちてしまいそうな程に痺れる。


 怯んだ体を二人同時に持ち直したところで、ご主人様は咄嗟に大剣を振り下ろしていた。


 御伽大剣による重い斬撃を右手で構える剣『ミルキーブラッド』で受け止め、空いている左手でカウンターをキメに行く。


 狙うはその愛らしくて堪らない顔面。


 神速で放つ拳はもう誰にも邪魔されない。

 ご主人様はコップ一杯の抵抗として、速攻の頭突きで私の拳に対抗する。


 ぐしゃ……という不快な音が鳴り渡った。


 私の拳にはヒビが入り、ご主人様の顔は割れ後方へ弾け飛んだ。



「があっ!? あ、あああああ、い、いだあああいっっ!!」


 

 雪の積もった大地を転がりながら、ご主人様は悲鳴を上げている。

 それでも、瞬きをする間に私達の体は完璧に治癒されていた。


 膨大な魔力を消費して傷を癒す。


 大好きなあなたを傷付けることで心は痛む。

 でも、これは喧嘩だから。


 私が力を出さないと、きっとご主人様は悲しむと思う。

 ご主人様が全力を出すなら、私も全力で応えないといけない。



「ふふっ、あはは!」



 思わず笑ってしまうぐらいには、この殴り合いが純粋に楽しかった。

 形はどうあれ、ご主人様と触れ合うことに幸せを感じている。


 多幸感とも呼べる強い快楽が体を支配する。


 ずっと触れていたい。

 これからも一生側に居たい。


 愛が溢れてくる。


 既に理性は蒸発し、私は本能のままに動いていた。


 無秩序な星が透き通る空に手をかざして、多大なる魔力を上空に溜め込む。


 そして、野原を焼き尽くす天体魔術の名を謳う。



「駆け落ち流星群まばら心中」



 そっと、頭上に掲げた手を振り下ろした。


 狂った銀河を映す空に魔力の塊が無数に現れる。


 もし、星空が落ちてきたら……。

 そんな好奇心だけで作られた術式がこの星々。


 全てを巻き添えにして悉くを破壊する流れ星。


 数秒の時間差を経て、幾千の聖なる光が降り注ぎ始めた。


 大気圏を突き抜けるそれらは隕石と何ら変わらない物理の圧倒。

 灼熱の炎を纏って大地を目指し落下する。



 そして、流星群は地上を葬った。



 至る所で爆炎と揺めきが巻き起こる。


 隕石跡地と呼ばれるこの地をその名に相応しい場所へと上書きしていく。


 焔の海が支配する中で、虚な声が聞こえた。



「マジカルタキオン」



 それは、物理の範疇を超越した魔力の弾丸を放つ天体魔術。

 光の速度を超越した不可避の魔弾。


 因果を捻じ曲げた術式は、発動した時点で私の体へ被弾していた。

 靴底を滑らせながら若干の後退を許してしまうが、ダメージは軽い。


 弾丸の軌道上に風が吹き込み、燃え盛る炎は綺麗に断たれる。


 その先に、『因果調律パルフェランデヴー』を構えているご主人様が立っていた。



「駄目だよ、ご主人様。

 そんな大きな隙を作られたら、抱きしめたくなってしまう」



 杖の祝福で必中の魔術を射てたとしても、付随する意識の消失は私相手には重すぎる。


 『ミルキーブラッド』の矛先をご主人様に向けて簡単な詠唱を行う。

 これは、私からのお返しだ。



「マジカルタキオン」



 喰らった魔術をそのまま返してあげる。

 光を凌駕する必中の魔術を。


 星を宿す『ミルキーブラッド』の魔力を込められた魔弾が、ご主人様の体へと着弾する。


 遺跡で自立人形ゴーレムと視線を繰り広げた際に、唯一彼女に残っていた左腕を消しとばした。


 聖女セレナが治癒する必要のなかったその左腕。

 その内側には、かつてアヤイロ・エレジーショートが薬を打ち込んだ注射痕が残っていた。



「ごめんなさい、ご主人様」



 でも、もう私はあなたの悲しむ姿を見たくないんだ。


 夜な夜なその傷を見つめて、涙を流すあなたを見たくないんだ。


 勝手だと分かりながらも、私はその腕を消しとばした。


 嫌われてもいい。

 辛い過去を思い出さなくなるのなら。



「あ……あれ、袖が……」



 杖から解放されたご主人様はドレスの一部が消えてしまったことに気付く。


 そして、意識の復活が起きる寸前に消えたはずの左腕は元に戻っていた。

 その左腕にかつての傷は残っていない。



「ご主人様、もう杖も槍も必要無いだろ」


「そう、だね……」



 私もご主人様も剣と体を使って雑に戦う女。

 慣れない異能を使うよりも、親しんだ暴力を振るう方がより誠実だろう。


 ご主人様は杖や槍の召喚を取り消し、『御伽大剣シュガーテール』を両手で構える。


 禍々しくも美しい刃を煌めかせ、大地を蹴り飛ばした。


 再度私達は剣を交わらせる。

 弾いては弾かれ、斬っては斬られる。


 大剣を避けても回し蹴りや裏拳が飛んできた。


 ご主人様も同じことを思っているだろう。

 私は剣撃の合間に膝蹴りや掴みを混ぜ込み、複雑な対処を要する破壊を尽くしていたから。


 この殴り合いで初めて気付いた、私の戦い方が持つ鬱陶しさに。


 鏡の中の自分を相手取っているようで、どこまでもやり辛さが残る。

 それが新鮮で私は心を躍らせていた。


 音よりも速い速度で撃ち合う。


 斬撃が迸る。

 打撃が舞い踊る。


 だだっ広い世界を縦横無尽に疾っては、互いの武装と肉体を重ね合わせていた。


 骨を砕く、肉を削ぐ。

 臓物を潰して血液は流れ出る。


 骨を砕かれ、肉を削がれる。

 臓物を潰されては血液を流していた。


 いくら傷を負っても次の瞬間には治っている。

 私もご主人様も責任や罪悪感を気にせず、存分に力を奮っていた。


 叶わないと思っていた本気の喧嘩を実現させてしまった。

 体に宿っている埒外の力をぶち撒けられる日が来るなんて思ってもいなかった。


 この時間がずっと続けば良いと願いそうになるのを抑える。


 きっと、明日にはもっと大きな幸せが訪れるはずだから。


 私達は誰にも邪魔されず思うままに動き続けてた。


 人から理性を奪い獣に堕ちた二人はただ貪る。

 時間を、魔力を、感情を。


 その最中、ご主人様は大剣を振り上げて紡ぐ。



「心閉ざして目を瞑る。私の世界に風は吹かない。

 あやめて。さだめて。からめて。なだめて。

 時間を折り曲げて、またこの思い出を食べてみたい」



 初めて耳にする詠唱だった。


 術式名の存在しないその魔術。

 だけど、意味は理解できる。


 世界に数ある魔術は大抵不可解な詠唱文だけど、この術式は違う。


 だって、ご主人様の想いが込められているから。

 悲しみと絶望が綴られている。


 散々言いたいことはあるけど、今はこれだけ。



「照らす光は遥か昔の星。その瞳に写るのは私だけでいい」



 詠ったのは、ご主人様の言葉に対する即席の魔術。

 咄嗟に思いついた詠唱文は下手くそで見栄えのない文字列だけど、想いが伝われればそれでいい。


 あなたが過去に縛られているのなら、私が連れ出してやる。

 強い意志と誓いを込めた相殺の魔術は『ミルキーブラッド』の刃に乗り斬撃として打ち出される。


 同時にご主人様の斬撃が降ってきた。


 空間や次元を刈り取る斬撃に、恋心とワガママで構成される斬撃を合わせる。


 互いに互いを殺した結果、それぞれは普遍の刃へと戻っていた。


 上へ被さるようにして斬撃を放ったご主人様は、そのままひたいを押し付けて私のひたいに突き当てた。


 視界が揺れ動き、平衡感覚が乱れる。


 それはご主人様も同じだったらしく、私の目の前に顔から落下していった。



 ……。




 何分、何時間経過したのだろうか。


 時間の感覚が消失するまで夢中になっていた私達は、距離を取って視線を交差させていた。


 極限まで集中していた意識が俯瞰を取り戻したところで、大気中に溢れかえっていた魔力が底を尽きかけていることに気付く。



「はぁ……はぁ……」


「すうぅ……ふぅ……」



 互いに息を乱していた。


 こんなの初めてだ。


 無尽蔵に有り余っていた体力が見当たらない。

 だというのに、私の体はまだご主人様を求め続けている。


 いつかの日に殺してしまった童心が蘇ってきている気がする。


 ひた隠しにしていた幼さが扉をこじ開けて表面へ出てきている。


 こんな姿、誰にも見せたくなかったのにな。

 でも、ご主人様にだけなら見られてもいいか。

 

 声が聞きたい。


 あなたの声を聞かせて。


 私だけに聞かせて欲しい。





 ☆





 エリゼ視点



 わたしは、何かを期待してこの地を訪れたのかもしれない。


 その何かっていうのは、やっぱりこの人のことで。

 もしかしたら、今度こそわたしを救ってくれるんじゃないかって淡い想いを抱いていた。


 皆の英雄なのに、わたしはまだ一度も救われたことがない。

 勝手に救われたことはあるけど、彼女から手を差し伸べられたことはなかった。


 わたしの為に剣を取って欲しかったんだ。


 絶望の最中で、そんな身勝手な妄想に縋っていた。


 そして今、ミュエルさんはわたしの為に『ミルキーブラッド』を召喚してくれた。

 憧れていたその剣を。


 わたしのメイドは、もう二度と目にすることができないと思っていた聖騎士の面影を宿してわたしの前に立っている。


 再び剣を手にしてくれたのは、わたしを想ってのことなのかな。


 精神に負荷が掛かっているはずなのに、全力でわたしに応じてくれている。


 わたしもあなたも、他の人には絶対に向けられない力を存分にぶつけ合った。


 それでもミュエルさんは倒れない。


 わたしがその強靭な体に傷をつけることは叶わない。


 でも、あと少しで並べそうなところまでは来ているんだ。

 隣に並べるんじゃないかって思い上がっている。


 もし、あなたに傷を与えられれば……あなたは孤高じゃなくなるのかな。

 それで、わたしと二人並べたら……なんて。


 途方もない過去に置いてきた嬉しさが今になって込み上げてきていた。



「あれ……? なんでわたし……」



 どうして幸せを感じているんだろう。


 久しぶりに感じた嬉々は、黒いモヤが掛かっているはずの世界に一筋の光が差し込ませていた。


 

 わたしはもう一度あなたの手を握ってみてもいいのかな。


 だけど、こんな醜いわたしをわたしは許せない。



 揺れ動く心はいつまでも星を探し続けていた。


 そして、顔を見合わせているあなたは言葉を並べる。



「ご主人様、私に声を聞かせて。

 あなたの扉を開けて欲しい。

 私のために、私だけのために。


「い、嫌だよ……嫌われたくないもん……」


「例えご主人様が私に幾千の誹謗を口にしたとしても、私はメイドを辞めてあげない。

 それに……頼らせてる癖に頼ろうとしないの、不公平だと思う」


「だって……そんなの無理だよ……」


「私はいつだって側にいる。あなたの側であなたに仕え続ける。

 だから、頼って欲しい。

 今の私なら……きっとご主人様の力になれるはずだから」



 唇が震えている。


 胸が熱い。

 その熱が顔まで上ってくる。


 わたしは、これを言葉にしていいのかな……。


 ……。


 ミュエルさんはまた、わたしから遠ざかってしまった。

 出会った頃のいたいけな彼女はそこにいない。


 立っているのは凛々しく勇ましい綺麗な人。


 いつまで経っても追いつくことができない。

 それがずっともどかしくて仕方がなかった。


 それなのに、あなたは手を伸ばしてくれる。

 わたしはその手を払おうとしているのに、頑なに諦めてくれない。


 リューカちゃんや店員さんも、どうしてわたしをほっといてくれないの。


 わたしは……みんなの隣で歩く資格なんてないのに……。


 見つめることしかできなかったその綺麗で丈夫な手を、わたしは掴めるのかな。


 ……。



「なんで……なんで今なの……?」



 憧れの人に暴力を振るい振われたからなのか、ドロリと言葉が出てきた。


 漏れ出てしまった感情は止めることができずに、次々と連鎖していく。



「ずっと、助けて欲しかったのに……あの時、アヤイロちゃんから助けてくれれば良かったのに!!」



 最悪。


 ほんとに醜い。

 悪いのはミュエルさんじゃなくて、わたしとアヤイロちゃんなのに。


 こんなこと言いたくなかった。


 ずるいよ。


 何されても拒絶しようと思ってたのに、こんなに優しくされたらそれも叶わない。


 今まで溜め続けていた想いが全部全部喉を通して現実に吐き出されていく。


 これ以上口にしたら、嫌われてしまうかもしれないのに……。


 だけど、今のあなたなら全て受け入れてくれる気がした。


 二人の間にこれ以上の嘘は必要無いのかな。

 もう、何も取り繕わなくていいのかな。


 幻想に溺れる満天の星空を仰いで、涙目のわたしはメイドを見つめていた。


 恥ずかしいな。

 これじゃあまるで駄々をこねる子供だ。


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