第120話 片割れを愛する健気な隣人

 占い師シトラス視点



 テーブルの上に突っ伏している少女がいる。


 ぐったりと眠っている彼女はエリゼ・グランデ。


 店のお得意様でもなければ、占いもおまけ程度に一回だけしか受けてくれなかった少女。


 そんな彼女が今日、私を頼りにしてくれた。


 そうなるよう会う度にアプローチをかけていたから、当然と言えば当然なんだけど。


 それにしても。



「……思いの外上手くいったな」



 想像の二億倍は早く術に掛かってくれた。


 それだけエリゼさんの心が擦り減っているということなんだろう。


 ……ちょっとぐらい触ってもバレないよね。


 テーブルへ擦り付けるようにしている頬に触れかけた時、後方から視線を感じた。


 恐る恐る第六感で察知した方角へ顔を向ける。


 すると、居住スペースである奥の部屋に続く扉から、ひょっこりと顔を出している竜人の少女がいた。


 魔族と人間のハーフであるデュースちゃんは、私のことをこれでもかと睨みつけている。



「まだ触れてないからセーフだと思うんだけど。

 そこんところ考慮して、判定してほしいな」


「浮気者」



 判定は満点アウト。

 親愛なる隣人は私に毒を吐いた。



「えー! 浮気じゃないって!

 ほら、あれだよ!

 催眠術に必要な台本だから仕方なく口説いただけで!

 それにこれもデュースの呪い解く為だからさー、怒んないでよー」


「そっちじゃない。揉もうとしてたでしょ。くたばれ」



 バタンと大きな音を立てて扉を閉めると、デュースは部屋へと帰っていった。



「揉むって言ってもほっぺたじゃーん、多めに見てよぉ」



 怒らせちゃったかな。


 きっと怒ってる。


 触れようとしたことじゃない。


 これからエリゼさんを利用して起こすこと。


 見ず知らずの少女に呪いを肩代わりしてもらうこと。


 ……。



「嫉妬されるの気持ち良いかも」



 胸を撫で下ろしながらエリゼさんの方へと振り返る。


 すると、突っ伏していたはずの少女が起き上がっていた。



「うぉああ!?」



 驚いて体が跳ねたのは内緒だ。


 椅子の背もたれにだらしなく体重を預けた彼女は、鋭く冷たい眼差しを私に向けてくる。



「やってくれましたね、占い師。

 弱ってるエリゼの隙に付け込むとは。

 不埒の極みの破廉恥女め」



 エリゼさんであって、そうでない君は口を開けて言葉を使う。


 もう一つ心があるのは分かっていたけど、まさかこうも簡単に顔を出すとは思っていなかったな。


 私が見た水晶の影が機能しているのなら、ここで君が出てくるのは想定外。


 だって、君はエリゼさんが死に直面した瞬間にしか現れないはずだから。



「初めましてでいいかな……えっと、誰?」


いて言うなら、エリゼの恋人です」


いて過ぎでしょ」


「エリゼハート、私は私をそう名付けた」



 彼女はおすまし顔でそう呟いた。


 想定外ではあったけど、どうやら厄介ではないらしい。


 なぜならば、エリゼハートはこの状況下において逃げの選択肢を取らないから。

 それだけで安堵するには十分だ。


 私が実用半分ボケ半分で持ってきたジョッキを見つめながら、彼女は苦笑を浮かべた。



「でもまさか、エリゼがこんな普遍極まってる冷水で暗示に掛かってしまうとは。

 哀れというか、愛らしいというか。

 それに、あなたの技術も最早神の領域に指を掛けている。

 頑張っているのはどうやらあなたも同じみたいですね」


「私もただの水で成功するとは思ってなかったよ」


「今のエリゼは特に思い込みが激しいですからね。

 少しの間、体を譲ってもらいましょう」



 ジョッキに残っていた水を飲みながらゆったりしている君へ、私は切り込むように話を進めた。



「……こうなること、君も望んでいたみたいだね」


「否めません。私は何よりもエリゼが大切ですから。

 この子を幸福に導いてくれるのなら、この屑鉄で出来た方舟に乗ってやっても良いと思っている」



 エリゼハートは一息。

 想いを馳せた重いため息を吐いた。


 諦めと後悔、それと恋心。

 それらが混じった感情の吐息。


 俯き気味だった視線を私に向けると、悲しげに笑う。



「それにしても、もう少し待ってくれても良かったんじゃないですか。

 まだ私、エリゼと話せていないし、遊んだこともない。

 ……どうやら、私の願いだけは叶わないみたいですね」



 今にも泣きそうな顔で胸の内を露わにした。


 これは、想像以上にキツイな。



「ちょっとやめてくれるかな、そういう哀愁悲恋な雰囲気醸し出すの。

 空気わっるぅ、君の代わりに私がギャン泣きしてやりたい気分だわ!

 ……ごめんね。でも、もう時間がないんだ」


「でしょうね。本当に最悪だ」



 エリゼハートはその詳細を知らずとも、私がこれから何をしでかすのかを察している様子。


 その結末を何となく理解しているみたいだ。



「君には一応説明しておこうか。私がエリゼさんに術を掛けた理由を」


「エリゼにも説明してくれればよかったのに」



 耳が痛くなるほどの正論だった。


 でも、それができるのなら私もその手段を選んでいるよ。



「先の事件で、エリゼさんが持つ願望器の力を無理に引き出す方法がバレてしまった。

 薬物を用いて洗脳をするっていう最低な手段がね」


「この状況とほぼ一致しているのは気のせいですか?」


「うっ、私のはほら、薬物じゃなくて魔術と心理学だから……後遺症とかも無いし……多分……」


「だと良いんですけど」


「で、それに加えて『奇跡』と呼ばれる魔道具がエリゼさんの体を蝕んでいる。

 尋常じゃない速度で魔力がその体へ収束されているんだけど、感じてない?」


「残念ながら、私もエリゼもそういうのは一切感じてませんね。

 でも……心当たりはあります」



 何も感じていないと言うことは、『奇跡』側が意図的に感覚を遮断しているのか。


 その名の通り人の不幸が大好きな魔道具だな。



「その二つの力を利用しようとしている連中がいてさ、そいつらに利用される前にケリをつけておきたいんだ。

 そのために、エリゼさんの持つ大剣の力を借りたい」


「大剣の力ですか?」


「そう、御伽大剣が持つ呪いを解消させる力を」



 そこで会話は途切れてしまった。


 何かを考え込んで、打ちひしがれるように彼女の表情は変わっていく。



「シュガーテールに呪いを解く力がある……?

 何だそれ……何なんですかそれ。

 ははっ……あの子らを治す術はずっと手中に転がっていたんですか……」


「解くんじゃなくて、呪いを背負わせる力だよ。

 御伽大剣に呪いを背負ってもらうんだ」


「……つまり、あなたはこれからエリゼに呪いを背負わせるんですね」



 ご名答。

 大剣に呪いを肩代わりしてもらうということは、契約者であるエリゼさんの呪いに直結する。


 エリゼさんはより多くの憎悪を背負ってしまうということ。



「うん、そうなるね。

 背負ってもらう呪いは『竜殺し』の呪い。

 とっても強い呪いだよ。

 ごめんね、私にも救いたい女の子がいるんだ」


「はぁ……エリゼの為になるんでしたら、私は其れを受け入れます」


「全部察してくれてるんだね。呪いを背負わせた後に起こることまで」


「はい。そのために、私の『刀』が必要なことも」



 これ以上の説明は不要かな。

 もう十分伝わっている。


 エリゼハートは再びジョッキに手を掛け水を口に含む。


 喉をならしながらゴクゴクと残量を減らしていく。



「あの、少しばかり強引過ぎませんか?

 対話を交えればきっとエリゼも理解してくれたと思いますよ」



 理解はしてくれるでしょうね。

 きっとデュースの呪いも引き受けてくれる。


 彼女はそうやって生きてきたらしいから。


 でも、これ以上その茨の道を進んでいけば必ず崩れてしまう。



「今のエリゼさんに『犠牲になってくれ』、なんて言える訳ないでしょ。

 非道非情の私だけど、これ以上エリゼさんに傷ついて欲しくはないんだ」


「私の面と向かって言ってもらえますか、卑怯者」


「一々罵倒が正論でトラウマレベルなんだけど」


「だけど、感謝もしています。

 こうでもしないと、エリゼはこれからも己を呪い続けたでしょうから」



 エリゼハートはどこまでも健気で、エリゼさんの未来と真剣に向き合っていた。

 そして、自分自身の未来にも。



「そうだ、さっき口にしていた『あの子ら』の呪いを解いてあげる時間は用意できるけど、どうする?」


「結構です。それではエリゼの為になりませんから。

 エリゼには自分の意思であのお二人と向き合ってもらいたい」



 エリゼ・グランデの片割れはそう言うと、どこか遠くを見つめ始めた。


 彼女が何を想い、何を考えているのかは分からない。


 思い出を懐かしんでいるのか、夢を見ているのか、恋をしているのか。


 ひとしきり瞑想じみた静止時間を過ごすと、エリゼハートはもう一度私と目を合わせた。



「最後に聞いてもいいですか?」


「最後と言わず、何回でも聞いてくれていいよ」


「占い師、あなたはどうしてあらゆる情報を掌握しているのですか?

 大剣のことも、事件の詳細も、私のことも」


「くすくす、自分で答えを言っちゃってるじゃないか。

 私が占い師だからだよ」


「呆れた。占いの範疇を軽く超越していますよ。

 それに、来たる運命に抗っているように見える。

 未来でも見えるんですか、その水晶玉は」



 水晶玉に指を置きながら私は言う。



「この子は何でも教えてくれるよ。

 気になるあの子の体重からスリーサイズ、汗腺の数まで」



 卑怯だとか、ズルだとか、何と言われても構わない。


 それが私の力だから。


 でも、所詮は占い。

 結果も運命も気に入らなければ変えてしまえばいいんだよ。



「不埒の極みの破廉恥女め」


「えー、君だって好きな子の全てを知っておきたいでしょ?

 そうだ、冥土の土産に君を占ってあげようか?」



 エリゼハートは首を横に振る。


 ああ、やっぱりこの人はエリゼさんの片割れなんだ。

 私はそう思った。



「必要ありません。不思議の種明かし程無粋でつまらないことはないでしょう」


「それ、私のお仕事全否定なんだけど」


「ええ、頭から尻尾の先まで否定しました」



 そう言って、エリゼハートはジョッキに残っていた水を飲み干した。


 空になった器をテーブルに置くと、その中身をまじまじと覗き込む。


 水滴がいくつか付着しているだけの内側を観察し終えて、君は私に力なく笑った。



「最後に口にするのが大きな器に入っていた飲みかけの水とは、割りに合わないですね……。

 さて、もう貴女と会うことはないでしょう。

 さようなら、胡散臭い占い師。

 上手くやってくださいよ、失敗したら呪い殺します」


「私は完璧にこなすし、エリゼさんのお友達の方もちゃんとやってくれると思うよ」


「なら、私も覚悟を決めないといけませんね。

 あーあ、ミュエルの作るオムライス、味わってみたかったな」



 そう言って、エリゼハートはゆっくりと瞼を閉じた。


 可愛く寝息を立てながら、背もたれにもたれ掛かる。


 あとはみんなに任せてゆっくりおやすみ。


 ……。


 次の瞬間、私は何かに引っ張られた。


 眠りに落ちたと思われていた彼女が、テーブルの上に乗せていた私の手を掴み力強く引き込んでいる。



「え?」



 強制的に立ち上がらされて、テーブルへ乗り上げそうになった瞬間。

 視界の全域が、細い眉で目つきの悪い少女の顔で一杯になった。


 顔中に激痛が走る。



「あががっ!?」



 超速の頭突き。

 それをまともに受けてしまった。


 後方の棚に吹き飛ばされて、飾っていた占いの館っぽい品物がいくつか床に落ちる。


 鼻血が垂れ始めた顔を両手で押さえていると、眠気まなこのエリゼハートがゆらゆらしながら口を開けた。



「すみません、エリゼを雑に扱うお代の徴収を忘れていました。

 ……今ので……一割程は……チャラです……ぐぅ……」



 エリゼハートはそう言うと、再び椅子に座り込んでぐっすりと眠りについた。


 痛い。

 普通に鼻が折れてしまった。


 ……。


 でもやっぱり、この程度じゃ今からエリゼさんに起こることの代価には程遠いよ。


 デュースの呪いを背負わされたエリゼさんは、数日も持たずに絶望に満ちるだろう。


 自他への憎悪が支配する暗い暗い底無しの海に落ちていく。


 その結末は私が関与しなかったとしても、いずれ来るであろう約束の宵闇。


 かつてのエリゼさんが自らで選んだ道とは言え、誰かが手を掴んであげるべきだ。


 それは私でなければ、エリゼハートでもない。




 ミュエル・ドットハグラ、君は星になれるかな。



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