第119話 わたしの色は、あなたに混ざっていなかった

 エリゼ視点



 教会領の修道女寮。


 みゅんみゅんから逃げるように屋敷を出たわたしは、その建物に足を運んでいた。


 友達がいるその場所へ。


 でも、結局二人には会わなかった。


 壁を隔てた先で聞いてしまったから。


 ……聞こえてしまったから。



 『願いを叶える力』



 そんな大それたものがわたしに宿っているらしい。


 わたしって、選ばれし者的なあれだったんだ。


 あはは、そんな崇高な人間でもないんだけどな。


 願いを叶えることができるのなら、色んな人の役に立つことができるかも。


 困ってる人も助けてあげられるし、壁に当たってしまった人の後押しもしてあげられる。


 心底有意義な力。

 そして、理不尽で残酷で身勝手な力。


 そんな力があるなんて、思ってもいなかったな。


 でもそれは、わたしの存在価値を否定するには十分過ぎる程強烈な一撃だった。


 ……。


 信じたくないな。


 嘘だと思いたい。


 間違いであって欲しい。


 だって、そんな力があるとしたら……みゅんみゅんが成長したのは……。


 彼女がお料理や掃除をこなせるようになったのは、わたしじゃなくて……その願いを叶える力のおかげになってしまう……。


『願い』は『夢』だから。


 みゅんみゅんの『夢』はメイドになること。

 そして今、彼女はメイドとして卒なく仕事をこなしている。


 以前のように床を破壊したり鍋を破壊したりしないミュエルさんは、みゅんみゅんというメイドの夢を叶えている状態。


 ……。


 みゅんみゅんはわたしじゃなくて……見ず知らずのわたしに宿った力のおかげで……。


 嫌だ。

 そんなの嫌だ。


 信じたくない。


 みゅんみゅんには、確かにわたしの色が付いたはずなんだ。


 わたしが教えて……わたしが……色々…………してあげたのに……。



『私は戦闘に関するもの以外のことを覚えられないんだ』



 始まりの日にみゅんみゅんが口にした言葉。

 諦めの言葉。


 家事をまともにこなせないあなたは、戦う以外の道は無いんだとメイドの道を半ばで諦めていた。


 でも、それは屋敷に来てからたった数日で克服されたんだ。


 わたしが特別だからなんだって思ってた。


 わたしだからあなたを変えられたって。


 わたしが手取り足取り教えたから、だからみゅんみゅんは夢に近づけたんだって、ずっと思ってたんだよ。


 それが今日、崩壊した。


『願いを叶える力』、そんなものがあったなんてね。


 結局わたしは……あなたの力にはなれなかったんだ……。


 嫌だな……。



 セレナちゃんの部屋の前から逃げるようにして走っていた。

 無我夢中で目的地も込めずに、ただただ移動を繰り返す。


 いつ教会領を出たのかも分からないで、ただがむしゃらに足を動かす。


 気づけば大通りの人混みにぶち当たり、精一杯の逃避はたった数分で終わってしまった。


 このまま屋敷に帰ってみゅんみゅんに謝ろうか。

 そうすれば、きっとまた元通りの日々に戻れるはずだ。


 でも、わたしはもうあの人の隣に立てる人間じゃない。


 ……。


 何も考えず人の波に流されているのも、飽きてしまったな。


 わたしは一人、群れから抜け出して歩道の脇に立ち並ぶ店の壁にもたれ掛かる。

 壁に背を預けながらその場に力なくへたり込んだ。


 なんだか、行き交う人々がみんな幸せそうに見える。


 母親とその娘はお夕飯について談笑をし、本を何冊も詰め込んだ紙袋を抱えているメガネのお姉さんは満足げに目を細めている。


 そして、長身の女の人とわたしぐらいの少女が手を繋いで仲睦まじく前を通過した。


 ……いいな。


 わたしも、それになりたかった。



「こらこら、目つき悪い女に店前でたむろされると客足が無に帰っちゃうでしょうが」



 そう言って、誰かがわたしを覗き込んだ。


 見覚えのある顔。


 肩まで伸ばした白髪と、その内側に入れられた黒のインナーカラー。


 ふと頭上を見上げると占い屋『ぱにがーれ』の看板がある。


 わたし、こんなとこまで来てたんだ。



「シトラスさん」



 わたしの目の前にいる人物は、饒舌な占い師シトラスだった。



「どうしたの、エリゼさん?

 私でよければお話聞かせてもらうけど」



 この状況で、この精神状態でそんなことを言われてしまうと、つい甘えたくなってしまう。


 みゅんみゅんや友達には伝えられないこと、占い師である彼女になら全部打ち明けてもいいのかな。



「わたし……もう、なんだか分からなくって……」


「そっかそっか、分からなくなっちゃったんだね。

 うん、シトラスさんに任せなさいな。

 とりあえず、一旦お店入ろっか」



 わたしは、腰に手を回されてそのまま店内へ連れて行かれた。


 扉をくぐり抜けた先は、ちょっとした異世界。


 数ヶ月ぶりのこの部屋。


 不気味なのにおしゃれにも感じる装飾が施されていて、いかにも占いの館といった雰囲気。


 一度訪れただけのわたしでも、なんとなく内装を覚えていられる程には刺激的だった。


 以前と異なる部分といえば、アロマみたいな煙が炊かれていることだろう。


 霧のような気体が空間を満たしている。

 換気とかしたら、迷惑そうだな。


 シトラスさんに連れられて、部屋の中央に置かれたテーブルに案内される。



「座って待ってもらえるかな?

 飲み物用意するから。

 お水とお茶と炭酸ジュースがあるんだけど、どれにする?」


「えっと……お水で」


「お水ね、了解了解。

 大丈夫だよ、私はどこにも行かないから」



 わたしの心を読んだような占い師は、不安を取り除く一言を置いて店舗の奥にある部屋へ消えていった。


 言われた通り椅子に座って待つ。


 そういえば、前に来た時はこの椅子にみゅんみゅんと二人で座ったんだっけ。


 給仕服のスカートで隠れてたとはいえ、健康的で筋肉質なあの両足の間に挟まっちゃって……。


 あんな日に戻れたら良いのにな。


 思い出に浸りかけたところで、シトラスさんがジョッキ一杯の水を持ってきてくれた。

 お悩み相談で出されるコップにしては大き過ぎる。



「あれぇ、スベっちゃったかな? 笑ってくれるかなって思ってたんだけど」


「ううん、ありがとう。気遣ってくれて」



 流石に笑えないけど、優しさは受け取らせてもらった。


 てへっと軽く笑うと、シトラスさんはわたしの対面に座る。



「何でも話して良いんだよ。私は迷える子猫ちゃんを導く占い師なんだからさ」



 胡散臭くて忘れていたけど、この人は本来人の不安を商売にしているんだった。


 いくら懐疑的な人とは言え、ある種お悩み相談の専門家とも呼べてしまう。


 だったら、この人に聞いてもらってもいいのかな。


 少しだけ、楽になっても……。


 そう思った時、既に口や喉は動き出していた。



「大好きな人にずっと嘘付いてて、それが今日とうとうバレて……。

 だからその人に信用されなくなったかもしれなくて……もしかしたら、嫌われたかもしれない……」


「そっか、嘘付いてて嫌われたかもしれないんだね。

 でも、その嘘は誰のための嘘だったのかな?」


「それは……」


「大丈夫、建前も理性も客観視も全部捨てて言っていいよ」


「……大好きな人を困らせたくなかったから、嘘ついちゃってた。

 だから、わたしのためでもあるし、その人のためでもあって。

 でも、結果的にその嘘は彼女を困らせたんだ。

 だからその嘘は、もう誰のためでもないただの棘になっちゃった」


「ううん、違うよ。結果だけを見ないで。

 過程や意図、そういう想いが大切なんだよ」


「けど、そんなのは伝えなかったら意味がないんだよ」


「伝えられなかったんでしょ、伝えると余計な心配をさせちゃうから。

 だから仕方ないよ。

 むしろ、悪いのはエリゼさんが大好きだっていうその人だと思う」


「ち、違う! ミュエルさんは何も悪くない!

 全部全部わたしが悪いんだよ。

 嘘ついてたのもだし、そもそも味覚を失ったわたしが悪いだんから。

 あっ、わたし、名前……」


「大丈夫だよ、秘密にするから。

 それに隠さなくてもなんとなく分かってたし。

 でも、エリゼさんをここまで放っておいたのもそのミュエルさんだ」


「違うよ、わたしは勝手に落ち込んでるだけで、ミュエルさんは何も悪くない」


「主人に寄り添うのも、メイドのお仕事なんじゃないかな?」


「十分寄り添ってくれてるよ……」


「十分じゃないからエリゼさんは今こうやって悲しんでるんだよ。

 ……ごめんね、酷いこと言っちゃって。

 けど、我慢できなくてさ。

 私にとってはエリゼさんも大切な人だから」



 胸が脈打った。



「だ、だとしても、わたしの大好きな人を悪く言わないで。

 ミュエルさんは本当に何も悪くないんだから」


「分かった。エリゼさんがそういうならやめておくよ。

 ありがとう、私に向かって本音を言ってくれて」


「本心を伝えられるの、シトラスさんだけだから……」



 あれ、なんか、おかしい。


 説明できないけど、何かおかしい気がする。



「ミュエルさんには本音を伝えないの?」


「まだ、伝えられない。

 さっきも言ったけど、もう心配はかけたくないから」


「そっかそっか。

 じゃあ私で思う存分発散してくれて良いよ」



 ……。



「どうしてそんなにやさしくしてくれるの……」


「私はエリゼさんが好きだから」


「あっ……」



 俯き気味で視界に垂れてきた長い前髪の隙間から見えるシトラスさんが、少しだけ眩しく見えた。



「好きな人には優しくしたいし、全てを受け入れられる。

 だから私を信じて」


「うん……うん。しんじる」



 きのせいかな、なんだか、よくわからなくなってきた。


 シトラスさんは、わたしのてをぎゅっとにぎった。



「一つだけ、頼み事をしてもいいかな?」


「どうぞ、なんでもいいよ」


「最後に幸せだと思えた瞬間を、占わせてもらってもいい?」


「うん、いいよ」



 かこを、うらなう?


 それは、うらないなのかな。


 まぁなんでもいいか。


 シトラスさんは、すいしょうだまにてをかざした。



「明確に幸福を感じたのは、えーっと……また随分と前だな。

 大好きなあの人の料理を食べた時、それも何ヶ月も前のこと。

 エリゼさんはそこから一切幸せを感じていないんだね」


「で、でも……みんなといっしょにいるときは、しあわせだとおもえたの」



 たとえば、セレナちゃんの部屋で泊まったときとか。


 みんなでお話ししながら夜をすごしたのはすごくいいおもいで。


 あれはきっとしあわせだよ。



「気づいてるんでしょ」


「な、なにを……?」


「君の中から『幸せ』が消えてしまったことに」


「……」


「やっぱりね。それに気づけたのも私が最初ってことなのかな。

 ミュエルさんも、お友達も、誰も気付いてくれなかったんだ」


「ちがう、よ……ことばにしなかったから、つたわらないだけ」


「ううん、私には伝わったよ。

 エリゼさん、これまでよく頑張ったね」



 これ、ほしかったことば。


 でも、このひとじゃない。


 なんだか、おかしい。



「あ、あれ……なにもかんがえられない」


「そんなことはないだろう。

 エリゼさんはよく考えてるよ。

 傷付かせないように、楽しませるように、喜ばせるように、ずっと人のことを考えてるじゃないか。

 何も考えていないのは周りの方だよ」



 このひとならぜんぶうけいれてくれる。



「エリゼさんの全てを受け入れることができるのは、私だけだ」



 おかおがあつい。


 ほっぺたがとろんとしている。


 なにしてたんだっけ。


 えっと、しとらすさんが、わたしをあいしてくれるから。


 それで、ぜんぶおわるんだ。




 ……。




 ま、まって、ちがう、みゅんみゅんがいるのに、わたし、なにして。



「あれ、まだ抗えるんだ。やっぱり君はまだ朽ちていないんだよ。

 自分で思っている以上に弱いのに、思っている以上に強い」



 これ、まじゅつだ。


 かんがえられなくするまじゅつ。


 いつのまに、こんな、なんで。



「ほら、お水を飲んで。きっと楽になれる」



 がぶがぶと、くちにおみずをそそがれた。



「ほら、深い深い水の中。

 私の言葉だけが聞こえる無音の世界。

 抗えば抗うほど、シトラスの虜になってしまう。

 ここは暗い深海。

 誰もいないけど、誰かがいる。

 それはきっと全てを許してくれる愛の星。

 たゆたう魂を、穢れたあなたを受け入れてくれるのはその星だけ。

 絶望に満ちた瓶の中でも、きっと光はあるはずだよ。

 ほら、私に全てを預けて。

 私に全部を頂戴」




 うぅ、だめなのに、ゆるしちゃ、だめなのに。


 やめて、わたしを、わたしのゆめ……ぬりつぶさないで……。



「それなら、夢を思い出せばいい。

 憧れを、理想を、恋慕を。

 彼女はきっとあなたを愛して守ってくれる。

 その時はメイドか、聖騎士か、それとも……。

 ミュエルさんが来るならもう安心だね。

 私が合図すれば、エリゼさんを縛っていた力はふっと消える」



 ミュエルさんは、たすけにきてくれるのかな。


 また、なにもできなくなっちゃうんじゃ……。



「おやすみ、君はよく頑張ったよ」



 がんばれてたのかな、わたし。


 ……。


 もう、いっか。

 ねむたい。


 ぜんぶまかせちゃおうかな、しとらすさんに……。




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