第110話 選択を怠ってきたその傀儡

 アラン視点



 繁華街の中心に大きな建物がある。


『スルト』の看板がでかでかと飾られたクラブハウス。


 その内側からは大音量の音楽が漏れていた。


 表向きには音楽を楽しむ場所となっている店舗だが、酒類の提供もされており、毎晩の様に人々が集まっては夜通し踊り狂っている


 ここには昔、遊びに来たことがあるな。


 その日は確か、フロア中の女の子を堕として回ってたらオーナーを名乗る褐色の女に追い出されてしまったんだ。


 それで出禁にされてしまった。


 ケチ。


 玄関口の前まで進み、分厚い両開き扉へ手を伸ばす。



「じゃあみんな、僕の後ろを着いてきて。

 いつでも戦闘を始められる様、構えておいてね」


「はーい」


「お姉さんの魔術に巻き込まれないでね、みんな」


「撃たれたら殴るよ」



 準備の方は良さそうだ。


 魔獣と対峙する時と違って、今回のこれはお遊び程度の戦闘に過ぎない。

 だからどこまでもリラックスしていれば良いさ。


 そして、大きな扉を開けて中に入る。


 ……。


 完全に包囲されていた。


 煌びやかな内装を誇る建物内の至る箇所に女が遍在している。


 エントランスからフロアに舞台部分、さらには二階のラウンジまで人が詰まっていて、その全てが僕達に敵意を向けていた。


 剣を構える者、杖を構える者、ガントレットを装備している者、多種多様の武装を纏ったならず者共が僕たちを迎えてくれる。


 後ろは取られていないから包囲とは呼べないんだけどね。



「んー……じゃあ、暴れよっか」



 合図と同時に、ラスカは認識の範疇を越える速度で群れに向かい、それを追う様にメイリーも走り出す。


 ヒカリは杖を軽く振り下ろし、魔力で構成された幾ばくかの魔法陣を空中に解き放つ。


 結局のところ彼女らは、僕より弱いだけであって並大抵の人間なら瞬殺できる程度の力は持っている。


 綿菓子の様な柔い者がいくら群れて来ようとも、相手にはなり得ないだろう。


 怒声や叫びと同時に、攻撃が飛び交い始める。


 乱闘、のつもりだろうが一方的な蹂躙だ



「あーみんな、ちょっと良いかな?

 その顔に傷跡がある子と、バーカウンターにいる赤髪の子と、そこの黄色いドレスの子は傷付けないでくれると嬉しいな」


「アラン様〜、時と時間を弁えてね〜」



 メイリーの制止の裏で、僕が指定した女の子はラスカとヒカリの手によって優先的に狙われていた。


 とほほ。



「うぅ……手厳しい。

 じゃあ僕はさっさと頭討ち取ってくるから、足止め頼んだよ」



 武器を振り上げながら向かってくる無数の相手をいなして進む。


 僕の記憶が確かなら、三階に監視室やVIPルームがあったはずだ。


 エリゼを攫った人間が隠れているとするならそこだな。


 隠し部屋とか地図に記載されていない地下室なんかがあるなら話は変わってくるけど、とりあえず上を目指そう。


 カーペットの敷かれた幅広い階段を駆け上がる。


 何十人もの組織員を払っていく。


 殴って叩いて押して飛ばして落とす。

 草木をどかすように立ちはだかる女を捌いていった。



「ごめんねー」



 階段を登り終えた先には、煌びやかなVIPルームが待ち受けていた。


 扉を守っていた警備を突っぱねて中へと進む。


 いやらしい間接照明とアロマが焚かれた優良顧客用の個室を抜けた先には、監視室の文字があった。


 厳重に施錠されている扉があるが、僕には関係ないことだ。


 扉を蹴破って中に入ると、室内には一人の少女が待っていた。



「ちょっ!? お前らマジでなんなの!?

 困るんだけど! 不法侵入で訴えんぞコラ!!」



 突然クラブに侵入してきて暴れ倒している僕達に対して、首からカメラを提げたオレンジ髪の女は破茶滅茶にブチギレていた。


 ミュエルの話通りなら、この子がネイハという名の女の子だろう。



「生憎、僕達はとても悪い女だからね。勝手に暴れさせてもらってるよ」



 実際正真正銘の不法侵入なんだけど、屋内に滞在している悪人を捕らえてさえいれば見逃されるという魂胆だ。


 ここに訪れたのが律儀に秩序を守る騎士様であれば、こんな強引な手段を使う真似できなかっただろうな。



「くそっなんでこんなことになってんだよ!

 ここが一番安全だって言ってたのに!」



 思うように事が進んでいないのか、少女は髪の毛を掻きむしり地団駄踏んでいた。


 だけど、そんな稚拙でつまらない行動よりも、彼女の奥に置かれているものが目についた。


 黒いテーブルの上に敷かれたタオル。


 その上に、脚が見えた。


 一本の片足。


 左足。


 止血はされているみたいだが、タオルには血の跡ができていた。


 結局、こうなるのか。


 地図上にエリゼの反応が三つあった時点で大方察していた。


 魔術師リューカが展開した術式に、失敗の二文字が介在することは有り得ない。


 つまりは、エリゼの肉体が三つに分けられているってこと。


 予想はできていたけど、いざ実際に目にしてみると……とっても不快だ。



「は……ははは……殺してあげる」



 エリゼに嫌がらせをしていた上、パーティから追放まで行った僕が何を言っているんだって話だけど、そんなのどうだっていい。


 僕も怒っていいよね。


 ううん、許されなくても勝手にするさ。


 腰に携えていた『斬帝』を抜く。


 剣の王を冠したその刃を揺らしながら、ゆっくりと目の前に居る愚者に近づいた。



「なっ!? ま、マジカルスティック!!」



 オレンジ髪の少女は単語詠唱コマンドで光の棒を作り出す。


 魔力によって構成された簡易的な武器。


 でも、僕の前では紙切れにすら及ばない空気の様な玩具と同等。


 軽く剣を振り下ろすと、少女は魔力の棒でそれを受ける。


 それだけで、膝を落とし大きく体勢を崩してしまう。


 そんな攻防にもならない何かを繰り返す。


 少女のその戦い方は、余りにもお粗末で身のこなしも微妙であった。


 加えて、首から提げているカメラを執拗に守っていることから、隙だらけになっている。


 怒りで我を忘れようとした途端にこれだ。


 やりきれない。



「君、治癒術師?」


「そうだっての!! うちは、戦えねえんだよ!!」


「なるほど……」



 『斬帝』で魔力の棒を弾き飛ばして、軽くお腹を蹴り飛ばした。


 少女は息を詰まらせながらテーブルの前まで転がっていく。


 本当に治癒術しか能がないらしい。


 さらに直前に術を使っていたのか、魔力も殆ど感じられなかった。


 これじゃあ殺す価値も無い。



「ね、ねぇ!? うちもお前のハーレムに入ってやっても良いから!

 だ、だから、ころ、殺さないで!!

 お前、テンペストのアランだろ?

 や、やっぱりかっこいいし、美人だし!

 は、ははっ!

 うち、ま、まだ、しょ……し、処女だからさ!!

 そういうの好きだろ!?

 だから、頼むって……うち、別に悪いことしてないから、殺さないで!」



 弱い上にメイリーと同じ一人称と来た。

 やりにくいにも程がある。


 まぁでも、この子はメイリーじゃない訳で、容赦無く鎖骨を折るぐらいの暴力は振るえてしまうのだけど。



「か弱い子は大歓迎だよ。だけどね、君みたいな醜い女は御免かな」


「なっ、なんでだよ。お前はどんな女も堕とすんだろ?

 ま、まあでも、殺されないなら別にどうでもいいけど……」



 殺す価値が無いのなら、価値ある八つ当たりを選択すればいい。


 この子に必要なのは暴力による解決ではなく、対話による精神の解放かも。


 一目見ただけで理解できる。

 こいつは選択を他者に任せ続けた意思の無い女。


 薄弱という点では僕の好みではあるけど、君の罪が燃える炎を萎えさせる。


 面倒だけど、何重にも掛かっている重しを解いてあげようか。


 きっと、それがこの子対する一番の復讐になるから。


 『斬帝』を鞘に収めて戦意の消失を見せる。


 そして、少女の心を解き明かし始めよう。



「多分、君に好意を持っている人間なんて存在しないよ。

 利用されて捨てられるだけの駒。

 君は誰にも愛されていない可哀想な子。

 どう、合ってる?」


「は、はぁ!?

 お前に何がわかるんだよ!

 うちだって、誰かに……誰かに求められてるし。

 アヤイロだって……そうだ、アヤイロがうちを頼りにしてるんだから!!」



 僕の煽りを受けた少女は、たった一瞬で心情を露わにした。

 怯えていたのを忘れてしまったかのように怒りを振る舞う。


 頼りにされているっていうのは、実際素晴らしいことだ。


 でも、それは互いに信頼があってこそ綺麗に映るものであって、片方からの好意だけじゃ成り立たない。


 その上で、この子は都合の良い駒だと断言できる。


 組織の本拠地などという馬鹿でも疑えてしまう場所に遣わせるなんて、自分が囮であると高らかに叫んでいるのと同じだ。


 可哀想に、出会う女を……慕う女を間違えたらしい。



「だったら、教えてよ。

 君が一番幸せだと思った瞬間のこと。

 それは、アヤイロって女と過ごした時間?

 それとも、他の誰かがいるのかな?」


「幸せ……?

 そんなの、いつだってそうだし。

 うちはずっと幸せで……人にも囲まれてて、アヤイロとか、メートゥナとか。

 ここの連中にも慕われてて、だからうちは幸せなんだよ」



 自信無く、疑いを含んだ声でそう言った。


 幸せという言葉を本気で口にできない内は、君はまだそこに辿り着けていないよ。



「念の為聞いておくけど、君はエリゼをいじめてた。それで合ってるかな?」


「……遊んであげてただけだし。別に、いじめとかじゃ……。

 それに、みんなやってたし。

 アヤイロもメートゥナはもっと酷いことしてたから……」



 頻繁に耳にするありきたりな言い分だった。


 エリゼを虐げておいて、そこに意思は介入していなかったということか。


 そんな筈はない。


 忘却したつもりの罪悪感や後ろめたさを、全部全部思い出させてあげるよ。



「誰かと違うことが嫌みたいだね。どうして?」


「そんなの、みんなそうだし。お前だって独りは嫌だろ?」


「まあね、僕も孤独は苦手だ。

 だから人を好きになるし、恋人達と共に過ごしている。

 一緒に笑い合って、愛し合って、想いを伝え合う。

 僕が道を踏み外せば、彼女らは懸命に引っ張り上げてくれる。

 君もそういう友人と過ごせてるかな?」


「い、いや、それは……うちは、そんな馴れ合い必要ないから」



 会話を交えながら、彼女が起こす反応と服装を観察する。


 やはり目に付くのは、首から紐で提げられているカメラか。


 戦闘中でさえも肌身離さず守っていたその魔道具。


 僕が思う以上に執着を起こしていそうだ。



「深く考えなくて良いんだよ。

 例えば、一緒に景色を見に外出したこととか、写真を撮ったこととか。

 そんなありきたりな日常を教えてよ」


「一緒に、出かけたこと……え、えり……」



 言い淀む。


 答えづらそうに、思い出を否定するように、感情を誤魔化すように。



「言ってごらん。ここには初対面で今後関わることの無いであろう僕しかいないんだから」



 心の内を吐露させやすい様、誰でも無い誰かであることを主張する。


 面と向かって会話をしている時点で、僕が匿名性の高い何者かだなんてことは決して無いんだけどね。


 少女は、唇を小さく開けたり閉じたりした後、意を決して言葉にした。



「……エリゼと、出かけたことならある。

 写真も、エリ……エリゼと撮った」


「そうなんだ。エリゼとは結構仲良かったんだね。

 教えてよ、エリゼと過ごした日々のこと」



 乱暴を振るっていた相手と仲の良かった過去がある。

 それをずっと封じ込めて生きてきたんだろうな。


 罪の意識にも蓋をしていたという訳だ。



「そ、そうだ、あいつ、マジで馬鹿なんだよ。

 山登ったときとかさ、手作りバスケットの中にハムサンド詰めてきてたんだけどさ。

 野菜の水分きらなかったせいで、べちゃべちゃになっててさ。

 それで、水浸しの昼飯食べる羽目になって……美味くはなかったけど、楽しかったかも」


「とっても良い思い出じゃないか。

 絶対に忘れちゃいけない楽しい時間だね。

 次は、そのカメラのことも聞いてみたいな。

 古い物に見えるけど、すごく綺麗に使ってるんだね」


「うん……大事なものだから。

 これ、死んじゃったママが唯一残してくれた物なんだ。

 借金の差押えで全部全部取られちゃったけど、これだけは残してくれた。

 だからめっちゃ大事な宝物」



 穏やかな表情で、母親を懐かしむ様な柔らかさでカメラを撫でていた。


 この子の肝となっている存在は母親か。



「なら、君自身も宝物なんだね」


「え? うち……?」


「お母様が形ある物として残してくれたのがそのカメラなら、きっと君の中には目に見えない愛情とか希望とか、綺麗で眩しいキラメキも詰まってるはずだよ」


「……」


「そのカメラで撮った写真のことも教えてよ。エリゼの写真もあるんだろう?」



 数秒間の沈黙の後、彼女は何かを思い出して口元を緩ませた。


 思い出し笑い。

 側から見ると不気味なそれは、自身の内側で楽しかった事実をを蘇らせている。


 気付いていないと思うけど、それは幸せの一種なんだよ。



「ある、いっぱいある。

 エリゼはマジで馬鹿。

 作り笑いが下手くそ過ぎて馬鹿。

 せっかく写真撮ってもキモい顔しか写んないし!

 うちが色々教えたおかげで、最後らへんはすっげー良い顔するようになってたけどね」



 これまでとは打って変わって、非常に楽しそうに喋っていた。


 明るい声色で、友人と雑談を交わすみたいに僕に打ち明ける。


 ああ、この子は本当に馬鹿なんだ。

 とびきりの馬鹿で、関わる人間を間違えてしまっただけの哀れな女。



「エリゼは今でも作り笑顔が下手くそだよ」


「マジ? せっかくうちが教えたのに……」



 ネイハという名の少女は、しっかりと肩を落として落ち込みを見せる。


 まるで、大切な友人に嫌われたかのように。



「エリゼは心の底から笑ってたんだと思うよ。君には本物の笑顔を見せてたんだ」



 僕の一言を受けて、彼女はあからさまに困惑と疑問を受かべた。



「そ、そんな……だって、あいつ出会った時、写真苦手そうだったし。

 暇だったから無理矢理誘って、連れ回してただけだし……。

 そういうのって、友達と一緒にいる時にしかでないやつだろ。

 うちと一緒の時に出るなんて……おかしいじゃん」



 なんだ、よく他人のことを観察しているじゃないか。


 そこからもう少し踏み込んで思考を巡らせることができたのなら、きっとエリゼと良好な関係を築けたはずだよ。



「君に写真を撮られるの、いつの間にか好きになったんじゃないかな。

 それに、友達ってそういう関係だろう?

 最初はよそよそしいけど、時間が経てば打ち解けて友達になる。

 それでさ、友達の好きなことなら自分も好きになるんだよ。

 そこからは親友にだってなるし、恋人にもなる。

 君たち二人もそういう仲だったんだよ」


「友達? うちとエリゼが……? そんなの、ありえないって」


「ありえるさ。

 だって、君はエリゼを笑顔にしたんだから。

 君もエリゼと過ごした日々に充実を感じていたんじゃないかな。

 エリゼと出かけた日々は楽しかった?

 エリゼの写真を撮ることは楽しかった?」


「……楽しかった。エリゼと一緒に行った山も川も、全部……楽しかったよ……」



 頃合いだな。


 深く息を吸い、湧いてきた同情を極限まで削ぎ落とす。


 目の前で震えている女は、エリゼを傷つけた卑怯者だ。


 僕と同類の屑。


 悪意を受けて当然の人間なんだ。




「その切断された脚を運ぶの、平気だった?」




 少女は、切断されたエリゼの片足を振り返りながら答える。



「平気に決まってんじゃん。

 うちが切断したんならともかく、やったのはアヤイロだし。

 うちはただ足を……運んだ……だけ……え?

 ……だって、うちは、運んできただけで、何も悪いことは……してなくて……。

 な、なんで、なんか、気持ち悪い。

 なにこれ、なにこれ……?

 はっ……えっ……痛い……痛いよぅ……なんで……」



 少女は、震え始めた両手を見つめながら項垂れる。


 いつからかは分からない。

 だけど、彼女は確実に思考を封じて操り人形に徹して生きてきたみたいだ。


 その錆びついた鎖を解いてあげたんだ。

 それでもう一度、人としての君を呼び起こしてみせよう。


 僕はセラピストでもなければ心理学者でもない。

 ただ、女の子を口説く話術があるだけ。


 それでも、君の心を溶かすことはできたみたいだね。


 お母様のためにも、君は綺麗になるべきだ。


 痛みを知らなければ、後悔もできないから。

 だから、僕は君を生かそうと思う。


 人として、一人の女の子として生きてほしい。

 罪を自覚して、それを背負って苦しむんだ。



「その痛みは、今まで君が見てこなかった幸せだよ」


「こんな痛いのが幸せなら……うちには必要ない」


「だったら、また逃げてみなよ。もう一度、エリゼを裏切ってみなよ」


「……できない……できないよ。

 分かんないけど、うち……もう逃げられない。

 嫌なのに、エリゼの苦しむ顔が頭ん中から離れてくれない。

 最悪なのに、でも、それは全部うちが悪くて……。

 だから、痛みから逃げちゃダメで……」


「良くできました。これで君は……ネイハは一人の女だ。

 駒でも人形でも無い、意思を持った人間だ」


「……エリゼに……返さないと……治さないと」



 うわ言のように口から漏らすと、ネイハはエリゼの足を抱えた。


 ふらふらと立ち上がり、前を見る。


 ……。


 でも、その先には鬼がいた。


 部屋の入り口には彼女がいた。


 瞳に光を宿していないラスカが、拳に力を入れながら立っている。



「アラン様……それ、何?」


「これは……」


「それ、エリゼの脚だよね……? なんで、どういうこと?」



 殺気を放ちながら、怒りに身を任せたラスカが向かってくる。


 そのまま僕の側を通り過ぎて、ネイハに近づく。


 武闘家は、少女をただ見つめる。


 そして、片足を抱える腕に手を伸ばした。



「ラスカ……?」



 ぐしゃりと音がした。


 骨と肉が圧力によってすり潰される音。



「うっ……あ、ああああああああああああ!!!」



 絶叫が建物中に鳴り響く。



「ラスカ……」


「大丈夫、死なないように潰してるだけ」



 僕はそれを止められない。


 この少女は、報いを受けて当然の行いをしているから。


 ラスカは脚を奪い取ると、ネイハを壁に向かって投げつけた。


 音を立てながら地面に落ちる。

 そして、カメラを提げていた紐が頭を抜けて、床へと転がり出した。


 ネイハは必死に母親の形見へと手を伸ばす。

 その執着が弱点をバラしていることに気付かず。


 無常にも、ラスカは手を蹴り飛ばしカメラに近付いた。



「……か、カメラだけは……傷つけないで、お願いだから……ママが……ママが、残してくれたやつで……だから……お願いします……」


「エリゼを傷つけておいて、よくそんな甘ったれたこと言えるね。

 自分だけ傷付きたくないなんて、ふざけてる」



 ネイハの懇願は虚しく、怒りを宿した鬼はカメラを手に取る。


 彼女は握る手に力を込める。

 ミシっとフレームの軋む音が聞こえた。



「あっ……」



 自分の意思が抜け落ちていた少女の、間の抜けた息が漏れる。


 その無機質で手加減のない音を耳にして、ネイハはようやく涙を流し始めた。


 うずくまりながら額を床に擦り付け、カメラを壊さないでと喘いでいる。


 どれだけ悪事に加担しても折れなかった心の弱点は、その時間を切り取る機械だった。


 母親の形見だからか、あるいはエリゼとの思い出が入っているからか。


 きっと、その両方だね。


 ……。


 やっぱり僕は……弱い女に弱いらしい。


 気付いた時には、ラスカの腕をそっと捕まえていた。



「ラスカ、やめておこう。僕達の仕事はここまでだ。ここからは法が彼女を裁く」


「……分かった」



 無理矢理納得した表情で、ラスカは煮えたぎっている感情を飲み込んでくれた。


 本当に君は優しくて頼り甲斐のある、僕が愛する天使だよ。



「ごめ……なざい……ごめんなさいっ! うぅ……ぐっ……ぅああああああああ!!

 エリゼ、ごめん! うち、最悪だ……ごめ……ごめんなさい……ひぐっ、ううう」



 ネイハは幼な子が如く泣きじゃくる。


 もう僕の同情は必要無いだろう。


 この子の問題はエリゼが許すか否か。

 それだけだ。


 エリゼは『クラウン』の面子と会うだけでも体が震えてしまうらしい。

 だから、この少女がエリゼと対面することはもう二度とないのかもしれない。



「ねぇ、ラスカ。

 僕がエリゼを追い出したときも、腕を潰してやろうとか思ってた?」


「ちょっとだけ思ってた」


「そっか。ラスカがそう思える人間で本当に良かったよ」





 ☆





 このクラブを完全に鎮圧させた後、ラスカとヒカリは片足を抱えて地図上の印へ走っていった。


 僕とメイリーはというと、カメラを覗いているオレンジ髪少女ネイハを監視している。



「いいの〜? あの女、カメラずっといじってるけど〜?」


「多分、あれはエリゼに対する懺悔の一種だと思うから見逃しておこう」



 ネイハはラスカに潰された腕を無理やり動かしながら、カメラに収めている数々のデータを眺めていた。


 それで、ずっと泣き続けている。


 これまで忘れていた感情を思い出す様に、延々と涙を流している。


 さっき、チラッと画面を覗くと笑顔のエリゼが写っていた。


 前髪が短かくて最初は気付かなかったけど、あれはエリゼだ。


 幸せそうな満面の笑みをしたエリゼとネイハのツーショット自撮り。


 他にも、絶景や日常を切り取った写真が合間合間に挟まっていた。


 その全てが感心してしまう程に綺麗で、素人の僕でも才能を感じてしまっている。


 君がしっかりしていれば、エリゼの人生も君の人生も変わっていたのかもしれないな。



「それにしてもアラン様、やっぱモテる女はなるべくしてモテてるんだね〜」


「え〜、どういうことかな〜?」


「そーゆーところだよ。人に興味を持てるとこと、聞き上手なとこ。

 なんか分かんないけど、今すっごくアラン様大好き」


「僕もだよ。ところでメイリー……君、盗み聞きしてたでしょ」



 僕達の会話を聞いていない限りは、そんな言葉が出てくる訳がないからね。



「てへっ」



 弓を宿に忘れてきた弓兵は、可愛く笑った。


 さて、僕達は頼まれたことを終わらせたよ。


 ミュエル、リューカとセレナ、騎士団。

 後は上手くやってくれよ。


 エリゼ・グランデのために。

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