第108話 あたしの勝利は揺るがない

 リューカ視点



 目標にした光を追って避難誘導で人々が溢れかえる街中を疾走してきた。


 そうして到着した場所は、廃墟と化した賭場。


 その周囲も別の廃墟や廃材置き場になっていて、人気は皆無のよう。



「セレナ、あたしから離れんじゃないわよ」


「えっと、どっちかって言うとリューカさんが離れちゃダメなんですけど」



 手に持った地図の上では、既にあたし達は光の位置と重なっている。

 縮尺の問題でそう見えているだけなんだが。


 目の前にある廃墟こそが真の目的地。


 エリゼの反応はここを指している。


 周りを警戒しながら足を進めた。


 薄暗い屋内には、カードギャンブル用のテーブルや、スロットなどが綺麗に残っている。

 床には酒の瓶や煙草の吸い殻がそこら少し散らばっていた。


 足音を立てない様に進む。


 キツい香水の匂いが鼻を刺した。


 何者かが、前方に立っている。



「んあ? 誰かそこにいるな?」



 気配に気付いた人影はこちらに振り返る。


 悪人ってのはどうしてこんなに勘が鋭いのか。

 奇襲も掛けられないじゃない。


 でも、丁度良いわ。


 コイツには真っ向勝負で勝たないといけない気がする。


 誇りも強さも傲慢も、何もかも捻じ伏せて心を折ってやらないと。



「ったく、もう見つかったのかよ。

 足が付いてそうな場所はあいつらに押しつけたってのに。

 いや、これのせいか?」



 影から出てきたのは、褐色の肌をしていて水色の髪を持つ口の悪い女だった。


 ミュエルの情報通りなら、こいつがメートゥナと呼ばれる者だろう。



「建物の外に結界張ったから、もう逃げられないわよ」


「あ? なんだメイドじゃねーのかよ。

 てか、隣にいんの聖女か? やっべぇ! マジで唆る!」


「はい、聖女です。あの、投降して頂けませんか」


「ははっ、中身はくそつまんねーな」



 はしたない口調だとか、滲み出る性格の悪さとか。

 そんなのは全てどうでもよくなった。


 そんな些細なことに目を向けていられない程の衝撃があったから。


 筋肉質なその手には何かが提げられていた。


 すらりとした、何か。


 日焼けのない綺麗な肌色の何かは、くの字に折れ曲がってだらりと垂れている。


 そして、鉄の匂いがした。



「それ……誰の……」



 ……。



「こいつが気になるのか、魔術師。

 これは馬鹿な女の右足だよ。

 魔術で場所が割られたとき用の撹乱つってたけど、まさか隠す前にバレちまうとはな。

 こんなことなら、さっさと捨てちまえばよかったぜ」



 女は持っていた脚のふくらはぎから太ももへと登るように舌を這わす。

 不味そうに地面へ唾を吐き掛けると、その脚を叩き捨てた。


 それは、エリゼの右足だ。



「セレナ、あたしに体押し付けなさい」



 決壊寸前の理性で、後ろのセレナに言葉を掛けた。


 魔力を保有していないあたしは、セレナから魔力を借りることである程度の術式を展開できるようになる。


 こいつを仕留めるには、魔道具に頼るよりもこっちの方が確実だ。


 聖女様は無言であたしを抱きしめる。


 普段触れられる時より少しだけ強く感じるのは気のせいじゃない。


 理不尽な暴力を目にしてしまった少女は、涙を流しながらあたしに縋る。


 ……あたしが、こいつを潰さないと。



「お前、全く魔力を感じねぇな。

 それで聖女様に力を借りようってか」



 褐色の女は奇しくもあたしの欠陥を言い当てた。

 楽しそうに笑いながら。


 そうやって自分より弱いと思った人間を馬鹿にしてきたんだろうな。



「魔力を感知できるような賢い人間には見えないんだけど」


「誰がどれだけ魔力を持ってるかなんてのはな、アヤイロみてぇな馬鹿ほど魔力持ってる奴の隣でいりゃあ、嫌でも分かるようになるんだよ」


「そう、素晴らしいことね」



 杖を構える。


 目の前にいる人の皮を被った獣に向けて。


 あるいは、こいつみたいな屑を含めて人間と呼ぶのか。



「おいおい、待ってくれよ。

 アタシは別にやり合おうなんて思ってないぜ?

 それに聖女様ってのはよぉ、攻撃効かねーんだろ?

 ずりぃよな、マジで。

 一回攫おうしたことあるんだけどさ、アヤイロの奴に口うるさく注意されたの思い出したわ。

 それでそん時に」



 言葉の最中で女はその場から消えた。


 油断した。


 こんなトリッキーな動きをしてくるとは思わないじゃない。


 全力で周りを見渡す。

 だけど、どこにも見当たらない。


 天井にも、物陰にも、晴れている視界のどこにも女は存在していなかった。


 でも、四方八方から移動する足音は聞こえる。


 視認できない速度。

 そんな芸当を披露できる化け物がこうポンポン出てこられると、うかうか引き篭もりもやってられないわね。


 杖を握りしめ、身体強化の術式詠唱を試みた瞬間。


 右脇の下にメートゥナが現れた。


 脇腹を狙う様に繰り出された拳が見える。


 やばい、これ。


 危機を察知したときには、もう遅かった。


 研ぎ澄まされた突きが体に刺さる。



「ごぶぁあっ!?」



 腹に当てられた拳の威力で、そのまま後方に吹き飛ばされる。


 瞬きの後、あたしは建物の壁に埋まっていた。


 パラパラと降り注ぐ粉の様な壁面が髪の毛に掛かる。


 セレナが咄嗟に手を引いてくれたおかげで重傷は免れた。


 あのまま抱き付かれていたら、聖女の加護は衝撃を伝播させてくるあたしに牙を剥いていたはずだ。


 この暴力女、それを理解して攻撃を仕向けたのか。

 小賢しい。


 そして、痛みが遅れてやってくる。


 体を崩壊させるような痛みが。



「っ……!? いっ、おぇ、いた、あ、ああ、あああああああああっ!!」



 今まで感じたことのない何かが体を襲っている。


 内臓が熱くて、冷たくて、痛い。


 打ち付けられた背中が肺を圧迫して息ができない。


 尋常じゃない程の吐き気が襲ってくるのに、あたしの口から溢れてくるのは泡立った液体と少しの血液。


 全部出してスッキリしたいのに、これ以上は何も出てこない。


 不快。


 思考が乱れる。


 気持ち悪い。


 痛い。


 でも、きっとエリゼの痛みに比べたらまだマシだ。



「これでテメーは魔術が使えねーゴミだ。

 対人を経験してねー女は頭が固くてやりやすいなぁおい」



 女は、隣で純白の杖を抱えるセレナを無視しながらこちらに進んでくる。



「……ゴミに負けるあんたは何になるのかしら」


「お? めちゃくちゃ根性据わってんじゃねーか。

 壊し甲斐がありそうで良いねぇ。

 エリゼみてーにアタシを楽しませてくれよ!!」



 正直、まともに会話できる思考力は残っていなかった。

 それでも、大切な人を侮辱されてそれを見過ごせない。


 あたしは賢くないんだ。


 どれだけ傷を負っても、こいつに殺される未来が見えないから。


 あたしがこの杖を持っている限り負けはない。


 諦めない限り終わりはやって来なくて、あたしはそれを永遠に続けられる。


 とんでもない暴論だけど、それが今のあたしだ。



「根比べと洒落込もうじゃないの、お馬鹿なメートゥナお嬢ちゃん」



 予備動作を起こさずに褐色の女は動いた。


 今度は見える。


 壁に埋もれたあたしへ追い討ちをかけるため、一直線に走ってくるその姿が。


 そして、あたしに接近した女が取った攻撃は、喉を狙った刺突だった。


 魔術師にとって声は最重要要素の一つ。

 詠唱の有無によって術式の精度や威力が大幅に変わってくる。


 それを潰す魂胆だろう。


 でも、だからこそあたし達魔術師は入念に準備しているのよ。


 鉄板すら刺し穿つ指先が喉を捉えた直後に、チョーカーに組み込んだ魔力障壁が自動的に展開された。


 エネルギーとベクトルをそのまま真っ直ぐに反射する術式。


 空間に現れた壁に見事的中した女の手は、指の骨を粉々に砕かれて手首の方までひび割れる。



「そのアヤイロって女は教えてくれなかったのかしら?

 魔術師の喉は地殻より硬いのよ」



 過剰な刺激で硬直した女のこめかみに、握り込まれた拳をそっと当てた。


 全ての指にはめていた指輪が輝き放ち、魔道具としての役目を全うする。


 人差し指の子は、脳みそを揺らし筋肉に電流を流す。


 中指の子は、死を連想させる痛みを与える。


 薬指の子は、幻覚を見せて正気を奪う。


 小指の子は、輝きを放つだけ。


 そして、親指の子が衝撃波を放つと同時に、あたしはその拳を勢いよくこめかみにヒットさせた。


 人を殴ると、やっぱり拳が痛い。


 痛みを感じる拳を振りながら地面に着地して、杖を再び構え直す。


 三メートル程度後退したメートゥナは……二本の足でしっかりと立っていた。


 嘘でしょ……。



「こっちはついさっき腕吹き飛ばされてんだよ。

 こんな弱っちい技じゃアタシはくたばんねええええ!!」



 せめて混乱ぐらいはして欲しかったんだけど……。


 興奮キメた野蛮な馬鹿は、正攻法が効かないから嫌いなのよね


 耳に着けていたピアスを無理矢理取り外す。


 皮を引きちぎるようにして手に取ったそれを、目前の空間に下投げで放った。


 ピアスに組み込まれた術式の名前は、『時間遅らせ小結界カッコ仮』


 その名の通り、小さな結界を作り出して中に侵入してきた者の行動を遅くする魔術。


 興奮しきっているメートゥナは、突進しながら結界を侵した。

 そのはずなのに、彼女の振りかざした拳はギリギリ認識できる速度であたしに向かってきた。



「こいつっ!? マジでヤバい脳筋じゃん!」



 そして卑怯なこの女は、再び脇腹に拳を当てた。


 叫ぶ暇すら与えられない速度で、あたしは屋内を直線運動させられる。


 体の側面を擦り付ける様にして着地すると、口から胃液やらなにやらがドバドバ排出された。



「がはぁぁぇ、うおぇえぇぇ……」



 肋骨も肝臓も大腸もぐちゃくちゃだ。


 でも、おおよそ計算通りだ。


 突きの位置をずらして飛ばされる方向を操作したおかげで、あたしの目的は果たせそう。


 あたしの目の前、その床に落ちていた肉塊を拾い上げる。


 ごめんねエリゼ。

 間に合わなかったけど、こっから巻き返してみせるから。


 ……。


 これであたしの勝ちだ。


 願いを叶える肉体はもう、あたしのての中にある。



「エリゼは返してもらうわよ」



 筋肉が程よくついた足を抱きしめながら言の葉を紡ぐ。

 切断面から垂れる血液が衣服に付着しようが、皮膚についた汚れが移ろうが関係ない。



九極世界の龍華召喚リューカ・フォン・ノイングライヒ



 刹那、土煙の中に青い電撃が走り、九人の人影が出現した。


 やがて煙が晴れると、顔の同じ少女達が姿を表す。


 少女達はただ一点、標的である褐色の女を捉えていた



「どういうつもりだ、魔術師。血迷ったワケじゃねーよな」



 あたしが召喚した彼女達は、あたしと同じ背丈で同じ顔をしている、つまりあたしだった。



「あらゆる可能性を極めた平行世界のあたしを召喚したのよ。

 剣士に憧れたあたし、斧使いに憧れたあたし、弓兵、武闘家、暗殺者、その他諸々。

 ざっと九人のあたしってとこね」



 パン作りを極めてそうなトング使いのあたしや、バニーガールなあたしが居るのは気にしないでおこう。



「そんなのはどうでもいいんだよ。

 アタシが言いてーのはな……。

 無能なお前が増えたからって、勝てると思うなよってことだ」


「……例えば、剣士のあたしは聖騎士ミュエルと同等だし、武闘家のあたしはあんたを凌駕している。

 暗殺者のあたしはきっと常人じゃ予測できない範疇から殺しに掛かるでしょうね。

 どう? 勝てそう?」



 煽り言葉と同時に、九人のリューカ・ノインシェリアはそれぞれ構えを取った。


 武装を纏った少女達が究極を以ってお前を潰す。



「アタシを捻り潰せる?

 つまんねー冗談だな。

 アタシが全員殺してやるよ!!」


 ……。


 ま、全部幻影なんですけど。


 流石にエリゼの足に抱きついたからって魔力全快になるわけじゃないし。


 これは見せかけの脅し。


 いわば本命に近づくための隠れ蓑。


 本物のあたしは、まやかしに混じってセレナに近づいていた。


 質量を持たせた幻影と組み手を交わしている女を背に、あたしはセレナに近づいて手を握る。



「ひゃっ!? って、リューカさんいつの間に……」


「セレナ、魔力借りるわよ」



 それだけ言うと、聖女様はあたしに聖魔力を流し始めた。


 体内が魔力で満ちていく。


 空いた手で杖を構えて、呪文を唱える。



「母なる星は終焉抱きて明日を産む。停止時間の中で白を祈れ。

 望む者よ、昏きを殺して光を宿さん。

 照らし、崇め、消し飛ばせ、フレイムノヴァ」



 詠唱の後、灼熱の炎球が空間に顕現する。


 それは彼方を照らす擬似太陽。


 空中に浮遊する高温によって屋根や壁を吹き飛ばしていた。



「……セレナ、大丈夫よ。殺しはしないから」



 杖を軽く振り下ろすと太陽は幻影に囲まれる褐色の女に向かって沈んだ。


 轟音と共に廃墟は弾け飛び、溶け爛れる。


 聖なる魔力で構成されているその術式は悪意ある者をより傷つけるが、命までは奪えない。


 これで終わりだ。





 ☆





 太陽を模したフレイムノヴァが落ちて数分後。


 あたしとセレナは術式爆心地を捜索していた。


 でも、そこにいるはずの女がどこを探しても出てこない。



「りゅ、リューカさん、まさか殺しちゃったんじゃ……」


「ほぼあんたの魔力で展開した術式だから、生き物は殺せないわよ」


「よ、良かった。私、人殺しに加担しちゃったんだと思っちゃいました」



 そのまま、セレナに治癒術を掛けてもらい捜索を続ける。


 そして、あたしは見つけてしまった。


 地面に空いた大きな穴を。


 その下には瓦礫の山が積み上がっていて、その隙間を覗くと地下深くに通路が見えた。


 術式に衝突する寸前に地面を破壊して、そのまま下に降りて行ったのか。



「下水道……逃げられた……」



 緊張が解けその場に座れこむ。


 最悪。


 下水道の存在なんて考えもしなかった。


 こんなことなら、地面の下にも結界を張っておくべきだった。



「リューカさん、大丈夫ですか?」



 治癒術を掛けてくれている聖女様は、心配そうにあたしの顔を覗き込む。


 脇腹に二度の全力攻撃に加えて、罪を犯していない者だけが自在に扱える聖魔力は、あたしの体内を悉く破壊していった。

 とは言っても、聖なる魔力は罰として痛みを付与するだけなので体に傷は与えられていないけど。



「大丈夫なわけないでしょ……はぁ、んっ! いっつぅ……。

 ……さっさと次の地点行くわよ。

 エリゼの足を綺麗に治せるのは、セレナぐらいなんだから」



 逃したあの女を追いかけている暇はない。


 一刻も早くエリゼの元に向かわないと。


 あたしの予想が正しいのなら、彼女の足はもう一本切断されて持ち出されているはずだ。


 こんな最低な事件、早急に解決させないと。



「分かりました。でもリューカさんの治療も最優先事項です。

 なので移動しながら治癒術を掛けますね」



 そう言って、あたしはセレナに抱き抱えられた。


 年下の少女に……抱かれてしまった。

 お姫様的なあれで。



「ちょ、流石にこれは……恥ずかしいっていうか、死にたい」


「私、これでも大真面目ですよ。

 だから我慢してください。

 零距離で術式を付与できて効率も良いですし」



 随分と小柄な聖女様は、あたしを抱えながら走り出した。


 その小さな腕の中であたしは悔やむ。


 相手を逃してしまったことへの懺悔。


 最悪。


 本当に最悪。


 あの女……絶対仕留めてやる。

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