第99話 純白のドレスだって、容易く泥に染まる

 過去のエリゼ視点



太陽が登り始めた朝。

わたしは洗面所にいた。


歯磨きを終え、鏡とにらめっこをしている。


 昨晩、アヤイロちゃんに襲われかけた。

 わたしはそれを拒絶してしまった。


 嫌われたかもしれない。

 そんな不安が胸を満たしている。


 このパーティに誘ってくれたのは彼女なのに……。


 受け入れるべきだったのかな。


 浴場前の脱衣所で顔を洗いながら自問自答を繰り広げる。


 どうすればもっと仲良くなれるのか。

 このパーティで楽しくやっていけるか。


 誰かと友達でいられるのって、案外難しいことなんだ。


 タイミングとか運とかが悪いだけで、いつかは仲良くなれるものだと思い込んでいた。


 でも違った。


 もっと深く考えて行動しないと、わたし達の間にある溝は埋まらない。


 まずは、アヤイロちゃんに謝ろう。

 強く当たりすぎたわたしにも非があるから。


 濡れた顔をふかふかのバスタオルで拭いていると、室内にネイハちゃんがやってきた。


 彼女はキョロキョロと何かを探すように、あるいは迷っているように首を動かしている。



「どうかした?」


「んー……ちょっとエリゼ、メートゥナ迎えに行ってきて」


「え……」


「そろそろ依頼の日じゃん?

 あいつも呼び戻さないとってアヤイロが言っててさ〜、だからエリゼ行ってきてよ」


「それ、ネイハちゃんが頼まれたことだよね……。

 わたしあんまり行きたくないかも」


「いいから行けって言ってんじゃん。鬱陶しいんだけど!

 どうせエリゼ暇なんだから、『クラウン』のために働けっての!!」


「えー……もう、分かったよ。その代わり何か奢ってよね」



 メートゥナちゃんか……。

 人をまるで物のように扱って、他人の気持ちを考えられない人。


 いずれは彼女との仲も良好なものにしないんだけど、どうしても気遅れしちゃうな。


 できることなら、なるべく関わりたくはない。


 『えるにゃ』を痛めつけるし。


 ううん、そんな弱気じゃ駄目だ。

 ちゃんと彼女と向き合おう、それで少しだけでもいいから思いやりをもってもらおう。



「飴とかでいい?」



 ネイハちゃんがお礼を飴で済ませようとしているのは無視しておいた。





 ☆





 薄暗い通りを歩いていた。


 人が賑わう大通りから十分に離れた裏通り。

 無法地帯とまではいかなくとも、治安はかなり悪い場所だった。


 道端にはこの通りを表している看板のような人達がいる。


 酔いつぶれている人、たむろしている不良少女達、強引な客引き、何かのスカウト。


 そして、立ち並ぶ店舗は軒並み酒場か風俗店。

 所々に定食屋さんがあって、この通りには人の欲求が詰まってるな、なんて呑気なことを考えたりしていた。


 あとは、多分違法っぽい賭場もあった。


 アングラと呼ぶにふさわしい通り。

 わたしには合わない場所だけど、ここに居る人達にとっては心地のいい場所なのかも。


 ネイハちゃんの説明通りだと、あと少しでメートゥナちゃんがいる建物に到着するはずなんだけど。


 メートゥナちゃんが作った『スルト』っていうグループが所有してる建物。

 そういうのってクラブハウスって言うんだよね。


 なんだか別の世界のお話みたい。


 田舎くさいわたしには無縁の場所、無縁の活動、無縁の人達。


 わたしは近寄り難いのに、悪意あるそっち側の人間はこちらへ接近してくる。

 それが苦手だった。


 さっさとメートゥナちゃんを連れて帰ろう。


 それから少し歩いたところで、目的地に到着した。

 想像していたよりも大きな建物だ。


 ちょっとした仲良し活動だと思っていたんだけど、どうやらメートゥナちゃんが作ったグループは相当大きな組織らしい。


 意を決して玄関扉を開ける。

 が、その先には誰もいなかった。


 受付カウンターのような場所も見えるけど、誰も待機していない様子だ。



「あの、メートゥナちゃんいますか?」



 誰も居ない空間に声が響き渡る。


 本当に誰も居ないのか……。


 困っていると、廊下の奥に見える扉が開かれた。

 同時に、大きな音楽が聞こえ始める。


 防音が徹底されている建物なんだ、ここ。



「あー……いるけど、あなた誰?」



 扉を開けて出てきたのは、ショートカットでボーイッシュなお姉さんだった。


 細いズボンとシンプルなシャツを着た彼女は、綺麗な足の運びを見せながらわたしへと近づいてくる。



「わたし、メートゥナちゃんと一緒にギルドで活動してて、それでメートゥナちゃんを迎えに来たんですけど」


「そういうことね。

 けど、メートゥナさんは今奥の部屋で寝てるんだ。

 ちょっと上がってきなよ、お茶もだすからさ。

 それで、名前は?」


「えと、エリゼ・グランデです」


「そっか、エリゼちゃんだね。さ、ついてきて」



 腰に手を回されて、わたしはそのまま奥の部屋へ案内された。


 良い匂いがする


 甘い匂い。


 って、近い近い。


 流石に出会っていきなり腰に手を回すのは良くないと思うんだけど。


 ここではこれが普通なのかな。


 緊張か照れかは分からないけど、胸がドキドキしだしてる。


 クラブハウスの中は、綺麗な女の人がたくさんいた。

 見渡す限り、スタイル抜群な体をもっているお姉さんしか見当たらない。


 ファッションショーに出演しているモデルの人や、人気な劇団の役者までもがこの空間に存在している。


 思っている以上にすごい組織なのかもしれない。

 この『スルト』というグループは。


 でも、一体何をする集まりなんだろ。

 こんな裏通りに拠点まで置いて。


 部屋の角に置かれたローテーブル。

 それを囲うように設置された円状のソファに座らされる。


 すると、どこからともなく使用人のような女の人がやってきて、飲み物が入れられたティーカップをわたしの前に置いた。



「生姜入りのお茶だよ。

 すぐに体が温まる優れものだから、ぜひ堪能してね」


「わぁ〜! ありがとうございます!」



 カップを手に取る。

 中には青色の飲み物が入っていた。


 青いお茶なんてあるんだ。


 香りが独特だけど、生姜のせいかな。


 ゆっくりと口に付け、飲み込む。



「あ、美味しい」


「でしょ? 私のお気に入りなんだ」



 体が温まっているのを感じる。


 それに、なんだか感覚が鋭くなってきている気がする。


 部屋の中で流れている音楽が、そこらで経っている美人と美人の会話が、鮮明に聞こえる。


 眩しい。

 光がとても眩しい。


 残っていたお茶を飲み干す。


 あれ、さっきよりも美味しい。

 もっと飲んでいたい。


 汗が湧き出てきた。

 とにかく暑い。


 生姜ってこんなに即効性あるんだ。


 体がぽかぽかする。



「んー……ちょっと暑いかも」


「なら上着を脱いじゃおうか。んしょっと、ほら涼しくなった」


「あ、わざわざありがとうございます」



 お姉さんはわたしの上着を脱がせると、顔をじっと見つめ始めた。


 恥ずかしい。



「そろそろ、お姉さんが気持ちよくしてあげよっか。

 久しぶりなんだ、ウブな女の子と遊ぶの」



 腕を掴まれた。


 そして、そのままお姉さんはわたしに顔を近づけてくる。


 これ、ちょっとまずい。



「ま、待って……そういうのは」


「緊張しなくて大丈夫だよ。ほら、私に身を委ねて」


「やめて……わたし……好きな人がいるから……」


「へぇ……妬けるし、燃える。

 そんな純粋で可愛いエリゼちゃん良いものあげるよ」



 ショートカットのお姉さんは、テーブルの上に置いてあった細長いペンのような物を手に取ると、その先端をわたしの腕に当てた。


 チクリと鋭利な痛みを感じた。



「え……?」



 ……何か、打たれた。


 肘の内側に、腕の静脈に。


 冷たい何かが、熱い何かが流れ込んでくる。


 何、何を、何を打ったの?


 こ、怖い。

 いや、いやだ。



「はぁ……はっ……あぅ、なにっこれぇ」


「ほら、これもあげる」



 炎に炙られた何かを嗅がされた。



「あ……? あぇ? にゃに、これぇ……」



 呂律が回らない。


 思考が……凍っている。

 思考が……溶けている。


 じわじわと体中が熱くなる。

 血管を通る何かがわたしを蝕んでいる。


 頭が、頭の中が寒い。

 冬の結晶よりもももっと寒くて。


 なのに、顔は熱い。

 夏の砂浜よりも熱くて溶けそう。


 心臓が高鳴る。

 まるで誰かに恋をしているみたいに。


 怖い。

 自分が、自分じゃなくなる。


 あっ……あー……。


 えーっと……えへっ。


 あはっ、何だか少しだけ、楽しいような。

 久しぶりに、幸せなのかも。


 あははは!


 ああ、なんかもう、嬉しいし歪みないし軋んでいる。


 だって、だって! 騎士様がいるんだもん!


 ほら、わたしの前に、だいしゅきなミュエルしゃまが。



『我が姫エリゼ、貴様はずっと私の所有物だ』



 素敵です、ミュエル様。

 わたしを狂わせて、あはははは!!


 星が笑ってる。


 いつまでも、ミュエル様は綺麗で、美しくて、それで、それでそれで!!


 ぁあ、わたしを、守って。

 その綺麗な顔で、逞しい体で、わたしを抱きしめて。


 夢、憧れ。


 わたしを彩った人。


 大好き、大好きっ!


 ずっと前から、ずっとずっと大好きなんだから!


 ……。


 ……。


 ……。


 ……これ……なに……?


 最低だ。


 矛盾だ。


 不条理だ。


 未完だ。


 だって、これ、幻覚だもん。


 ミュエル様がわたしなんかに好意を抱くはずないもん。


 こんな駄目な人間を……ミュエル様が意識してくれるはず……ないから。


 あ、ああああああ、ああああああああああああ。


 誰かが、わたしを見ている。


 きっと罰が下る。


 痛い。

 頭が割れる。


 目が、ひび割れている。


 うあああああああああ!!


 ……あ、え、あえっ、か、カトレアちゃん……どうして、ここにいるの?



『あの時、もっと早く大剣を抜いてくれてたら、私達は普通でいられたのに』



 やめ、やめてえ!!


 ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい!!



『エリゼ、なんでオレらから逃げんだよ。

 なんで、お前だけ何も失ってねぇんだよ。

 責任持ってオレとカトレアを支えろよ。

 ……ほんと使えねぇ』



 しゃ、シャウラちゃん……?


 あぁ、あああああああああ、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい!


 違う、違う。


 シャウラちゃんはこんなこと言わない。


 ……でも、本当はそんなことを思っているのかもしれない。


 口にしないだけで、心の中では……わたしを嫌っているかもしれない。


 ……。


 このまま、死んでしまえばいいのに


 死ねたらいいのに。


 こんなわたし、死んでくれ。


 お願いだから、こんな卑怯な人間、さっさと死んでよ。



『死なせないよ、わたしは』



 わたしは気を失った。





 ☆





 目が覚めると、わたしは汚い路地裏の端で寝ていた。


 全身が臭い。

 嗅いだことのない匂いが染み付いている。


 頭が揺れている。

 割れるように痛い。


 吐きそう。

 というか、どうやらわたしは既に嘔吐した後らしい。


 目の前の壁には吐瀉物が撒き散らしてあった。


 最悪だ、掃除しないと。


 ……。


 別にもう大切でもなんでもないけど、わたしはショートパンツの中、さらにその下を確かめた。


 ……ああ、良かった。



「はは……何安心してんだろ、わたし」



 捧げる相手もいないそれは、まだ奪われていないようだった。


 多分、打たれたクスリが良くない方へ作用したから、あの部屋にいたお姉さん方には相手にされなかったんだろうな。


 幸運だった。


 捧げる相手……か。



『聖騎士ミュエル様』



 いやいやいや、何考えてるんだわたし。


 恋愛小説みたいな妄想はやめろ。


 恥ずかしい恥ずかしい恥ずかしい。


 憧れの人と恋仲になれるなんて絶対にありえないんだから。


 ……。


 ……はは、なーんだ。

 まだそんな妄想できるぐらいには元気じゃないか、わたし。


 そうだよ、わたしは……エリゼ・グランデは明るいのが取り柄なんだから、落ち込んでいられない。


 まだ、戦える。


 まだ、生きられる。


 まだ、諦められない。


 ……まだ、頑張れる。


 だけど、今日はもう帰ろう。


 疲れた。


 メートゥナちゃんのことはもうどうでもいい。

 その内勝手に帰ってくるだろう。


 ……こんな最低なグループを作っていただなんて、知りたくなかった。


 とりあえず今は早くここから離れたい。


 震える体に鞭を打ちながら、わたしは帰路についた。

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