第66話 善行に生きる聖女 / 大罪を犯す魔術師
駄菓子屋でエリゼ達と離れてから二時間。
あたしとセレナは脱走した犬を捕まえて、迷子の女の子を母親の元まで連れて行き、落とし物の財布を当人に届けるなどの善行を積んでいた、
……なんで?
隣を歩いている純白の修道女は、やたらと嬉しそうな笑顔を浮かべている。
あたしは顔面に疲労と疑問と呆れを宿している。
「さぁ、この調子でどんどん善い行いをかましていきましょう。
聖女通る先に災い待たれど、聖女通った後に迷い人非ず。
この言葉、千年先にも残ってそうですよね」
妙に語感がいい言葉を口にしないでほしい。
頭の中で永遠にフレーズがループするから。
「あんた、これで店の巡回が滞ってたら洒落になんないわよ」
「大丈夫ですよ。安心と信頼と純潔を冠する私は、何事にも全力で取り組む上に手を抜かないことで有名なんです。
だから仕事の方も予定通りに進んでますよね」
「その通りなんだけど、こんな働き方してて大丈夫なわけ?」
「ええ、ご心配なく。私、鍛えてますので!」
善行を積みつつも、しっかりと仕事をこなしているこの聖女のことは純粋に素晴らしいと思う。
高スペックな性能を存分に他者へと捧げているのも美的だと言える。
ただ、その自己犠牲をあたしは嫌っている。
はっきり言って大嫌いだわ。
自分の人生を他人に捧げるなんて想像もしたく無い。
あたしはそう思ってしまう。
もう、他人に振り回されるのはたくさんだから。
だけど、その大嫌いな自己犠牲のおかげかしら。
彼女は人々に愛されている。
すれ違う少女が言う。
「聖女様! この前はありがとう!
聖女様のおかげでクルルちゃんと仲直りできたよ!」
「どういたしまして。
友達とは喧嘩をしなくてもいいらしいんですけど、大好きな子となら何度かぶつかり合うのも良いみたいですよ。
二人の縁が末長く続きます様に」
すれ違う妊婦とそのパートナーが言う。
「聖女様、荷物を運んで下さって助かりました」
「その、こいつのこと助けて貰ったみたいで、ありがとうございます。
本当はアタシが付いてあげなきゃ行けなかったんですけど……」
「いえいえ、聖女として当然のことをしたまでです。
次からは一緒に買い物に行ってあげてくださいね
二人が幸せな未来を歩めることを祈っています」
その後もセレナは多くの人から声をかけられては感謝を述べられていた。
いつ見ても圧巻ね。
聖女様がどれだけ正しいことをしてきたかを、その光景が証明してくれている。
それにしても、この聖女。
他人の恋愛も手助けしてんのね。
意外だわ。
そういうのには疎いと思っていたんだけどな。
「結構人気なのね、あんた」
「えへへ、その様ですね。
あ、勘違いして欲しく無いんですけど、私の善行は何も見返りを求めていませんので。
私の行いを皆さんが勝手に評価して下さっているんです。
ありがたいですね、にひひ」
「いくら聖女様とは言え、そのニヤけ面はどうかと思うわよ」
言葉が吐き出されるに連れ、彼女の顔は綻びていった。
見てるこっちまで嬉しくなる笑顔なら問題ないんだけど、セレナが今浮かべている表情はお世辞にも綺麗だとは言えない。
あんまり言いたくはないけど、馬鹿っぽい。
ていうか、いくら見返りを求めていないことをアピールしたいとは言え、評価されていることに対して、『勝手に』なんて修飾をするなよな。
多分、聖女ポイントとやらは大幅減点だと思う。
「えぇ、そんなニヤけてます私?
まぁ、正直なところ人に感謝されるのは嬉しいですから、生理現象ってやつですよ。
にしても、これじゃまだまだですね」
「どうしてそこで謙遜してるのよ。
人を助けていたらいつの間にか大勢から慕われていた、それって道理でしょ。
セレナに非なんて見当たりもしないんだけど」
「人から慕われるのは当然嬉しいしんですけど、私の夢は完璧な聖女なんです。
多くの人を助けて幸せを守る、そんな女になりたいんです。
だから、感謝の有無で一喜一憂している様では半人前だなと思いまして」
なんだこの子、もしかして気付いていないのか。
現在進行形で夢を叶えている最中ということに。
それとも、セレナが求めている聖女とやらは今以上に崇高な人間なのだろうか。
とは言え、あんたは良くやってるわよ。
自分より他人を優先する生き方をしている時点で、セレナ・アレイアユース紛れもない聖女なんだから。
「セレナ、あんたは……その良い女になりそうね」
「は?」
やってしまった。
何も考えずに褒め称えてあげればよかったのに、変に気遣って気持ちの悪い言葉を紡いでしまった。
いやだって、夢について語られるとむず痒くなるし、仕方ないって言うか無理っていうか。
だって、あたしも魔術師という夢に向かって走っているわけで、夢を追うセレナを褒めると言うことは自画自賛なわけで、それはなんか違うわけで……。
それで、極限まで自画自賛に値する要素を削ぎ落としたのが今の一言だったということね。
こんなとき、あたしはどうすれば良いかを知っている。
「さ、残りの店を回るわよ」
無かったことにすればいいのよ。
「え?」
困惑する聖女様を無視して大通りを歩く。
☆
担当する地区の出店内容を確認し終えたあたし達は、駄菓子屋で待っていたエリゼとミュエルを連れて、お馴染みのアンティークなカフェで休憩していた。
今日のメインはここからね。
教会の手伝いなんてただの建前。
なんだか落ち込み気味のミュエルを励ますには、こういう友達と過ごす瞬間っていうのが一番効果があるでしょ。
あたしも、エリゼとミュエルとセレナの四人で駄弁りたかったし。
これまで友達なんて一人もいなかったせいかもしれないけど、あたしは友達と仲良く過ごしたいという欲の歯止めが効かなくなっている。
今みたいに食事やお茶会もしたいし、買い物もしたいし、もうなんでもしたい。
……じゃなくて、できるだけエリゼと近くにいて願望器としての力の恩恵を受けておきたかっただけよ。
「ご注文は以上でよろしいでしょうか?」
あたし達四人が囲む大きなテーブルに料理を運んできてくれた店員はそう言った。
「はい、これで揃いました。ありがとうございます、店員さん」
セレナがそう答えると、あたしらも続ける様にして各々礼を口にする。
店員は軽く笑みを浮かべながら厨房へ帰っていった。
「それで、あんたら二人はまたパンケーキなのね」
アランを打ち上げたあの夜と同じく、エリゼとミュエルはパンケーキを頼んでいた。
ほんとに好きなのね。
「ふふん、よく見てよリューカちゃん。
今日のパンケーキは一味違うよ。
あの時は旬の苺が盛り付けられていたけどさ、ほら見て!
アイスだよアイス! バニラのアイス!
夏という季節に最も輝く至高の氷菓子とパンケーキ。
これ以上の組み合わせって世界に存在しないよね」
「む、それを言うならあたしだって負けてないわよ。
なんてったって、肉汁たっぷりのハンバーグにチーズのお布団を掛けた最強の組み合わせなんだから。
もはやハンバーグとチーズはカップルと呼んでもいいわ。
なんなら結婚よ結婚」
あたしは注文したアンティーク要素皆無のハンバーグを見せつける様に対抗する。
自分でも何を言っているか分からないけど、この組み合わせが美味だと伝わればそれで良い。
ちなみに、それとは別に山盛りの唐揚げも注文している。
「エリゼさん、リューカさん。食べ物の組み合わせの頂点は人それぞれです。
アイスクリームとパンケーキが好きな人もいれば、それを解釈違いだと思う人もいます」
「か、解釈違い?」
エリゼは頭の上にはてなマークを浮かべていた。
その隣に座っているミュエルも同じく首を傾げている。
多分二人は初めて耳にする言葉だったんだと思う。
と、そこで大きな音がなった。
内臓が動く音、つまりお腹の音ね。
少し前、夜の公園でハンバーガを目にしたエリゼを思い出す。
あの時もこんな音を鳴らしていたなと、彼女の方を見ると「わたしじゃない」と言わんばかりに首を振っていた。
となると、メイドの方か。
いや、でも音の出どころはあたしの左側で、その席座っている少女は……。
再び音が鳴った。
確信する。
これは可愛らしい聖女様のお腹の音なのだと。
だけど、当の本人は全く気にせずに会話を続けている。
「それに、そんな争いをしている余裕はないと思いますよ。
せっかく料理人が最高のクオリティで品を出してくれたんですから、質が落ちない内に食べないと失礼です。
さぁ食べましょう!」
喋っている間もお腹が鳴り続いていたんだけど、セレナは顔色一つ変えずに言い切った。
とんでもない女優が宿っている。
「セレナ、お腹空いてるのは分かったから適当にそれっぽく教えを説くのはやめなさいよ。
ていうか、あんたの注文したそれ、なんなの?」
「修道女専用のメニューですね。サラダと豆料理です」
「いや、それは分かってるんだけど……その量よ」
聖女様の前には豆料理とサラダが用意されているんだけど、大皿に盛られたその野菜は、肘から指先までの高さほどに達していた。
修道女なら、もっと食欲を抑えるものだと思ってたわ。
「私、めちゃくちゃに動くのでこれぐらい食べないとバテるんですよね」
「聖女様って食欲は制限しなくていいの?」
「リューカさん、三大欲求をご存知ですか? 三大欲求というのは」
「あ、結構です」
危ない危ない。
このまま説教が始まると食事時に聞きたくない単語が連発するところだった。
「ふふ、じゃあそろそろ食べよっか」
エリゼが話を遮る様にそう口にしてくれた。
ナイスアシストよ、エリゼ。
だけど、一ついっておかないといけないことがある。
あたしの目の前にある山盛りの唐揚げについてだ。
「ちょ、ちょっと待ちなさい。
ほら、この山盛りの唐揚げを見て何も思わないの?」
「んー、リューカちゃん食いしん坊だなぁとしか」
「エリゼさんに賛同です。太りますよ」
「違うわよ! これは今日手伝ってくれた二人へのお礼よ!
ていうかあんたらは知ってるでしょうが。あたしが少食だってこと」
こんなに大盛りの唐揚げを平らげたら、きっとあたしの胸は焼けてなくなるわ。
これは「ミュエルは確か大食いだったわね」ということで元気付けるために頼んだ料理よ。
あたしは、テーブルに用意されている小皿に唐揚げを分けると、それをエリゼとミュエルの前に差し出した。
「ほら、これ食べて元気出しなさいよ」
「リューカ……感謝する。ありがとう」
やっと顔を緩めてくれたわね、このメイド。
さっさと元気取り戻しなさいっての。
「あ、そうだ」
小皿に取って配った唐揚げに『レモン』をかけてあげないと。
あたしって案外気遣いできるタイプなのね。
なんてことを思いながらエリゼとミュエルの唐揚げにレモンを絞って果汁を浸した。
ま、善行とまでは呼べないけど聖女ポイントは上がったんじゃないかしら。
ミュエルの喜ぶ顔を想像しながら彼女の顔をちらっと覗く。
「魔術師……これは嫌がらせか?」
「え? いや、気遣いっていうか、なんていうか……あれ……?」
ミュエルは今にも泣き出しそうな顔でこちらを見ていた。
え、ええ、ええええ!?
あたし、何かしちゃった?
も、もしかして、自分でレモンをかけたかったのかな……。
「リューカさん、それは気遣いになってませんよ。
ただの嫌がらせです。この聖女の目の前で非道を犯すとは舐め腐ってますね」
「な、なんでそこまで言われないといけないのよ……」
「リューカちゃん、唐揚げにレモンをかけない人もいるんだよ。
わたしは良いけど、ミュエルさんは……」
う、嘘でしょ。
そんな、考えたこともなかった。
唐揚げにレモンをかけない人間がいるなんて。
そっか、あたしが思っている以上に世界って広いんだ。
「うっ、ごめんミュエル。あたし、喜んでくれると思って……」
「リューカさん、それは卑怯ですよ。
そんなこと言われたら同情するしかないじゃないですか。
ほんとコミュニケーションを知らない人ですね」
辛辣な言葉を容赦なく浴びせられた。
まるで大罪を犯してしまった様な罪悪感がのしかかってくる。
「……リューカ、気持ちは受け取った……ありがとう」
そう言いながら、メイドは苦い顔をしながら唐揚げを食べてくれた。
ごめん、ミュエル。
あたしがレモンをかけてしまったばかりに辛い思いをさせてしまった。
☆
「ねぇ、リューカちゃん。明日は何をするの?」
エリゼはパンケーキと唐揚げを交互に食べながら、そう質問をしてきた。
こいつ舌おかしいんじゃないかしら!?
という個人的な感想は控えた方が良いわね。
そのツッコミはコミュニケーション初心者のあたしには早すぎる。
きっと、そういう組み合わせが好きなんだろう。
「明日からは教会内の飾り付けが中心ね。
多分、祭典に差し掛かるまでずっと教会内の準備だと思うわ」
「そっかぁ。んー、どうしようかな」
「ん? 都合が悪いなら正直に言いなさいよ。
手伝いを辞めたいならそう言ってくれれば良いし。
それぐらいじゃあんたを嫌いにはならないからさ」
「あ、全然そういうんじゃないんだよ。
その、屋敷から教会までちょっと距離があるなって」
あー、そう言うことか。
完全に盲点だった。
もっとエリゼやミュエルの立場になって考えるべきだったわ。
ほんとだめだめね、あたし。
んー、となると、どうするべきか。
教会前の宿を取ってあげても良いわね。
と、考えを巡らせていると、聖女様が声を上げた。
「そ、それなら、あの、私の部屋を貸し出しますよ!」
セレナは緊張しているのか、目を左右に繰り返し移動させ唇を舌で濡らしている。
なるほど、そう言うことね。
聖女様の発言を翻訳するとこうなる。
『私の部屋でお泊まりしましょう!』
これは、願うことができない聖女による精一杯のお誘いだと言うこと。
比較的セレナとの付き合いが長いエリゼは何かを察したのか、優しい笑顔で応える。
「だってさ、ミュエルさん。お泊まりしちゃう?」
「ん。たまには、そう言うのも悪くないな」
「それなら良かったです! ぜひナイトウェアや洗顔類もお忘れなく!」
聖女様は柄にもなく嬉しそうにはしゃいでいる。
相当テンションが上がっていると見た。
そして、あたしも。
テンペストでいた時ですらみんなと同じ部屋で寝ることは無かったんだ。
だから、ちょっとだけ楽しみね。
ほんの少しだけね。
「ったく、狭い部屋がもっと狭くなるじゃない。
楽しい話の一個や二個は用意しときなさいよ」
「リューカさん、そのニヤけ面はどうかと思いますよ」
どうやらあたしの感情は隠せていなかったらしい。
多分、今頃顔が赤く染まっているんじゃないかな。
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