第45話 幸せの形、大好きな手料理

 

 夕暮れ。

 鮮やかな朱を宵闇の紫が喰らっている空。

 二人で住むには少し広すぎる屋敷。

 薄着で過ごせるぐらいには暑い気温。

 キッチンから聞こえる包丁が人参を縦断する音。

 ワンピース型の黒い給仕服に白のエプロンを重ね着しているメイドの背中。


 そして、それを眺めるわたし。


 なんか、今日は色々あったな。

 かっこよく無い部分ばっかり見せちゃった気がする。


 新しい騎士団団長に対する余裕の無さ。

 驚かされて尻餅をついたところ。

 手汗塗れの恋人繋ぎ。


 思い返してみれば面白い気もするけど、わたしとしては無様な姿は見せたく無いんだよね。

 ずっとかっこいいとこだけを見せていたい、そう思うのはまだまだ未熟な人間だからだろうか。


 本当に素晴らしい愛の形ってのは、恥ずかしい格好も受け入れる、とかそんな感じかもね。

 実際、わたしはみゅんみゅんが何をしでかそうが全てを愛しく感じる自覚がある。


 ボウルの中に落とされた卵を溶く金属音が鳴り響く。

 油を敷かれたフライパンの上で肉が踊っている。


 良いな、こういうの。

 とっても良い。


 わたしも久しぶりに少しだけ手伝おうかと聞いてみたんだけど、断られてしまった。

 彼女は、今晩の料理を何としてでも自分の手で完成させたいのだとか。


 せっせと調理工程を進めていくメイドを眺める。

 レシピ本片手にせっせと動くその姿がとても愛しい。


 それから少し経つと、香ばしい空気が部屋に充満し始めた。


 なんか、嗅いだことのある香りだな。

 とても好きな匂い。

 大好きなあの匂い。


 あ、あれだ。

 わたしの大好きな料理だ。


 でもおかしいな、大好物だなんて一言も言ってないんはずだけど。

 もしかして、わたしが前に食べた時の反応を見て探られていたのかな。


 嬉しい……嬉しすぎて死んじゃいそう。

 めっちゃくちゃわたしのこと見てくれてるじゃん。


 この世で一番幸せなのって、もしかしてわたしなのかなぁ。

 あはは、それはないか。


 給仕服の彼女は、フライパンをひっくり返して、お皿に料理を盛り付けている。

 それを二つ用意して、わたしが座る食卓へと運んできた。


 長く綺麗に育てられた金色の髪を小さく揺らしながら、こっちへ向かってくる。

 体幹がブレてなかったり、大股で足を運んだりするところから、騎士としてのミュエル・ドットハグラの残り香がする。



「ご主人様の退院祝いオムライスだ、どうぞ召し上がれ」



 みゅんみゅんは料理をテーブルの上に置くと、綺麗なおすまし顔でそう言った。

 危うく心臓が止まりかけたけど、何とか耐える。


 大好物のオムライス。

 ライスを覆う卵の布団には、ケチャップで子猫が描かれている。

 以前見たそれより、少しだけ上手になっていた。



「すっごく美味しそうだよ!猫ちゃんも可愛いし!

 ……ねぇ、食べる前にみゅんみゅんの卵にわたしもケチャップかけたいな

 ほら、お約束でしょ?この流れ」


「ふっ、そうだな。頼むよ」


「ふふーん、お任せあれ」



 小皿に分けられたケチャップをスプーンで掬って、オムレツ部分に赤の彩を塗っていく。

 ささっと仕上げたそれは、もちろん最愛のあなた。

 うん、上手にかけたような気がする。

 ……いや、普通の出来だ。



「あ、あれぇ。前とあんまり変わんないかも……」



 わたしがオムライス上に描いたみゅんみゅんは、前に描いた時とほとんど同じ出来だった。

 だけどよく見ると、目の形やまつ毛の生え方、そういった細部にはこだわれるようになっている。

 近くで彼女の顔を見て来たからかな。



「十分だ、ありがとう。

 ふふっ、オムライスを作る度にこのやり取りを繰り返すんだな、私達は。

 いつまでも、ずっとずっと」


「えへへ、そうだね。わたし達はずっとずっと一緒だからね。じゃあ食べようか」



 みゅんみゅんが作ってくれたオムライス。

 前に作ってくれた時は端の方が破けていたりしたけど、今回は綺麗な楕円だ。

 本当お料理上手になったな。

 そろそろわたしは教えてもらう側になっちゃうのかな。

 それも良いな。

 色んな種類のご飯の作り方教わりたいな。


 そんなふうに考えながら、わたしは温かいそれをスプーンですくって口に入れた。

 ケチャップと卵とライスの割合をいい感じに合わせたオムライスを舌に乗せる。


 みゅんみゅんが愛情を込めてくれたであろうオムライス。

 わたしの大好きな味が口内に広がる。


 ……。


 あれ……?


 もう一口、今度は多めに頬張る。

 ケチャップがかかった部分を意識して食べる。


 口の中に入れ込んだ卵の表面を舐める。

 出来るだけトマトの酸味を感じ取れるようにと。


 ……。



「その……不味かったか?」



 みゅんみゅんは不安そうにそう言った。

 わたしが何度か顎を動かした後、完全に停止してしまったのを見て疑問に思ったんだろう。


 大丈夫、そんなことはないから安心していいよ、みゅんみゅん。


 決してそんなことは無い。

 不味いなんてこと、無い。


 ……。


 だけど、美味しくも無い。


 ……。


 味がしない。



「いや、美味しすぎて泣きそうだよ。みゅんみゅん本当にお料理上手になったよね」



 満面の笑みでわたしは返事をする。

 みゅんみゅんはそれを聞いてホッとしたようだ。



「そうか、なら良かった。ふふっ褒め上だな」



 胸がちくりと痛んだ。


 咄嗟に嘘を言ってしまった。

 みゅんみゅんに対して『言わない』っていう選択肢は何度も取って来た。

 だけど、完全な嘘を吐いたのは初めてだ。


 少しだけ、気分が悪い。


 ……。


 駄目だ、せっかくみゅんみゅんがプレゼントしてくれたお夕飯なのに、こんな気分になっちゃいけない。

 今日は待ちに待った楽しい日じゃないか。

 病棟でいる間、ずっと涎を垂らしながらみゅんみゅんの料理を待ちわびていたじゃないか。


 ……。


 何度食べても味がしない。

 そんなはず、ないのに。


 なんで、どうして……嘘。


 死にかけた命も無くなった体も全部戻って来たのに、もう異常は無いって診断されたのに、どうして……。


 ……。


 きっと疲れてるんだよ。

 きっとまだ本調子が戻って来てないんだ。


 そうだよ、瀕死の状態から体も作り直されたんだから、まだ味覚が戻ってこないのも普通だよ。


 うん、そうだよ。

 味覚だけじゃなくて、筋肉とかもまだ元に戻ってないし。


 なんだ、そう言うことか。

 それなら安心だよ。


 うん、絶対治るから。

 一生みゅんみゅんの料理を味わえないなんて有り得ないんだから。


 ……。


 この日、わたしを照らしていた数少ない星が一つ死んだ。

 唯一、わたしが幸せだと明確に感じていたものが消えてしまった。


 その晩からわたしは寝込むことになる。

 久しぶりに出歩いたから体を壊したのかも、とだけみゅんみゅんに伝えて自室に籠った。


 心配かけてごめんね、みゅんみゅん。


 ……。


 数日後、ツインールに髪を結んだ魔術師が家に訪問して来た。


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