第二章 照らされ出す暗闇、絶望に満ちたその片割れ
第39話 穏やかな風が吹き抜ける病室で
教会に入院してから二週間が経った。
医療を担当している修道女の方々がわたしの身体を診てくれている毎日。
どうやら、膨大な治癒魔術を以って再生したばかりのこの体は、正常に機能するまでに少しだけ時間が掛かるらしい。
わたしに掛けられた治癒魔術は、本来ならそういう部分も全て回復させることのできる『ゼタキュアル』という術式。
聞かされた話によると、不完全な準備を桁外れの魔力で補ったことによって効果にズレが生じてしまったらしい。
だけど、そんなのは些細なことだ。
生きていられるだけでも十分なのだから。
目が覚めた翌日からリハビリってやつを続けているおかげで、あの夜の様に満身創痍で移動をする、なんてことは無くなった。
そしてそのリハビリ中、わたしの身体を支えてくれている修道女の方に妬いているみゅんみゅんの顔が見れたのは、不幸中の幸いだろうか。
やっぱりみゅんみゅん可愛いがすぎる。
この閉鎖された狭い空間の中でも退屈せずに過ごすことができているのは、彼女が付き添ってくれているおかげだろう。
一つだけ嫌なことがあるとすれば、教会から出されるご飯が薄味すぎて美味しくないことだ。
薄味どころではなく、もはや味がしない。
控えめに言って最悪だ。
パンはもちもちでふわふわだけど、ただそれだけの物質。
スープはただ暖かいだけの液体。
色とりどりの野菜は素材の味すらしなかった。
栄養は摂れてそうだけど、無味ってのはどうかと思うよ。
教会に属する信徒の方針を患者にまで強要しないで欲しいな。
だけどこの御飯時が、この入院生活最大の楽しみでもある。
なにせ、我がメイドであるみゅんみゅんが口に料理を運んでくれるのだから。
ここまで来ると、もう介護の域に入っている気もする。
ま、実際そうなんだけど。
初めて口に料理を運んでくれた時、あの時は衝撃的だったな。
パンを手でちぎって運んでくれたんだけど、おっちょこちょいのみゅんみゅんはパンを掴む指をわたしの口へと侵入させてきた。
『もがっ!?』
『あっ』
恥ずかしがるみゅんみゅんの顔、口内から勢いよく引かれる指、それに引っかかって抜け飛びそうになる前歯。
あの時の感動と痛みは一生忘れられない。
お姫様だっこもしたし抱き合ったりもしたけど、粘膜に触れられたのは初めてだったな。
あれ、手を繋いだことってあったっけ。
……あれ?
なんだか色々と順番をすっ飛ばしている気がする。
案外、シンプルに手を繋いだりする方が変に意識してしまうのかもしれない。
今度、街に出掛けた時は手を引っ張ってみたりしようかな。
考えるだけで顔が熱くなる。
ベッドで座っているわたしの隣で椅子に座ってい本を読んでいるみゅんみゅんをチラっと見た。
わたしのセルフ赤面はバレていない様だ。
わたしの顔を冷ます風が窓から入ってきた。
とっても心地のいい風がカーテンを揺らしている。
春から夏へと移り変わっているのを感じた。
お昼も中盤に差し掛かった頃、窓から見える景色も白いこの病室の内側もただただ穏やかな世界が広がっている。
思わずあくびが出た。
何もすることがない。
今のわたしにはこれといった目標が存在していない。
みゅんみゅんの落とし物を取り戻した。
ナルルカさんの無念も晴らした。
次は何をしようかな。
今は何も思い浮かばないけど、みゅんみゅんと生活していく中で何か見つけられるといいな。
「ねぇみゅんみゅん、うちに帰ったら何しようか」
「私は、ご主人様に料理を作ってあげたい」
栞を挟んで本を閉じたメイドは、優しい笑みを浮かべながらそう言った。
そんな素敵な笑顔に対してわたしは、あの日破ってしまった約束を思い出していた。
遺跡に向かったあの日、屋敷を出る直前に告げたあの約束。
「あの日、お夕飯までに帰るって言ったのに……ごめ」
言い切る前に、みゅんみゅんの人差し指がわたしの唇に押し当てられた。
これ、キスの一歩手前では。
彼女は驚くわたしの顔を真剣な目で見つめている。
「謝るのは無しだ」
「うん……そうだね。ふふっ、じゃあみゅんみゅんのお料理、楽しみにしてるよ!」
「せめて私が指を離してから喋ってくれないか……」
なんだか、お互いの距離が少しづつ縮まってきている気がする。
だって、こんなにイチャコラぶちかましてるんだもん。
もう何年も前、聖騎士のミュエルにただ憧れていたあの頃のわたしは、きっとこんな未来が待っているなんて思ってもいないんだろうな。
「ご主人様は何かしたいことは無いのか?」
「うーん……」
駄目だ、本当に何も思い浮かばない。
正直みゅんみゅんと一緒なら何をしても楽しいだろうから、何でもいいって答えしか出てこない。
けど、なんでもいいって結局思考放棄と同じだから口に出したくないんだよね。
「色々なところに出掛けたいな。海も見たいし、山も登りたい。そんで、色んな思い出をみゅんみゅんと共有したいかな」
今のわたしが辿り着けた答えはそれだった。
みゅんみゅんと過ごす日々は例外なく全てが宝となる思い出なんだけど、どうせなら多種多様の彩りが付く方が良い。
本当にやることがなくなるまで、思いつく限りを二人で共にしていきたいな。
別にナルルカさんに対抗している訳ではないから。
夢の世界の中でマウント取られたからと言って、ムキになっている訳ではないからね。
「ああ、それはとても良い案だな。私もご主人様を連れて行きたい場所が無数にあるんだ」
「良いね。じゃあそのためにも、一刻も早く体を治さないと」
そう意気込んだところで、扉をノックする音が聞こえた。
リハビリは午前中に済ませたし、まだ夕飯の時間でもない。
教会の人じゃ無さそうだ。
一体誰なんだろう。
みゅんみゅんが入室の許可を伝えると、扉はゆっくりと開けられた。
二人の世界に、この病室に人が入ってきた。
「……久しぶりね」
やってきたのは、深い紫色の髪の毛をツインテールに結んだ度根性魔術少女だった。
その少女は、かつてわたしが所属していたテンペストと呼ばれるパーティで生活を共にしていた仲間の内の一人。
名前は、リューカ・ノインシェリア。
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