第30話 気づくのが遅いんじゃないか、元聖騎士

 メイドのミュエル視点



 おかしい。


 ご主人様が帰ってこない。

 夕暮れまでには帰ってくると言い、出かけた彼女がだ。


 既に空はオレンジを帯び始めている。

 お夕飯も出来上がった。


 そろそろ帰ってくると思ってたんだけどな、調理し出す頃合いが早過ぎたか。


 何もなければいいのだが。


 そう言えば、ここ最近の彼女はどこかおかしな部分があった。

 異変を感じ始めたのはおおよそ一週間ほど前から。


 あの人は時間が有り余っているにも関わらず、住居に引きこもりたがる体質だ。

 それにも関わらず、ここ最近は毎日のように街へ出掛けている。


 出掛けていると言っても、二時間ほどで用事を済まして屋敷に帰って来てはいた。

 彼女は、他人(わたし)の孤独を嫌う人でもあったからな。


 自分で思い返しておいてなんだが、顔が熱くなる。

 なんだか、私が思っているよりもこの関係性はずっと深い所で結ばれているのかもしれない。


 たった一ヶ月の付き合いだが、私あの人を信頼している。

 信頼に時間は関係ないのかもしれないな。


 いやいや、一人で惚気ている場合じゃない。


 そんな私思いのご主人様が約束の時間に帰って来ていない。

 たった一度約束を違えただけ、普通に考えればよくあることかもしれない。


 だけど、私たちは違う。

 それは異常事態なんだ。


 私からご主人様に向ける感情が少しだけ重い気がする。

 流石に入れ込み過ぎだろうか。


 いや、別に入れ込んでいても良いか。

 私たちは、もう互いに関係しかないのだから。


 探しに行かないと。


 けど、探しに出た私とすれ違いでご主人様が帰ってくる可能性も考えられる。

 いいや、そんな杞憂をしている暇はない。


 さっきから私は迷いすぎだ。

 ご主人様を探す、それだけを考えるんだ。


 大丈夫、安心しろ私。

 きっとご主人様はどこかでぼーっとしているだけだ。


 過剰に心配する必要はない。

 落ち着け、すいーとふらわーみゅんみゅん。


 自分に暗示を掛けようにして、焦る気を沈める。

 冷静を演じながら、私は動き出す。


 屋敷中の戸締りをして、最後に玄関の扉に鍵をかけた。



「行って来ます」



 玄関から棟門まで敷かれている石畳を素早く駆け抜ける。

 踏み込んだ勢いで道が傷つかないよう細心の注意を払いながら。


 敷地外に出たところで、有り余る力を少しだけ解放させた。

 屋敷から街までの道のり走り抜けるために。


 高速で大地を疾る。

 屋敷から林道へ、林道から市街地へ、視界はすぐに場所を移し替えた。


 通過してきた空間に風が流れ込み衝撃波が発生する。

 草木は枝にしがみつくように揺れ、潜んでいた獣は四方八方に退散していた。


 街の外れが見えたところで疾走する速度を抑え、滑らかに街道へ侵入する。

 屋敷から続く林道を出で最初に遭遇する閑静な住宅街を早歩きで移動する。


 街に来たは良いものの、ここからどうするべきか。

 早足で歩きながらそう考えていると、一人の女性が目に入った。


 とりあえずは、清楚感満載で少女のような見た目をしているその人を尋ねることにする。



「失礼そこの淑女。背丈が私の肩ほど、髪は暗い青でお下げにしている少女を見なかったか?」



 女性は私の足元から顔の頂点までをじっくり眺めると、可愛らしい顔を崩して睨みをきかせてきた。



「あ?メイドの癖に言葉遣いがなってねぇなおい。そうやって主人(あるじ)の品格を下げるのはお前だぞ?」



 驚いた。

 人を容姿で判断するななんて教訓があるけど、まさかこういう場合もあるのか。


 というか、この女性が言っていることは満場一致の正論だ。

 ご主人様は言葉遣いに関しては何も言及してこなかったから、私もすっかり直さずにいた硬い口調。


 よく考えなくてもメイドらしく無いな……。



「あ、すっすまな……申し訳、ございません。その、今説明した少女を見ていませんか?」



 女性は眉間に寄せていたしわを解いて、柔らかな表情へと変えた。



「見てねえ、他を当たりな。見つかるといいな、その女」


「ご協力感謝す……致します。それでは」



 お辞儀をしてその場を離れた。

 慣れきった口癖を矯正するのは少し緊張するな。


 今の女性は、都心部から自宅へと帰る途中だったらしい。

 彼女が知らないということは、おそらくこの町外れ、住宅が立ち並ぶ閑静な場所にご主人様はいないと考えていいな。


 ご主人様が行きそうな場所を思い浮かべる。


 ブランドショップ『アゲハアガペー』。


 次に目指すのはそのブティックだ。



 ☆



 都心部の中でも一番栄えている通りに隣接している筋、その奥に建っている目的地へ足を運ぶ。


 アゲハアガペーの看板を掲げるブティックの扉を開けると、黒髪の女店員が出迎えてくれた。



「いらっしゃいませ、ってエリゼさんのお付き人じゃないですか」



 早速新しく入荷した商品を勧めかけられたが、丁寧に断る。

 魅力的な衣類がたくさん並ぶ中、それを無視しなければいけない事情が私にはある。



「今日は買い物に来たわけではないんだ」


「え?冷やかしですかー?それとも、私をナンパにする気!?いやいや、いくら顔が良くても私は簡単に堕とされませんよー?」



 うっ、会って二度目の私に仕掛けるノリではないだろ。



「いや、そういうのでもなく……その、ご主人様が屋敷に帰ってこないんだ」


「え、いつからです?」



 直前まで調子の良いことを言っていた女店員は、私の問いを耳にした瞬間に真面目なトーンへと切り替えた。

 茶化さずに対応してくれるところを見ると、この人もご主人様を大事に思っていてくれてるんだろうな。



「今日の昼前からなんだが……」


「うーん、それならまだ心配する必要もない気がしますけど、そうも言ってられない事情がありそうですね。だけどごめんなさい、残念ながら私から教えられることは無さそうです」


「いや、大丈夫だ。それが聞けただけでも進展はあった」



 そうだ。

 小さくても一歩は一歩。


 このまま着々と歩みを進ませていけば良いんだ……。



「私の方でもエリゼさんを探ささせて貰いますね。では、またのご来店をお待ちしております」


「ああ、またご主人様と共に来させてもらおう」



 何も商品を購入しなかった私に対しても、女店員は一礼をして送ってくれた。

 私はそのまま店を後にする。


 ブティックから少し進んだ場所で、私は立ち尽くしてしまった。


 ここからどうすれば良いんだ。

 女店員にああは言ったものの、正直な話ここをアテにしていた。


 ここに来ていないという情報を得て一歩進むことは出来たけど、この調子じゃご主人様に辿り着くまで途方の無い時間が掛かってしまう。


 駄目だ、私はこれ以上ご主人様が向かいそうな場所を知らない。

 あんなに一緒に居たのに、何も知らないんだ。


 胸が痛い。

 あの人は私にメイドの全てを教えてくれているのに、自分のことは少ししか教えてくれていなかったんだ。


 もっと知りたい。

 もっと教えて欲しい。


 だから、早く見つけないと。

 落ち込んでいる場合じゃ無い。

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