第15話 もう互いに関係しかないんだから

 


「私はもう戦えないんだ」



 ミュエルさんがメイドに転職した理由ならいくつか想定していた。


 責務より夢を優先する覚悟ができただとか、聖騎士がいなくても十分なほど後継が育っただとか。


 だけど、あなたが発した一言で候補が絞れてしまった。

 想定していた中でも、絶対に当たってほしくなかった悲劇。

 そんな最悪で最低な現実が的中してしまったことを確信する。


 そうか、そうだよね。

 だって聖騎士なんて重役を簡単に辞められるわけがないもんね。


 とても深い傷を負って責務を果たせなくなったりしない限りは。



「私は……ミュエル・ドットハグラは戦場で仲間を失ってしまった。

 私の油断が彼女を殺してしまったんだ。

 あれは回避できるはずだった……できるはずだったんだ……。 

 あの日から私は命を奪えなくなった。

 剣を手にすることも、守るために抗うこともできなくなったんだ。

 きっと、この罪悪感と後悔こそが普通の証明なんだろうな。

 笑ってくれてもいいんだ……聖騎士とまでもてはやされた女の末路がここなんだよ……」



 とても重く辛い話だった。

 淡々と完結にまとめて話してくれたのに、その節々から後悔を感じ取れる。

 それほど大きくて逃げられない傷。


 呑気に生きていただけのわたしが、舞台で踊ることを余儀なくされていたあなたの苦痛を受け止められるだろうか。


 ……。


 違う、そういう問題じゃないだろ。

 聞き出したからには全力で挑まなければいけない。


 相談を強いたのはわたしだ。

 だからわたしは踏み出さなければいけない。

 大切な人の話を聞くってそういうことだと思うから。 


 あなたにもそれを伝えなければ。



「みゅんみゅんはわたしがそれで笑わないって知ってるでしょ。

 ちゃんと話して、ちゃんと聞くから」



 メイドは驚いた顔をしている。

 日々を過ごすうちに色々な表情を見せてくれるようになった彼女だけど、こんな顔を見るのは初めて。


 さっきセクハラかましかけた奴が何言ってんだよって感じだけどさ……。

 ねぇミュエルさん、わたしのために扉を開けてよ。



「……すまない、茶化す話ではなかった」



 凛々しいメイドは冷め掛けたカップを手に取り、花の香るお茶を口に含む。


 冷静さを取り戻したあなたは、わたしが知らない過去を語り出した。



「騎士時代の私には頼れる人が一人いた。

 私は聖騎士として、彼女は副団長としてこの国を守っていたんだ」


「それって、あのギャルっぽい人だよね。全く騎士に見えない人」



 この国の騎士団には、聖騎士ミュエルの他に何人か顔の知れた人物がいる。


 その中の一人が副団長ナルルカ・シュプレヒコール。

 彼女は騎士団にそぐわない格好と喋り方をしていて、まさしくギャルを体現している人だった。


 彼女が騎士団入りした時は、世間からの批判も絶えなかったらしいんだけど、実力を見せつけることでその全てを黙らせたとか。


 その後は順調に副団長の地位まで上り詰めてしまった。

 そんな逸材染みた騎士とギャルのギャップに魅入られた人間は、程なくして彼女のファンに堕ちてしまう。



「そうだな。

 騎士には見えなかったが、私よりも真摯に騎士道を歩んでいた。

 だからかもしれない、あの子は私を庇って命を落としてしまった」



 半年ほど前、副団長ナルルカの訃報が大々的に国民へ知らされた。

 明確な死因は伏せられていたけど、騎士として華々しく散ったと聞いている。


 そして、その数日前から聖騎士ミュエルも表に姿を表さなくなった。



「大切な仲間を自分の油断で殺してしまったんだ。

 それから何ヶ月も私は彼女の死に向き合った。

 そして、死という終わりの極地にも」



 何との戦で、どのようにして、などの詳細な状況を語ることはなかった。

 それでも簡潔に述べられた言葉の中にはとても重い感情が込められていることを知っている。



「私はこれまで聖騎士と謳われ、何人もの罪人や諸外国が送り込んだ敵兵、そして凶悪な魔獣の命を奪い続けてきた。

 だけど、その一人一人、一体一体には家族がいて友達がいて愛してくれる人がいたのかもしれない。

 そう考えれば考えるほどに私は蝕まれていった。

 今まで相対してきた者はみな、私の鏡でもあったんだってようやく理解できた。

 そこから先はただ雪崩落ちるだけ。

 虫すら傷付けられない不能に陥り、聖騎士という座からにげたんだ」



 メイドは弱々しく記憶を辿っている。

 聖騎士として慕う誰かには決して相談できない悩みを打ち明けながら。


 聖騎士という存在が一体何をしているのか、そんなことは理解していたつもりだった。

 だけど、わたしは観測できていなかったんだね。

 あなたの中に潜む本音と痛みを。


 今まで見ていたあなたは、理想と憧れのイメージ像を通して彩られた仮初の象徴。

 わたしは……あなたを聖騎士として見るべきじゃないのかもしれないね。


 あなたは自分の右手首を見つめながら話を続ける。



「ナルルカはその死の間際に、とある魔道具を私に譲ったんだ。

 有り余るほどの魔力が詰められた『奇跡』と呼ばれる腕輪。 

 だけど、私はそれを身につけることができなかった。

 自室の隅に飾るだけで、視界に入れることを拒んだ。

 眺めていると、きっと私は壊れてしまうと思ったから」



 側には置いておくけど、視界には入れないようにする。

 老衰で亡くなった人の形見ならまだしも、自分の失敗で命を落としてしまったと思っている仲間の形見なら、きっと誰もがそうしていたと思う。


 辛いことは思い出したくない、それでも大事に取っておきたい。

 矛盾だらけのエゴで組み立てられたような思考だけど、それも尊い感情の一部だよ。



「ナルルカの死から数週間、私はただ自室の殻に閉じこもり蹲っていた。

 そのままいつかやってくるであろう終わりを待っていた。 

 食事を取らなくても魔力や加護が生命活動を自動的に補う聖騎士は死ぬこともできないのに。

 それでも、それ程の痛みを患っていたとしても。

 時間が全てを解決してくれるらしい。

 とある日の夕暮れ、私は隅に追いやっていた腕輪を手に取っていた。

 そして私の心に燈が灯った。

 まだ戦えると再び感情が奮起した。

 ナルルカが救ってくれた命なんだ、これ以上無駄にはできないと。

 もうナルルカはこの世界にはいないのにな」



 わたしは黙って話を聞き続ける。



「それから私は、騎士に復帰するために立ち上がった。ナルルカがくれた形見を手首に通して」



 そこで小さな間が生まれた。

 あなたは下唇弱く噛み締めている。


 悔しそうなその表情、今は何も通っていないあなたの手首。

 これから話す内容はその答え合わせなんだね。



「立ち入り禁止の危険区域に指定されている深淵の遺跡という場所がある。

 そこの番人を務めるのは、移動速度が異常に遅く脅威になり得ない自立人形ゴーレム

 私は手始めに、そいつを練習台にして騎士の力を取り戻そうとした。

 いざとなれば逃げてしまえばいいと思っていたから。

 だから……」



 もうすっかり空になってしまったティーカップにかけている指が、細かく震え始めた。


 もうここで無理やりにでも止めてあげたかった。

 十分お話は聞けたからって、この後の展開は勝手に予想できちゃったからって。


 だけど、ここでわたしが逃げ出してしまうと二人の関係は停止してしまう。


 ごめんね、もう少しだけ聞かせて。



「結局失敗した。

 私は自立人形ゴーレムを目にした瞬間に腰が抜け落ちたんだ。

 鞘から剣を抜く事すらできずに。

 石で作られたその巨体がゆっくりと迫り来ているのに、私の体は動かなくなってしまった。

 そんな弱い自分に嫌気を差しながら……もう死んでもいい……やっと死ねるだなんて思ってもいた」



 嫌だ、そんなのは駄目だ。

 あなただけはそれを願ってほしくはなかった。


 それなのに、その気持ちを肯定できてしまう自分がいるのも恐ろしい。

 生きることを諦めて、死を願ってしまう。

 わたしには十分理解できる感情だった。



「でも、みゅんみゅんは死を選ばなかったんだね」


「ああ、ナルルカが救ってくれた命を粗末に扱うわけにはいかないから。

 死の直前にそれを思い出した時、形見の腕輪が力をくれたんだと思う。

 逃げる勇気を与えてくれたんだ。

 震える足を必死に動かしながら来た道を全力で引き返した。

 がむしゃらに走り続けた。

 ……そのせいだろうな。

 自分を奮い立たせてくれた大事な腕輪を落としてしまったことにも気付かなかったのは」


「逃げる時に腕輪を落としっちゃったってこと?」


「ああ、ナルルカがまた身代わりになってくれたんだと納得した。

 馬鹿な私を二度も救ってくれたんだ。

 だから私はその代償を無駄にしないために、彼女の分まで全力で生きることした」


「それで今に至るってことだね」



 みゅんみゅんが辿り着いたその答え。

 時間を無駄にしないというのは、自分の夢を実現するために全てを注ぐこと。

 普通の人間ならそこに到達するまでに、人生をどれだけ進めないといけないのだろうか。


 大切な人を失ったわたしならきっと、その時点で立ち止まっていたはずだ。

 だけど、それこそ本末転倒なんだよ。

 だって自分を大切に思ってくれてる人が不幸を望むはずがないんだから。


 みゅんみゅんはそれを理解しているから、自分の本当にしたかった道に進路を切り替えることができたんだ。



「ご主人様に雇われてからは、ずっとずっと奇跡の連続だった。

 あれだけ駄目だった家事も上達して、楽しませてくれる人がいて……だから私は今、愚かにもまた欲をかいてしまっている」



 みゅんみゅんはわたしの目をじっと見て、泣きそうになりながら胸の内を明かす。



「忘れていた感情、抑え込めていたはずの後悔が押し寄せてきている……。

 不可能を克服してきた今の私なら、また騎士として蘇れるんじゃないかって。

 それが無理だとしても、もう一度遺跡に足を踏み入れて腕輪を探しにいくことぐらいは出来るんじゃないかって!」



 叫ぶように鳴くように彼女はそう言った。

 苦しみを隠しきれていないその表情から、それが本音じゃない事が伝わってくる。


 みゅんみゅんは自分を奮い立たせている。

 未だに聖騎士としての責任を感じて、戦場に戻ろうとしている。


 人々のために生きると決めた人間が簡単に道を降りれるはずがなかったんだ。


 だったら、その呪縛を破壊してあげるのがわたしの役目だ。

 救い合う主従なんて、今時そう珍しくはないでしょ。


 この前のお姫様抱っこの恩返し、させてもらうね。


 わたしは椅子から立ち上がって、対面に座るあなたのもとへ近づいていく。

 椅子に座っているみゅんみゅんは、涙を堪えながら側に寄ってきたわたしを見上げている。


 ちょっとだけ恥ずかしいけど、あなたの大きな体を抱き寄せてみた。



「一人で頑張ってたんだね、みゅんみゅん。

 もう騎士に戻る必要なんかないんだよ。

 誰がなんと言おうと、あなたが戦う必要はないんだから。

 これからは二人で歩いて行こうよ。

 わたし達はもう互いに関係しかないんだから。

 だからみゅんみゅんもわたしが困ってたら助けてよね」



 メイドのあなたは、大人びた少女のあなたは、わたしの胸で声を殺しながら涙を流している。


 辛かったよね。

 大切な人が自分の代わりに命を落として、人生の大半を費やしてきた騎士としての覚悟もなくなって。

 そうやって立て続けにいろんなものを失い続けてきたんだから。



「遺跡にはもう一人で行こうとしちゃ駄目だからね。

 きっと、大事な形見もどこかの誰かが戦利品としてギルドへ持ち帰ってくれるに違いないんだから。

 だからもう大丈夫だよ」



 安心していいからね、わたしの大切なメイド。


 わたしには、有り余るほどの時間が残っているんだから。

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