1章 ボーイ・ミーツ・ウルフガール(16)

 後から振り返ってみれば、あそこでの三日月との会話は特に何のメリットも無く、不必要なものだったと分かる。だが、何故明治は三日月とあんなまどろっこしいやり方で聞き出そうとしたのだろう? それは明治にも薄々気がついていた。あいつが自分と絶交する前に話をしたかった、あいつが壊れてしまう前に。


 明治は寮の階段を登っている、3階にある自らの寮ではなく、5階に居る貴族のお嬢様に。


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 いきなりピンポーンというチャイムの音が鳴り、榎戀は「はい! 今出ます」と丁寧な言葉を返しながら、ガチャりと戸を開ける。


「ん? あ、明治じゃん、どうしたの?」


「おい榎戀、リンという少女は居るか?」


「居るけど、リンちゃんがどうかしたの?」


「ちょっと、あいつに話がある」


 二人のやり取りを聞いていたリンは背中が凍るような思いをする。ひょっとしたら、自らが妖であることがバレたのではないか。そういう思いが巡らす。そんな心配は杞憂で終われば良かったのだが、残念ながらそうはいかなかった。


「ああ、あいつと二人で今、"外"で話をしたい」


 その明治の言葉にリンの鼓動が高まる。そして、確信した。あいつは全て知っているのではないかと。


「でもリンちゃん、暗闇が嫌いらしくて、外行きたくないって言ってたよ?」


「やっぱりか」


「ん? どういうこと?」


 リンは明治という男がとても怖くて仕方なかった。全部、バレている。なんとかして誤魔化す方法はないか、彼を欺く方法はないかと今更になって深く考えるも、そんな方法が有れば苦労しない。


「なあ榎戀、そいつになんか奇妙なところは無かったか? 例えば、背中に大きな傷があるとか」


 指を指され、背中の傷について触れられたことにより、もう彼は全て知ってるのだと思い知らされた。何も言い返せず、「あ……あ、」としか言葉が出てこない。


「ねえ明治、流石に酷いんじゃない? 確かにそういうのはあったけど、でもあの子はそのことをかなり気にしているみたいだし……というかなんで背中の傷のことも知っているの?」


 榎戀は耳打ちするように小さな声で彼に伝える。しかし、明治はそんな言葉を聞く訳もなかった。彼は友達の暴走を止めるためにここまでやったのだ。そして、榎戀の部屋にズカスガと入り、怯えてるリンの元へ歩いてきた。


「なあ、取引をしよう」


「ねえ、ちょっと、聞いてるの!? 明治!」


 その後も色々言葉を紡ごうとした榎戀だったが、リンの一言で終わってしまう。


「分かった。いいよ、行く……から」


「リン……ちゃん⁈」


 そしてリンは明治の後ろについて行こうとした。


「ち、ちょっと、明治!? どういうこと? 私にも納得出来るような説明をして!」


「ああ、ほとぼりが冷めたら全て話す。だから、ちょっと待っててくれ」


 そう言って二人は部屋から出て行った。事情を何も知らない榎戀はただ呆然としていたが、二人の帰りを待つ以外に出来ることは無いと思い直し、二人を追うことは無かった。


16


「やはり、お前はあの時の狼男なんだろ? まあこの場合は男じゃなくて、狼女って言った方が良いのか」


「そうです。 わ、私が、あの……狼女です」


 夜中の誰も見てなさそうな、寮舎の裏にリンはそう告白した。


「一応聞いておくが、なんでこっちの世界に踏み込んできた? お前みたいな妖になると、人間から攻撃されることなんて百も承知だと思うんだけど」


「ご、ごめんなさい」


 咄嗟に謝るリン。彼女の顔は恐怖という二文字で塗り固められていた。少ない情報から私の正体を見破った明治という男の手腕と、一見優しそうでありながら居丈高な態度から完全に萎縮してしまい、変なことを言ったら殺されてしまうのでは無いかと怯んでしまっている。


「お前らみたいな妖に謝られたところで、って感じなんだけど、俺は謝罪じゃなくて理由を聞いてるんだ」


 その言葉はとても穏やかなものだったが、それが却って恐怖を作り出す。


「え、えっと、人間の、生活がと、とても、楽しかった、というか、楽しそうだったから……」


 下手に嘘をつくと、すぐ見破られてしまいそうなうえ殺されると思い、本当のことを言おうとしたリン。だが、かつて自身が人間と生活を共に過ごしたことは言いたくなかった


「そうなんだ。まあいいわ、僕は今すぐにも君を退治したい。だけど、君は僕たちの命の恩人でもあるからね。一応感謝はしてるよ。だから、今回は見逃してやる。今はパニックになるから、明日の朝、必ずここから出て行って森に帰れ。次にここに踏み込んで来たら、その時は分かってるよな?」


 彼の睥睨に身をさらに竦ませる。そして「分かりました……」と小さな声で了承した。


「ごめんなさい。一つだけお願いがあります」


 勇気を振り絞ってそう伝えたリン。彼女は実は分かっていた。本当はこの人は良い人だってことを、だからこんなお願いをした。


「このお洋服だけは大事にしたい。手元に無かったとしても、だから、明日の朝ここに来て服を回収して欲しい。そして榎戀さんの元に返してあげて」


「分かった。何かそいつに言って欲しい伝言みたいなものはなんかあるか?」


 少し考えたあと、彼女はこう言った。


「「ありがとう」って伝えておいて」

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