ひな鶏

武州人也

焼かねばならぬ

 これは私が仕事で怪談を収集しているときに出会った、梶原という男の話だ。八月なのに長袖長ズボン、赤い手袋に、サメのアップリケがついたキャップという奇妙な出で立ちの男だった。

 梶原は常におどおどしていて、何かに怯えているようだった。その様子だけで、俺は「いい話が聞けそうだ」なんて、不謹慎ながら思った。我ながらひどい話である。


「私が十一の頃の夏の話です。あれが全ての始まりだったんです」


 むんむん蒸し暑い熱帯夜のこと。餌やりのために鶏舎に入った梶原は、妙なものを見た。

 いつの間にか産み落とされていた卵の一つが、ぐらぐらと左右に大きく揺れていた。尋常でない揺れ方だった。見たこともない大げさな動きに、梶原はかなり面食らったという。


 ――産まれるのか?


 しゃがんでじっと見つめていると、だんだんと卵にひびが入り、そして割れた。


「うわっ!」


 中から出てきたものを見て、梶原は大きな悲鳴をあげた。


 出てきたヒナには、目が一つしかなかった。生まれたてだというのに、額の一つ目はと見開かれており、ぎょろぎょろと動いて辺りを見渡していた。

 腰を抜かした梶原を無視して、はすたすた歩き出し、梶原の右わきを抜けて去っていった。小さなヒナの体は、あっという間に黒洞々こくとうとうたる闇の中へと消えていった。


 ――あれは、よくないものなんじゃないか。


 そう直感した梶原は、必死で辺りを探った。あのヒナを捕まえて殺すためだ。庭にはいなかったから、道路を横切って、ヒナが走り去った先にある耕作放棄地に踏み込んだ。

 草いきれに包まれながら、ぼうぼう茂る夏草をかき分け、必死でヒナを探し求めた。けれども夜闇の下で、あんな小さな生き物が容易く見つかるわけもない。結局梶原はヒナを見つけ出せないまま、耕作放棄地をあとにした。胸にざわざわしたものを残しながら。

 帰宅した梶原を出迎えたのは、祖父であった。彼は祖父の顔を見るなり、すぐさま尋ねた。


「じ、じいちゃん」

「何や」

「め、目玉が一つしかないヒナが……」

「目玉が一つしかないヒナ?」


 祖父は腕を組んでしばらく考え込む素振りを見せたが、


「まぁ、ほんな珍しい奇形が……まぁそういうのは長生きせんやろ」


 などと言うのみであった。それは梶原の望む答えではなかった。


 そんなことがあってから、梶原は日夜、あのヒナの死を願うようになった。この辺りはタヌキやイタチ、それからアナグマもよく出るから、あわよくばそれらの動物に食われて死んでくれないか……そんなことを考えながら、気もそぞろに日々を過ごしていた。


 けれども、そんな不安な心境が続いたのは、せいぜい一か月かそこらだった。夏休みが終わる頃には、もうあの不気味なヒナはすっかり関心の外に置かれてしまった。


 そうして時は流れ、梶原は大学進学を機に地元を離れた。そのまま東京の企業に就職して、埼玉の三郷市に居を構えた。


 就職して四か月後のことだった。買い物を済ませた梶原は自宅へと歩いていた。白く光る街灯と、立ち並ぶ家屋の明かり。地元と比べてみれば、ずいぶんと明るい夜だった。

 コンビニがある角を曲がってしばらく歩くと、道の先に小動物のようなものが仰向けに倒れているのが見えた。腹からは赤いものが垂れていて、アスファルトの地面を汚している。嫌な予感しかしなかった。

 不快なものを見てしまうことが分かっていたのに、梶原は近づいてそれをはっきり見てしまった。


 梶原が見たのは、仰向けに倒れた猫であった。腹は破れ、鮮血とともに赤黒い臓物がでろりと飛び出している。そして、破れた腹に口を突っ込んで貪り食う、もう一匹の動物の姿があった。


「ひっ……」


 梶原の口から、うわずった悲鳴が漏れた。


 猫の体を食っていてのは、目が一つしかない鶏だった。


 鶏の嘴が、猫の体から離れた。赤く濡れそぼった嘴には、細い肉片が咥えられている。鶏はゆっくり首を持ち上げると、梶原の方に顔を向けた。

 鶏と、目があった。そのとき、十年以上前の、あの一つ目のヒナの思い出が、稲妻のように梶原の脳裏を駆け巡った。まさか、まさか、あのときのだというのか。


 ――殺さなくては。


 梶原の中で、恐怖が殺意に上書きされた。あのときは逃げられたが、今度は逃がさない。やつを葬り去る、絶好の機会だ。今しかない。

 梶原はエコバッグから殺虫剤とライターを取り出し、殺虫剤の噴射口を鶏に向けた。鶏は逃げる素振りを見せず、こちらをじっと見つめている。そんな鶏に、梶原はライターの火を灯すと同時に殺虫剤を噴霧した。


 殺虫剤の霧は、ライターの火を巻き込んで豪炎に変わった。簡易型火炎放射器の炎は、鶏の体をあっという間に火だるまにした。炎に巻かれながらも、鶏はその場を一歩も動かなかった。動かぬまま、黙して身を焼かれ続けた。


「まるで焼き鳥みたいないい匂いでしたよ。それが煙といっしょにふわっと辺りに広がったんです」


 鶏は、猫の死体とともに黒焦げになった。ほとんど炭化した遺体をどうすべきか分からず、梶原は足早に帰宅した。


「やっぱあれ、この世のものじゃないと思うんですよ。だって……」


 言いながら、梶原は両腕の長袖をまくって見せてきた。


「これ、祟りってやつなんですかね……」


 男の腕は、炭化したかのように真っ黒だった。そのときほのかに、私の鼻は香ばしい焼き鳥の匂いを嗅ぎ取った。


 



 梶原の話を聞いてから、私は焼き鳥を口にしていない。

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