第95話「分岐ノ少女」

 黒髪の青年が、苦手な猛暑の日差しに照らされ、膨大な数の木箱を運び、体力を消耗していた頃。

 白銀の少女は、村長の屋敷で、エプロン姿のリラを目の前にしていた。


 屋敷の一室。木箱に詰められた野菜、果実、調味料とまな板、包丁といった調理器具が並んだ調理場。

 間取りとしては、かなりの広さがあった。

 しかし、所狭しと置かれた様々な食材で少し窮屈きゅうくつな空間になっていた。


 その中、普段は乱暴とさえ思える声音の女性が、珍しく優しい音でエティカへ語りかける。


「じゃあ、説明するんだけど……」


「はい」


 なんとなく、歯切れの悪い喋り方。

 いつもなら横暴とさえ思うほどに、はっきりと決めていくリラが、なんとも申し訳なさそうに頬をかく。


「本当に良かったの? エヴァンと離れることになったけど」


「はい、大丈夫、です」


 あっけらかんとした少女の態度に、リラは言い訳のように考えを語る。


「いや、昨日も一緒に寝てたみたいだし、いっつも傍にいたじゃない? なにか離れられない理由があるのかな、て思ったんだけど」


 離れられない理由。

 それはエティカの中にはいくつかあるが、今は大丈夫。

 このイースト村ならば、離れていても大丈夫だと。そう思えた。

 だから、少女は別行動を容認した。

 その分、昨日の夜はたくさん甘えたが。


「大丈夫ですっ。わたしも、子どもじゃない、ですからっ」


 ふんすっと意気込む。

 その様子がまさしく子どもみたいで、微笑ましくなるリラ。


 本人が大丈夫だと言うならそれを信用するのが、大人というものだろう。

 そう納得させる。

 ならば、私情を挟んでしまっても問題ないだろう。


 エティカのその一言で雰囲気が変わった目の前の女性は、含みのある笑顔を浮かべる。

 怪しい、なにか企んでいる。そんな笑みで。


「じゃあ、たくさん働いてもらおうかしら。ふふふ……」


「え……」


 白銀の少女。

 ここで後悔という言葉の意味を痛感する。



「こら、そんな切り方じゃ肉が切れるわけないでしょ」

「ちゃんと筋を取りなさい」

「まな板はちゃんと洗う、常に清潔にしなさい」

「猫の手を忘れないの」


 まるで監督のように、後方からげきを飛ばす。

 ひぃひぃ言いながらも、ついて行くエティカであったが、あまりの量の多さに気が遠くなる。

 それが如実にも作業スピードが、遅くなるという結果に繋がる。

 ただ、ここで休ませるほどリラは甘くない。

 しかし、あまり厳しく言ってしまうと余計に作業効率が落ちる。


 なら、別の言葉。

 リラの通りに進むのなら。

 ここで少女に火をつける言葉は決まっていた。


「あらあら、これじゃあエヴァンの嫁には、ほど遠いわね」


「……っ」


 しゅうとめのような嫌味であったが、これがエティカにはよく効いた。

 嫁。

 リラという母親に認められなければいけない。ならば、ここで気の遠くなる作業に臆している暇はない。

 紅色の瞳が、燃え上がる。


 その言葉からものの数秒で、作業スピードは見違えるほど倍速に。


 その様子でリラは確信を得る。

 やはり、この子は好きなのだ。

 保護者へ向ける家族のような愛情ではなく、一人の異性へ向けた恋情なのだ。

 それが分かれば後はこの火を絶やさぬように、焦らして、風で消えないようなほのおへ火力をあげるだけ。


 それはいつしか燃え広がる。

 延焼して、全てを巻き込む大火たいかとも、業火ともなる。

 関わる人々の心へ火を灯す、旅人の帰るべき篝火かがりびとなるように。


 その思いを込めて、リラは発破をかける。


「ほら、玉ねぎなんて端微塵ぱみじん切りにしなさい」


「木っ端微塵!?」


 調理場の空気は夏の陽光に負けぬ、あつさであった。

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