第93話「水蜜」

「君がここに来たのは何か理由があるのかい? 珍しいものなんか無いけど」


「そんなの決まってるじゃないか」


 自信満々に、エヴァンは胸を張って答える。

 なんとなくその様子からローゼルは嫌な予感がする。


「桃、食わせてくれ」


「だと思ったけど、言い方考えようね」


 はぁ……と露骨に溜息をつくローゼル。

 なんだかその姿も様になっていて、妙な色っぽさを感じるエティカ。

 自分自身を幼いと思っているからなのか、それともローゼルが女性だと見間違うほどの美形だからなのか。

 詳しく掘り下げると落ち込んでしまいそうな、白銀の少女は黙って二人の会話を見届ける。


「なに、ただ食い荒らしにきただけかい? それならお金を払って買って欲しいくらいなんだけど」


「金は払うさ。ただ、エティカに桃を食べさせてあげたくてな」


「エティカさんに?」


 白銀の少女へ向いた水色の瞳。

 夏空のように澄んだ空の色をしていた。

 それがあまりにも綺麗で、エティカは飲み込まれそうになる。


「あぁ。桃が大好きなんだってよ」


「へぇ〜。ちょうど収穫終わりで、売れない規格外のものなら余ってたはずだし、それを食べるかい?」


「お、規格外ならタダてことだな」


「がめついな君は……。エティカさんもそれでいいかい?」


「え……」


 ローゼルの美しさに思わず見惚れていたエティカの意識が、ようやく戻ってくる。

 ぱちぱちと何度も瞬きをする紅色の瞳。

 話を聞いていなかったことに焦った少女へもう一度、優しく話しかける。


「規格外だから形が悪いのとか、傷んでいるやつもあるんだけど味は保証するよ。だから、その桃を食べに行くかい?」


 微笑んだローゼルの笑みは、清純なお嬢様のようであった。

 つつましく、おしとやかで、柔和にゅうわな笑顔。

 恰好かっこうが男臭くなければ、何人もの男を狂わせたものだったろう。


 少し、エティカは頬を赤らめながら。


「はい……」


 恥ずかしそうに俯きながら答えた。



 葡萄畑の隣。

 2つの小屋へ三人は移動した。

 どちらも木造で、木箱が積み重なった狭い空間。


 その出入り口に近いところ。大きないかにも手作りの荒いテーブルで待つようローゼルは伝える。

 椅子はなく立って待つしかないが、その間に紅色の瞳は中を見渡す。


 木箱が積み重なって崩れたら大惨事になりそうな部屋の隅。

 手洗い場もあるが、泥がついて汚れている。

 部屋の奥には、いくつもの作業をするためのテーブルが置いてある。

 おそらくあの場所で、梱包こんぽうや商品のチェックをしているのだろう。

 紙くずや緩衝材かんしょうざいわらが散乱していた。


 そんな雑多な光景でも、匂いは甘ったるい。

 果物の柔らかい、芳醇ほうじゅんな香り。

 その中でもエティカの一番好きな匂いのする果実を、ローゼルは持ってきた。


「よっこいしょ……」


 ドンッ、と木箱がエティカの前のテーブルに置かれる。

 その中には、クリーム色とほんのり淡いピンク色の果実が、敷き詰めれていた。

 思わず、とりこになった白銀の少女は、夢のような光景へ瞳を輝かせる。


「うわぁ……」


 感嘆の声がこぼれる。

 その様子にエヴァンの気持ちも豊かになる。


「規格外のやつだから、好きなだけ食べていいよ。ただ、傷んでいるところは取ってね、お腹痛くなっちゃうから」


「こ、これを……好きなだけ……?」


 まるでおもちゃを目の前にした子どものように。

 好物を見せられた子犬のように。

 瞳の光はもっとも照らされていた。


 そんな様子のエティカを、クスッと笑いながらローゼルは答える。


「うん。そうだ、僕が美味しいものを見繕ってあげようか?」


「え、いいの……?」


「うん、そんなに好きなら美味しいものを食べさせてあげたいからね」


 その言葉に今まで夢中であったことが、少女の羞恥心しゅうちしんを湧き上がらせる。

 桃のように頬が染まっていく。

 モジモジとする代わりに、青年が助け舟を出す。


「例えば、どんなのが美味しいんだ?」


「そうだね……」


 と言いながら、木箱の中から桃を取り出していくローゼル。

 コロコロと転がってテーブルへ広がっていく。

 小さいもの。一部が変色したもの。そして、一回り大きいものなど。

 その中から、形のよいまるまるとした白桃を選ぶ。


「まずは、形だね。左右対称になっている方が美味しいよ」


 ほぅ……と二人の視線が1つの桃に注がれる。


「それは見た目が悪いと美味しくないやつが多いから、とかか?」


「ん〜……。ほぼ正解だね。形が不揃いなのは、生育途中で何らかの障害が起きてる可能性もあるからね。

 味にばらつきもあって美味しくないのが、多いんだ」


「ふ〜ん……」

「ほへぇ〜……」


 エティカもエヴァンも納得の息がこぼれる。


「後は、色だね」


「色? ロゼの持っているやつはそんなに赤くないぞ。熟れてないように見えるんだが」


 青年の指摘した通りローゼルの持ったものより、他の桃の方が赤みがさしていて美味しそうであった。


「桃だって日焼けするから。日に当たった部分は赤くなるんだよ。だから、皮の色をよく見るんだ」


「ん〜……? よく見てもわからんぞ」


 二人して、しかめ面でみつめるも理由がよく分からない。

 試しに一つの桃を拾い上げるも、どの果実も皮の部分はほどよく赤く熟れているように見える。

 そんな青年達へ笑いながらローゼルは。


「まぁ、慣れてないからだろうね。君の持ってるものは、おしりの部分が青いから、食べても水っぽい薄い味だと思うよ」


「おしりね……」


 言われてみるとヘタの反対側。

 そこが薄らと緑色に近い気がした。


「見分けがつかん」


 青年はさじを投げた。

 その様子に、エティカもローゼルも少し苦笑い。

 甘い匂いに対して見分け方にはコツがいるようだ。


「そうだろうね。僕も最初はよく分からなかったから……」


 そう言いながら、ナイフを取り出し桃を切っていく。

 桃の割れ目に沿ってくし切りされる果肉は、瑞々みずみずしい果汁に濡れていた。

 それだけで、少女を興奮させる。


 スッ、と一切れをエティカへ手渡す。

 半月を受け取るとより強烈な匂いが刺激する。

 ローゼルへ視線を移すと「どうぞ」と笑いかけてくる。


 その態度に甘えて、ゆっくりとかぶりつく。

 チュクッと柔らかな果肉を噛み切る。

 匂いよりも濃厚な甘味が口いっぱいに広がる。

 少し新鮮な水っぽい果汁がでてくる。


「美味しいっ……!」


 白銀の少女が今まで食べてきたものよりも、最上級の桃であった。

 気づけば一個完食するほどの虜になっていた。

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