第92話「桃の園」

 しかし、いきなり村の手伝いをさせるつもりはリラになかったようで、翌日、村の案内をしてこいとエヴァンを叩き出した。

 あまりにも暴君のような様子に驚いたエティカであったが、青年自身はいつものことのように対応した。

 少しの苛立ちが含まれた表情をしながらであったが。


 白銀の少女へ手を差し出す。


「行くか」


「うん!」


 喜んでその手を握る。

 まだ、エティカに指を絡める勇気はなかった。



 村長邸を背中にならされ踏みしめられて、硬くなった土の道をゆっくりと少女に合わせながら歩く。

 とりあえず、向かう先は果樹園である。

 村長の家からまっすぐ伸びた道の先。

 山の麓に果樹の一角があり、そこを目指す。


 なぜかと言われたら、桃を食べさせたいから。

 エヴァンは、少女の好物だという桃を食べさせて、喜ばせたいからという理由で向かった。


 まっすぐの道でも左右に広がった麦畑と点在する村民の家。

 金色の絨毯じゅうたんが伸びていく光景は、雄大な風景としてエティカの興味を刺激していく。

 その田畑で収穫作業をしている村民は、エヴァンに気づくと手を挙げ挨拶していく。


 昨日も見た様子であったが、青年の姿がまた違った雰囲気で紅色の瞳に映る。


『勇者』を殺した大罪人。

 青年が悪い意味で有名な理由がそれだったのだ。

 ゆえに、エティカと出逢ってストラ領へ向かう際、すれ違う人々の視線が違っていた。

 そう思うとなんとエティカ自身は暢気に風景を楽しんでいたのか。

 歯がゆく、心をくすぶる黒い影が差す。


 しかし、ここでは違う。

 村民全ての瞳は優しくあたたかく迎えていた。

 誰もエヴァンが『勇者』を殺した人間だと見ていない。


 ただ、実家に帰省してきた村民だと。


 そう感じる。

 今、手を握っているゴツゴツとしたタコができた男らしい手の持ち主は、この村で産まれ、過ごしてきたのだ。


 だから、そんな周りの影響からこの青年が優しいのか。

 白銀の少女は少し勘違いした確信を得る。


 エヴァンは優しくされなければいけないほどの過去を、まだ背負っているということを。



 果樹園に近づくと、乱暴にも杭で打たれた小さな看板の横を通りすぎる。


【この先、イースト村果樹園。関係者以外立ち入り禁止】


 と、殴り書きされた文字が読み取れた。

 雑草が伸びきって道かどうかも分からない道。

 かろうじて、誰かが通った跡だけ残った荒れたあぜ道。

 そこを進みつつも、エティカに合わせて歩く青年。


 その二人の数メートル先、数名の男女が葡萄の収穫をしていた。


 パキッ。


 エヴァンが、一歩近づいた際に踏んで折れた小枝の音が静かに響く。

 その音に一人の男が気づき、音の主を確認すると笑顔で作業を中断して歩み寄ってくる。


「おぉ! エヴァンじゃないか!」


 久しぶりに再会した友人へ向けた声は、よく通る爽やかな声であった。

 滴る汗を拭きつつも、近づいてくる男性にエティカは少しだけ人見知りが発動する。

 作業がしやすい軽装に日差しを遮るための長袖の服装。

 帽子も被っていて、そこから覗く長髪はまるで麦畑のような鮮やかな毛先が、外ハネしている金髪。


「よぉ。元気そうだな、ロゼ」


「その名前は女っぽいから苦手だと言ったじゃないか。それを言うなんて、相変わらず意地悪だな」


 近づくと、男性の顔が見えてくる。

 葡萄のツルと葉っぱで覆われた薄暗い天井の下でも分かるほど、美少年であった。

 目鼻立ちは整っているが、なにより幼い中性的な顔立ち。

 パッと見では女性と間違えても仕方ないほどであった。


「意地悪とはなんだ。紛うことなき美少女だろ」


「だから、いやなんだよ。いやらしいな全く……」


 ロゼと呼ばれた男性は、そう言いつつ頬を膨らませる。

 まるで拗ねた少女のように。


 その仕草や面構えの良さが、美少女と誤解されることを分かっていないのだろう。

 エティカにとっては、目の前の人物が男性だと思えなかった。

 大きな瞳がさらにクリクリと丸くなる。


「それで、エヴァンの隣の子はお嫁さんかい?」


「いや、俺が保護している女の子だよ」


「ありゃ、そうなのかい? 手を繋いでいるから、てっきりお嫁さんか彼女さんかと思ったんだけどなぁ……」


 そう言いながらロゼは頬に伝う汗を拭く。

 白銀の少女は、少し手を握っていることが恥ずかしくなった。

 しかし、手を離すことはなかった。

 むしろ、強く握る。

 決して「お嫁さん」や「彼女さん」という言葉に浮かれているわけではない。と、言い訳しながら。


「で、今日はどうしたんだい? 君のことなら、暑さで溶けて家に引きこもっているかと思ったんだけど」


「人を氷みたいに言うなよ。この子――エティカに村を見せて回ろうと思ってな」


「へ〜、なるほど」


 エヴァンの言葉にそこそこの納得をしたロゼは、紹介されたエティカを見つめる。


「そういえば、自己紹介がまだだったね。

 僕の名前は、ローゼル・ファーマー。このイースト果樹園の管理者さ。よろしくね」


「エ、エティカですっ。よろしく、お願いします……」


 勢いよく少女は頭を下げる。

 その勢いにふわふわとした白銀の髪が揺れ動く。


 そんな姿をエヴァンとローゼルはあたたかく見守っていた。

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